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1年半のリハビリが今日終わりました

こんにちは。ガラムマサラです。
タイトルの通りですが、本日をもって1年半に渡った病院での膝のリハビリが終了しました。
ここまでの経過について、詳しくは以下の2つの記事の通りです。

簡単に経過をまとめると、

21年2月 MRIにて膝に腫瘍があることが発覚
21年6月 1度目の手術(生検のみ、腫瘍は良性であった)
21年7月 2度目の手術(関節鏡での腫瘍切除と半月板縫合)
22年3月 3度目の手術(間接鏡での関節滑膜切除、2度目の半月板縫合)

ということで3度の入院と全身麻酔での手術、1年半に渡るリハビリをここまでしてきました。
何度も何度も心が折れて、辛いことばかりでしたが、ようやく終了となり感無量です。

ひとまず前回記事の続き、2022年11月以降の記録です。

【2022年 11・12月🧣】(術後8・9ヶ月)

本来であればリハビリを終了させて、次のステップに進もうと考えていました。
プログラミングスクールも卒業していて、早く就職活動に移行したいなと。
どうしても完治までには時間がかかってしまうため、どこかで見切りをつけてしまって騙し騙し過ごしていく予定でした。

それを主治医やPTに話すと、傷病手当が12月まで受給できるのも踏まえ、あと2ヶ月頑張ってみるのはどうかというお話をしていただきました。
少し悩みましたが、最後にもう1段ギアを上げて、泣いても笑ってもあと2ヶ月、リハビリに真剣に取り組んでみようかなと継続することに決めました。

これまでヒアルロン酸を2週間おきに膝に注射していましたが、効果がだんだんと見られなくなってきたので中断。
マシンでのレッグエクステンション、スクワットが中心の筋トレメニューとジョギングを引き続き行っていました。
ハムストリングのトレーニングは一番キツく、筋肉痛でデスクに座っていられない、足が組めないなど生活を送る上でも弊害となってました😢

頑張ってリハビリに食いついていくと、12月に入ったところで階段昇降がスムーズに!
特に階段の降りで毎回膝が痛んでいて、日常生活を送る上で不便に感じていたところだったんですが、これが改善されたのが1番嬉しかったです。

ランニングメニューも徐々にハードになっていきました。
1年半前の自分の趣味はランニングで、10kmを1時間で走れたら上出来というようなペースです。
幸いにもリハビリしている病院にはランナーがいなかったので(自分のリハビリ時間はお年を召された方ばかりでした😂)、30分ランニングマシンを独占してハムスターのようにひたすら走り続けました。
最終的には9.6km/hで続けて30分間、計5km走れるようになったので、とても満足しています。

膝の皿を動かしたり、大腿外側の腸脛靭帯という部分をほぐす、スクワットやストレッチをするなど、入念にウォーミングアップした状態でやっと現在は走り出すことができます。
それでも信号が点滅している時に小走りができるようになったので、リハビリでの目標達成といったところです。

本当に続けてきてよかった。諦めなくてよかった。

この2ヶ月間はほんとうにリハビリがしんどくて、リハビリ以外の時間は寝ているばかりで。
リハビリのない土日が来るのが待ち遠しかったですね。
上にも書いたようにデスクにも座れなかったので、横になりながらの読書時間も多かったです(おかげでこれまで読んできた技術書を、また1周できたというメリットも😄)

病気・リハビリを通じて自分が変わったところ

・患者さんの気持ちを理解できた
久々に近況報告をした知り合いから「まだリハビリしてんの?w」と返ってきたことがあって、「○ね!」と思ったことがありました😇
一度睡眠をとると、ああ、この人は順風満帆な人生を送ってるよな〜ひとの痛みを分からない可哀想なひとだな〜と切り替えることができ、気持ちは昇華できました。

自分も前職は看護師でしたが、再入院してくる患者さんに対して親しみを込めて「また入院してきたんですか〜?」と言ったことがありました。もしかして傷ついてたひとがいるのかもなぁ。
本当に寄り添えていたかと言われると、寄り添ったつもりになっていたという感じです。これまた難しいんですけどね…😅
入院中に日々担当が変わる看護師さんからも、接し方や声がけなどたくさんのことを勉強させてもらいました。
患者側を経験することで新たな看護感が養われた感じがします。
苦しく大変だったけど、看護師の自分にとって、この経験はかけがえのないものになりました。

・友人や家族、コミュニティのありがたさ
よく気にかけてくれる友人には本当に感謝です。
入院中食べれなかったものを食べようと焼肉に誘ってくれたり、動けないときに買い出ししてくれたりしました。
そうした気遣いにいつもジーンと心に染みました😭一生大事にして行きたい仲間だなと思います。

あと家族。正直あまり尊敬していない家族ですが(笑)、よくご飯を届けてくれたり、外食に誘ってくれました。
20歳で家を出てからこんなに密に交流したのは初めてでした。
家族が近くにいて良かったなと思います。転職後の初任給に何か恩返しをしたいと考えております。

あと自分はフィヨルドブートキャンプというプログラミングスクールで、平日の夕方の輪読会(同じ教科書を読みながら意見交流する会)に参加していました。
ここでは学習に関係なく毎日の振り返りコーナーがあるんですが、よく「膝がー」と言っていた記憶があります。気持ちを吐露して聞いてもらうだけで、かなり楽になるんですよね。

あともっと正直なところでいうと、助けてくれる奥さんや彼女がいたらな〜と思うことも多々ありましたが、こればかりは縁ということで。
そんな理由で欲してはいけませんが、入院の手続きなどの身元保証人をいちいち親に頼るのが恥ずかしくなってきたなとも思ってます😅

・生き急ぐのをやめようと思った
働いていた頃は休みを予定で埋めなきゃ落ち着かない。
仕事もバリバリやらなきゃ気が済まないし残業上等だー!
エンジニア転職を目指してからは休日返上、朝活もしてほとんどの時間を学習に当ててやるー!

そんな感じでした。
ストイックなのがカッコいいと、生き急いでた感じがします。
病気をしてぼーっと天井を眺める時間が長くなり、自分は生活するのが苦手なんだなと気づきました。
生活というのは毎日の地味な睡眠や食事、風呂、掃除などです。
あまり大事にしてこなかったんだなと気づきました。

寝過ぎたくらい寝ていていいじゃない。風呂にずっと浸かっててもいいじゃない。何も考えない時間があってもいいじゃない。
ゆったり過ごす生活が好きになりました。
無理しすぎずに楽しいことをしよう。
いい具合に肩の力が抜けて人間らしくなった感じがしています。

・健康への意識

健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあること

世界保健機関(WHO)憲章

ほんこれ(=本当にこれ)
しかも、これって連なっていくことも多いと思います。
身体の不調→仕事ができない→心が病む とか、
心が病む→身体の不調→仕事ができない とか

健康ってなんなんだろうと考えさせられました。
膝がぼろぼろで仕事もしてなくて自己肯定感が下がるもんだから健康とは程遠かった自分です。
ひとまず身体を労わっていきたいです。2023年は健康になるぞ!

術後、膝を冷やしていた頃。思い出すと泣ける。

こんな人生観みたいなことを語ったところで今日はおしまいです。
病院でのリハビリは終わりましたが、せっかくここまで筋肉と体力をつけたのを維持しなければ意味がありません。自主トレは続きます。
筋肉ってトレーニングをサボってたらすぐ落ちるので、本当に分かりやすいやつだなと思います。
特にこれからはデスクワークになるので、意識して取り組んでいかなくては。

本記事がリハビリで苦労されている方の励みになったり、半月板関係で辿り着いた方の情報源となれば嬉しいです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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