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異世界のジョン·ドウ ~オールド・ハリー卿にかけて~ 第29話 魂の救済、それぞれの苦悩

あてどなく変わり映えしない森を彷徨うと、いつしか空は茜色に染まっていた。
昼間見かけたゴブリンはめっきりと見かけなくなり、夜の世界が間近に迫ったのを実感した。
夜目のきかない人間と、夜間の狩りに体を特化させた魔物。
どちらが有利かは、言わずもがなだろう。
視力を失った人間が五感が研ぎ澄まされる、というのはよくある話。
普段は聞き逃すであろう、小さな息遣いや靴で地面を踏む音。
普段は意識もしない音が耳に伝わった。
活力のみなぎった昼にはさほど感じない金属の盾と王笏の重量が、ずしりと骨身に響く。
足取りは一歩踏み締める度に重くなり、彼は肩で呼吸した。
都度休憩は挟んだが、冒険を始めた時ほどの元気はなく、そろそろ合流すべきかとの考えが鎌首をもたげる。
だが誰一人として切り出さず、青年は悶々としたながら動向を伺うのだった。

「ウィッカちゃん、疲れてない?」
「え、うん、大丈夫」
「ケッ、何もしてねェんだから、たりめェだろ」
「ごめんね、アシェルくん。ハリーは口が悪くてさ」
「……いや、ユウは悪くないさ」

歯切れの悪い返事のウィッカに、ハリーは相も変わらず痛烈な言葉を投げかけていく。
激昂したアシェルをなんとか説得し、同行してもらったが、また起こらないとも限らない。
今後は仲間たちとアシェルの橋渡しをせねば。
そう考えただけで胃痛がした。
しかし彼は仲違いしかけた、直美さんとの仲を取り持ってくれた恩人だ。
できるかぎり報いたい。
脳内が思考で満たされ、周囲へ気を向けずにいると

「おい、あれはなんだ?」
「ウィスプ、物理的な攻撃は通用しない魔物です! そして夜に……」

ヒンメルの指先には妖しげに金色の光を放つ球体が、ふわふわと浮かぶ。
魔物の説明をする英子曰く、夕刻では魔物の生態も異なるとのこと。
実態をもたない魔物では、対処のしようがない。

「ヒヒ、ヒィィィ、化け物よぉ!」

怖がりの直美は取り乱し、現実逃避しつつうずくまる。
普段の合理的で組織を率いるリーダーシップのある、彼女の面影はない。

「嬢ちゃんのためにも、すぐに消し炭にしてやるよ。インフェルヌ……ど、どうなってやがるんだ!?」

 掌に紅の魔法陣が輝き……そして炎を呼び出す前に掻き消されていく。
何度試そうとも結果は変わらず、ハリーは次第に苛立ちを露わにした。
よりによって霊体の魔物と相対した場面で、弱体化の悪影響が発覚するとは。
妖精はここが見せ場だと言わんばかりに

「水の精霊ウンディーネ。我の呼び掛けに応じ、氷矢が敵を貫かん。サギッタ・スティーリア!」

氷の矢が勢いよく放たれ、霊魂へと突き刺さると、魔物は霧散した。
だがしかし無数の霊魂を倒すには威力が足りておらず、再度彼女は魔法を唱えようと掌を突き出し

「……う、うああっ」
「ウィッカ! 馬鹿だな、無理すんな!」

詠唱の直後に小人は広げた掌で、ひらひらと舞い落ちる彼女を優しく受け止めた。
……無理をしてほしくはないが。

「英子ちゃん、アシェルくん。魔法を使えるか?」
「ごめんなさい、私は回復の魔法しか……」
「すまねぇ、無理だ」

物理的な方法で排除できないなら、太刀打ちする手段は限られる。
手をこまねいていれば、被害を被る。
冷静でない彼女に代わり

「このまま戦っても勝算はない、退却しよう!」

命令すると、彼らも分が悪いと判断したのだろう。
後退りしつつ、魔物と距離を取った。
ただ一人イザベラを除いて。

「イザベラさん、逃げましょう!」

立ち止まるイザベラに、声を張り上げた。
だが彼女は退くどころか、前進していく。

「貴方たちは私に救いを求め、やってきたのですか〜」
「……」

ウィスプはうんうんと頷くように、上下左右に動く。
どうやら人語を解する知性があるのかと。

「ならば私が救済いたしましょう―――老いと死の咎を背負う魂。メタモルフォシスの慈悲によりて、新たな生命へと導かれよ」

イザベラが首から下げたペンダントを握り締め、手向けの言葉をウィスプは消滅し―――辺り一面は緑の光に照らされた。
一行は絶えず明滅する蛍の求愛の如き光に見惚れ、呼吸もせずに神秘的な光景を瞳に焼きつけた。
魔物に遭遇し、倒すか逃げるかしか、頭になかった。
だが彼女は意図を読み取り、魂へ救いの手を差し伸べた。

「ハァ、慣れませんわね〜」

 緊迫した場面から解放され、イザベラは汗を拭う。
荒い息遣いを整えるように彼女は口をすぼめ、ゆっくりと吸っては吐き、平然を装った。
表情の読みにくい細目だが、見るからに疲労しているのが見て取れる。

「根を詰めすぎたかもしれません。そろそろ休憩にしましょうか〜」
「他の冒険者と合流しましょう。君たちもそれでいいかな?」

賛同の意思を確認し、瓶につめた羽根を一枚手に取ると、僕は管理区域へと向かうのだった。


王国の管理区域にて


羽根を使うと急ブレーキを踏んだバスで立っている時のように足元がふらつき―――次の瞬間には煉瓦の壁が視界に映った。
一瞬の出来事で困惑したまま振り返ると、背後に姿見が置かれていた。
後ろ脚だけで垂直に立ち上がり、敵を投げ飛ばす、躍動感溢れたカブトムシ。
六角形の巣に鎮座するスズメバチ。
鎌を広げ、威嚇するカマキリ。
獲物を捕らえたトンボ。
数々の昆虫の装飾がなされた至高の逸品に、青年は目を奪われた。

「Thank you for your efforts(お努めごくろうさまであります)」

駐在兵が一行に敬礼し、出迎える。
兵に頭を下げて外に繰り出すと焚き火を囲う冒険者たちが胡座をかき、現地で仕入れた肉を焼く。
フライパンの上から漂う芳ばしい匂いに、青年が鼻をひくひくと動かすと

「Don't eat my meat.(俺の肉を喰うなよ)」
「First come, first served!(早い者勝ちだっつうの!)」

微笑ましいやりとりが、彼の前に飛び込んだ。
団欒する彼らからは、血生臭い戦闘を生業とする冒険者とは思えない。
張り詰めた糸は簡単に切れる。
冒険者として長く活躍できるのは、彼らのようなON、OFFの切り替えの上手い人間なのだろう。
呆けた顔で食事を眺めると、腹の虫が鳴いた。

「……僕たちも食事にしようか」
「賛成だ、腹減って力なんかでねェよ」

枝を拾い火をつけると、野菜のクズを刻んだスープに乾パンを浸し、胃の中に放り込む。
濃い味つけに慣れた現代人には薄味だが、腹の足しにはなった。
ただ必要な栄養を供給するための退屈な食事を済ませ

「これからは自由時間にしよう」
「おい、待てェ。火の始末はどうすんだ。放置はできねェよな」

各自に自由時間を設けることに。
だが悪魔の発言は最もだ。
簡単に勝負をつける方法として、ジャンケンを教えてみると

「クク、お前らまとめて蹂躙してやる。覚悟しろ、雑魚共ォ!」 

と自信ありげに雄叫びを上げ、そして即座に敗北する。

「ハリー。君、弱すぎだろ」
「普通はあいこが続くものだけれど」
「火の当番、ありがとうございますの〜」
「普段チビガキと、俺を馬鹿にしやがるバチが当たったんだ」
「グヌヌ、ビギナーズラックは存在しねェのか? お前ら、もっかいやるぞ!」

歯噛みする悪魔は再戦を要求するも一行は無視し、思い思いに過ごし始めた。
どこで暇を潰そうかと青年が首を左右に回すと、こちらに向かってくる影に、彼はふと立ち止まる。
待つと薄暗い闇でぼやけた輪郭がハッキリしてくる―――ソフィだ。
一つ結いのお下げにした小麦色の髪が揺らす姿は、馬が尾を振るようであった。

「ソフィさん、無事だったんですか。お二人でいかれたので気掛かりで」
「あまり見くびらないでほしいな。私も占札勇士と呼ばれる程度には実力もあるんだよ?」

そういう彼女が悪戯っぽく微笑むと、青年はよくよく観察した。
だが傷どころか息の乱れもなく、彼女の発言は真実なのだと悟る。

「でもイーサンは私の遥か先をいくけれどね」
「何か御用でしょうか? 直美さんも呼びましょうか?」
「いや、用があるのは君にだけだ」

言い切ると、ソフィは間断なく続けた。

「怒ってはいないかい、昼間の無礼を」
「事情があるというのは察しがつくので」
「……君になら話をしてもいいかもしれない。あの日の真実を」

眉尻を下げた憂いを帯びた顔は、彼女のこれからの発言が明るい話題ではないのを物語る。

「あの日?」
「イーサンが英雄の名を欲しいままにした“魔毒竜殲滅戦”。酷い殺戮と略奪、人が人でなくなった場所で私たちは生き残ってしまった……」

彼女の語りかけは終始物静かで、すとんと腹に落ちた。
王国を窮地に追い込んだ魔毒竜の厄災。
だが彼らは魔物ではなく、人の業に苦しんだのだという。

「私たちエルフと違い、間違い迷うには人の生は短すぎる。だからこそイーサンのように、人は痛みを誤魔化すのだろうね」

双眸に雫を溜め、ソフィは口元を震わせた。
きっと今まで誰にも話さず胸に抱え、生きてきたのだ。
その仕草一つで彼女の絶望が伝わり、青年は口を閉ざす。

「……冒険者を続けるといろいろあるんだ。勿論イーサンにも。君に理解してほしいとは言わないけれど。あれは私とイーサンが乗り越えるべき試練だからね」
「ソフィ、来てくれ」
「あ、呼ばれたから戻るよ。また時間に余裕がある時にでも話をしよう」
「……ええ。僕でよければ、いつでも」

ソフィに別れを告げ、青年は就寝までの話し相手を探し出す。
だが英語は聞き取れず、必然的に相手も限られ退屈だ。
テントに戻るとイザベラは火に頭を垂れ、独り言を抑揚をつけず延々と唱え

「よく飽きもせず、神に祈りやがるな」

ぼやくハリーなど気にも留めず続ける。
三神の信徒である彼女を見守りながら

「イザベラさんは信心深い方ですね」

ふと心の声が漏れると、彼女は青年の方に向き直り、朗らかに微笑む。

「あら〜、話しかけてくださればよかったですのに〜」
「邪魔したら悪いかなと」
「いいんですの〜。ヴォートゥミラ三神の教えに、汝が隣人を大切にせよとの文言が書かれておりますもの」
「気になったのですが、モルマスのステンドグラスには、どのような意味が?」

宗教に明るい彼女ならば知っているだろうと訊ねると

「ステンドグラスに描かれたテントウムシをご覧に? あれは幼虫がメタモルフォシス神による変化を、蛹は幼虫と成虫の中間であるシグニフィカ神を、成虫が絶対の不変と安定のイミタ神を、それぞれ表現しておりますの」
「ええ。途中で怪物が襲いかかって、ゆっくり見学できませんでしたが、やっと理解が深まりました」
「信徒の聖地を守っていただき、ありがとうございます〜」

と、お辞儀を繰り返した。
僕だけでなく、あの場にいた冒険者全てへ向けるべき言葉だが、悪い気はしない。
表情を綻ばせた青年の表情は褒めちぎられている内に、自らの善行を照れ臭く、苦笑いへと変わる。

「いや、僕だけにしかできない善ではないですよ」
「混沌にして善良なる貴方には、必ずやご加護がありますわ。万物に進化、即ち変化をもたらす、混沌に属する者たちの守護者メタモルフォシス神の恩恵が」
「も、もういいですから。三神についてご教示願えますか?」

 やや強引に話を終わらせ、彼女は青年に三神について語り出す。

 「もちろん〜。万物は秩序、概念、変化を永劫に繰り返し、無限に終わりなき輪廻を形成する。それが三神が人々に科した祝福であり、咎ですの。元々三神は一柱の神が分かたれた姿なのですわ〜」

別々の三神が元は一柱の神だという考えは、ヒンドゥー教の三神一体を彷彿とさせた。
ヒンドゥー教ではブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3柱は、それぞれ宇宙の創造、維持、破壊という3つの役割を担う。
だがこれらの力は、1柱の神によりもたらされたというのが、トリムールティ説だ。
神の存在を信じるといえば嘘になるが―――だが、心のどこかで神に縋ろうとしていた。
だからこそ現代で、僕は宗教の本を読み耽ったのだろう。
心の孤独感を、寄る辺なさを、何かで埋めようとして。 
よく物語の主人公は、運命を切り拓くと啖呵を切るものだ。
しかし不幸が立て続けに起こり、前向きになれるほど人は強くない。

「昆虫に関する三神の格言はありますか? 僕の以前住んでいた土地に昆虫の神はいなかったもので」
「ええ、もちろん〜」

昆虫の宗教とは珍しいと興味本位で質問し、イザベラは一冊の分厚い書を取り出す。
使い古した本は黄ばみ薄汚れていたが、真摯に信仰に生きた彼女の歴史そのもの。
何度か発声し、咳払いをしてから、低いトーンで読み上げていく。

「見よ、季節を超え変化を遂げる蟲を。生まれ、老い、逝くものたちを。メタモルフォシス神が変化と死を万物に与えたのだ」
「見よ、完全なる存在に至るまで動かぬ蛹を。まるで真理を追求する哲学の徒のようではないか。無為だと思われる生にも、シグニフィカ神が意味を見出すだろう」
「見よ、枝や枯れ葉になりきる小さなものを。自然と同化し身を守る術を。人々に模倣の叡智を授けたのは、イミタ神の思し召しに他ならぬ」

言い終えたイザベラは満足気に、相好を緩ませる。
昆虫にまつわる神々というと、エジプト神話のケプリが真っ先に浮かぶ。
顔がスカラベの神で地下から糞球を運ぶタマオシコガネの姿が、古代人に太陽の運行を連想させたのだろう。
それからも教義などを聴き入る中で、次第に青年は個人的な問題を相談していた。

「どうしたらいいでしょうか。ウィッカちゃん、戦闘で役に立てないのを気にしているみたいで」
「ええと安易なアドバイスは逆効果でしょうし、難しいですわね〜」
「アシェルくんにも気持ちよく旅をしてほしいので」

明言を避けつつ、彼女は傾聴に徹した。
誠意に甘え、勢いのまま悩みを打ち明けてみる。

「万物はメタモルフォシス神が定めた生に従い、いいようにも悪いようにも変化する。人間には宿命を制御などできませんわ〜」
「……」

諦めろと促されているのか。
眉間の皺を刻む青年にも、イザベラは柔和な態度を崩さない。

「ですが〜、せめて変わるのなら互いに因縁を残さぬよう行動を起こす。人の不断の努力で、別れもきっとよき思い出になりますの〜」
「……すいません、アシェルくんの所へいってきます」

人は生まれた場所も生き方も選べない。
だがどうしたいか、どう在りたいかは選べるはずだ。
彼女に進言され、アシェルの元に向かう。
テントの小人はナイフに油を塗り、次なる戦闘に備えており、気がつくと

「どうした、寝るのか? 終わるまでは照明は消せないぞ〜」

と、努めて明るく語りかける。
困ったような愛想笑いに、無理をしているように感じ

「ウィッカちゃんのこと、イザベラさんに相談してたんだ」
「……昼間は悪かったな。ウィヴィのこと、気遣ってくれてありがとよ。あいつも救われたと思うよ」

己に従って正直に吐露すると作業に取り掛かりつつも、彼はしっかりと青年と視線を絡めた。

「いつもなんだ。俺がいくら頑張っても、俺は認められても、あいつは厄介者扱いされちまう。その度にあいつは……だから、あいつの居場所を俺が探してやりたいんだよ。あいつが笑って過ごせる、心休まる居場所をな」

俯きがちに呟くと、小人はナイフをベルトに収める。
薄い笑みには陰りが見え隠れし、青年は唇を噛み締め

「あの妖精の為に怒れるほど、君には大事な存在なんだね。大事な人が馬鹿にされたら、誰だっていい気はしないよ。僕らとの冒険が嫌なら別れよう」

大きく深呼吸し、別れを切り出す。
ウィッカを傷つける場所ならば、固執しなくてもいい。
最終的な結論を出すのは彼ら自身。
だが肝心の小人は、神妙な面持ちの彼とは対照的ににこやかだ。

「薄情だな、俺はもう少し頑張ってみるって決めたんだ。ユウがあいつの味方してくれるしな」
「僕もなるべくウィッカちゃんのいい所を見てもらえるよう、働きかけてみるよ」 

アシェルが抜けるのは組織には好ましくない。
仲間たちに妖精が受け入れられるまでは大変だが、これにて一件落着。

「ちょっとイザベラさんに御礼をしにいくよ」
「俺もついていく」

胸を撫で下ろした青年はアシェルと共に外に出るが、彼女はおらず、火の番をした悪魔に訊ねた。

「ハリー、イザベラさんは?」
「あァん? 小便しにいくんだとよ」
「……そうか」

ただでさえ女性の一人行動は危険だというのに、夜間に単独行動とは。
男には頼めなくとも同性の直美、英子には同行してもらうべきなのに。

「探しにいこう、アシェルくん……」
「きゃあああ!」

甲高い叫声に仲間のみならず、周囲の冒険者もどよめく。
……彼女にもしものことがあれば。
俊敏に駆ける小人の背中を追い、青年はイザベラの無事を願うのだった。



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