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異世界のジョン·ドウ ~オールド・ハリー卿にかけて~ 第32話 ただ一言が口にできなくて

蔦は氷塊に螺旋状に巻きつき、悪魔の体をびっしりと覆う。
自らにあの魔法を使うとは、自殺行為にしか思えないが……静観するとどこからともなく、ワイングラスを取り出す。
それを見て、青年はますます悪魔の意図がわからなくなった。

「自殺なんざしなくたって、すぐ殺してやるよ。ケケッ!」
「弱い獣が、よく吠えよるわ」

煽りを一蹴すると、伸びた蔦はスクラッチの戴く冠にまで到達し、黒にも似た濃い紫の粒が実る。
それを摘み、腕に血管が浮くほどの握力で握り潰すと、グラスに絞り汁が注がれた。
容器を円を描くように回し、空気と混ざった芳醇な匂いを堪能すべく、鼻を近づける。
恍惚とした表情からは、死が刻々と迫るのを受け入れたようには見えない。
―――あの悪魔、ここから何か打開する策がある。

「最後の晩餐か? 呑気なもんだな、オイ」
「グラスで飲む果汁……格別の味わいだな。バッカス様から頂いた酒には、流石に敵わぬが」

喉を鳴らし飲み干したスクラッチは、一行を見下ろしつつ

「氷塊に閉じ込めたのは、褒めてやろう。だがこの程度で、神より零落した俺様を倒せるなどと思うな」

自信たっぷりに言い放つ姿に、憶測が確信に変わる。
近くにいては危険だ、退避せねば!

「離れろ、皆!」
「大地の精霊ノーム。人の子育みし大地よ。汝が怒り、おおいなる禍(わざわい)と死の断罪をもたらさん。テッラ・エモトゥス」

詠唱が始まるや否や、大地が揺れる。
間が悪い、こんな時に地震か?!
足元がぐらつき、立っていられず膝をつくと、周囲の緑は悲鳴を上げるかの如く唸る。
見上げた青年は、口が裂けそうなほどに口角を吊り上げるスクラッチを双眸に映し、ようやく悪魔の仕業だと悟った。
まさか人間と心中でもするつもりか?
このまま悪魔の思惑通りにさせては駄目だ。
彼は喉が枯れんばかりに声を張り上げた。

「ここにはまだ治療や運搬中の冒険者がいる。彼らの避難を!」
「そうね、まずは皆を悪魔の魔の手から守るわよ!」

砂塵が舞い上がり、視界が不明瞭の中、咳き込みながらも絶えず意思疎通する。
……この声を届けなくなれば仲間だけでなく、冒険者たちも。
揺れが止まり、土埃に包まれると五感の内の1つ、視覚が一時的に機能しなくなり、徐々に冴え渡る感覚は忍び寄る足音を感じ取った。

「だ、誰だ!」
「私よ」

背後から現れた直美は、竹を割ったように率直に返事した。
敵対するスクラッチに各個撃破されるのが、僕らにとって最悪の結末。
仲間と寄り集まれば、そのリスクは減るだろう。
青年が警戒なく近づくと

「グハッ!?」

突然襲われ、鋭い一発は腹へ綺麗にクリーンヒットする。
胃への衝撃により猛烈な吐き気を催し、血と共に内容物をぶちまけた。
胃液の酸っぱさが喉に残り、得も言われぬ不快感に、青年は腹の中身が全て出た後も吐き続ける。
―――悪魔の変身能力か!

「ゲホッ、ガハッ……ハァハァ……」
「貴様の醜態を見ていると、あの女の死に様を思い出す。最後まで『三神は貴方の行いを見ている』、『私を殺した後、等しい罰が貴方に下される』などと喚いて無様だった。その神が何をした? 熱心な信者の逝く様を傍観しただけだろう。神なぞ無意味、無価値な存在だ。現に貴様の王笏も、高みの見物を決め込んでいる。これでも神とやらを信ずるか?」「……信仰に生きた彼女を愚弄するな。彼女の博愛に……お前は討たれるんだからな」

反論されたスクラッチは青年に蹴りを浴びせ、次いで月を見遣る。

「今宵の月はひときわ輝いておられる、素晴らしい」
「……月見とは、ずいぶんお気楽だな。ここでお前たちを倒さないと……また犠牲者がでる。亡くなった彼女の為にも、もう好き放題させるわけにはいかないんだ! 覚悟しろ!」

手から離れた王笏を拾い握り締め、僕は悪魔へ駆け寄った。
いくら力の差を見せつけられようが、どんなに勝ち筋が細かろうが。

「お前を許せないから、僕らは勝たなきゃならないんだ!」
「自然の前には人など塵芥同然だというのに。月の女神ルナ。闇夜遍く照らす光。我が前に立ちはだかる者へ、突き刺し滅ぼせ。サギッタ・ルクス・ルナエ」

漆黒の魔方陣が悪魔の足下に浮かぶと、青年の渾身の突きは無情に弾かれた。
なんのこれしき、泥臭く隙を……青年が腰を落とすと、月光が照準を合わせるように胸元を光らせた。
まさか、これが悪魔の魔法か?!
気がつくも時すでに遅し。
サギッタ・ルクス・ルナエは光の速度で放たれる矢。
故に必中必殺、狙われた獲物を確実に仕留める。
月から向けられた一筋の光条が射抜き、青年は痛みのあまり絶叫した。

「グアアアアッッッ!!!」
「ハハハ、惨めだな。貴様の存在は心底不愉快だ、故に抹殺する」

嘲笑もそこそこに、スクラッチはトドメを刺すべく歩み寄る。
距離が縮まれば縮まるほど、僕の死も近づく。
ここまでか……青年が挫けかけた瞬間、悪魔の前に誰かが行く手を遮った。

「貴様が生き長らえているということは、悪魔の指揮官もまだ息があるようだ。ククク、まるで手足をもいでも死なぬ虫けらだな」
「……ハァハァ……あの野郎を潰すまで……死ぬんじゃねェ……甘ったれが……」
「……ああ、悪い……死ねないよな……」

絶え絶えに息を吐く低い声が響き、応じると青年は震える腕で体を支え、何とか立ち上がる。
ハリーの背後からは下級悪魔が治癒を施しており、次第に痛みは引いていった。
仲間も続々と集う、ここからが本番だ。

「よく持ち堪えてくれたわ、後は私たちに……って、私がもう1人?!」
「変身の魔法だ、嬢ちゃん!」
「いい気になるなよ。殺戮の宴をまだ終わらせるつもりはない。さぁ、次はどう手を打つ?」

刀を抜いたスクラッチが直美に斬りかかると、反撃した彼女の武器、穐津との金属音が絶え間なく響いた。
一糸乱れぬ剣戟(けんげき)が途絶えた瞬間、どちらかは命を落とす。
悪魔特有の変身能力、厄介極まりない。
これでは本物の悪魔がわからず、攻撃は不可能だ。

「あの野郎、せこい真似しやがって……見抜く策はあんのか?」
「今、考えている。とにかく間に入って止めよう。でないと彼女が危ない」

本物を判別できぬ以上は、両方を助けざるを得ない。
姑息な手にまんまと踊らされ、青年は歯噛みした。
彼女に刃を当てぬよう、王笏の切っ先を地面へ向けるように身構え

「あの悪魔の正体を見抜く手段があるはずだ。それまでは停戦を……」

 休戦を呼びかけた青年を、待っていたと言わんばかりに不敵に微笑む。
わざわざ言われずとも、彼女本人ならば、仲間には絶対に手を下さない。
割って入って矛を収めるよう接近した隙を、悪魔は虎視眈々と狙っていたのだ。
力強く踏み込み放たれた、赤錆の甲冑の隙間を縫うかの如き刺突は、全身を覆う金属から唯一素肌の露出した部分―――顔を狙っていた!
まずい、避けなければ……青年の束の間の判断は、回避する時間を奪う。
瞬間、鋭い痛みが青年の身体を貫き、全身に電撃が走ると、血飛沫に染まる悪魔が眼前に立っていた。
何とか眼を刺されるのは免れたようだが、右の頬を灼熱の苦痛が支配し、彼の顔は苦痛に歪む。
勢いよく引き抜かれ、鮮血の溢れる紅の刃を目の当たりにし、怒号、悲鳴、叫換。
様々な仲間の反応が、鼓膜を震わせた。

「ヒャハハ! 我々に楯突くものは、こうなる宿命なのだ! 次は別のお仲間の姿で、貴様らを屠ってやる」

悪魔は高笑いし、すぐさま小人へと変化する。
馬鹿の一つ覚えではあるが、その能力は憎らしいほどに、こちらの泣き所を突いてくる。
青年は言葉にならぬ呻きを口にし、膝から崩れ落ちた。
激痛と共に悔しさが滲み、目頭が熱くなっていき、哀哭(あいこく)の雫は左の頬を濡らした。
卑劣で人の命を何とも思わない悪魔に、僕は負けてしまうのか。

(……チクショウ、彼女の弔いすらできずに逝きたくない……)

「今度はアシェルに。鬱陶しいわね!」
「……うざってェ……よほど惨たらしく……死にてェようだな!」

 怪我もしていないはずの悪魔の頬からも血が流れ、ハリーの顔半分を、猿の顔面としか形容できないほど赤く染めた。
眉間に青筋を立て、丸太の如し腕で力任せに振り回す、巨木すら断つであろう戦斧の一閃。
華奢で小柄なアシェルが受ければ、命すらも容易く両断するだろう。
最初はゆっくりとした振り回しで、避けるのも簡単そうだった。
だが次の横に薙ぎ払う攻撃は剣客の居合の如く、疾く、鋭く、容赦がなかった。
野球では打者を打ち取るのに緩急を交えるが、それは反応できぬようにするため。
よく観察すると露出した腕の筋肉は、緩慢な動作の際は通常通り。
しかし本命の一発を当てにいく時は、はちきれんばかりに膨らんだ。
―――それはまるで舞踊のようで。
さながら殺戮の舞踊(Killing Dance)だ。

「殺す気かよ、クソノッポ!」
「……いいじゃねェか、くたばってねェんだからよ……うるさくて避ける方が本物だな……」

痛みを痩せ我慢しているのか、ハリーは奥歯を噛み締め、途切れ途切れ返事した。
なんて無茶苦茶な。
だが僕らの攻撃から逃れる為に化けているのなら、スクラッチにとって、これほど嫌な攻撃もない。

「仲間割れとは都合がいいな。今度は虫の息の貴様の模倣だ!」  
「チッ、次から次に……」
「まずいぞ、万が一本物のユウを攻撃しちゃったら……」

取り乱す中でこの状況を脱する術を見つけた青年は、1人だけ狂気の微笑を湛えた。
彼の脳裏を掠めた攻略法は、まともな神経をしていれば試そうとも考えないからだ。

 「悪手だな、スクラッチ。それで僕を追い詰めたつもりか」

腰のベルトからナイフを手にし

「傷だらけなんだ。満足に動けないユウで、悪魔をやれるとは……」

小人の正論が、耳を通り過ぎた。
もし目的に気がつけば、仲間の声はノイズになる。
理性の箍(たが)が外れた今しか、最善の策は取れないのだ。
手っ取り早く打開する手段―――自らの傷を抉り、青年は苦悶の表情を浮かべた。
場が騒然とし、困惑した一行に

「グウッ! ハリーが痛みを感じているだろう、あっちが偽物だ!」

指差すと、流石にスクラッチも予想をしていなかったのだろう。
瞬く間に直美は息もつかせぬ敏捷さで、棒立ちの悪魔の背後に立つ。
切られる寸前までの刹那、悪魔が彼女の存在を感じ取れたのは、おそらく刀の風切り音のみ。
悪魔の背に刻まれた敗北の証は、同時に今日まで悪魔を討つ謀略を立てた、青年と彼女の信頼の証でもあった。

「……ギギギ……俺様の正体を見破る為に、自傷するだと……狂人めが!」
「……ああ、これが最善の方法……ならな……」

スクラッチが狼狽えるや否や、空に浮かぶ天体に向けられた刀身が輝きを放つ。
縦、斜め、横と、あらゆる方向からの斬撃の雨が悪魔を襲う。
突然の奇策と目にも止まらぬ強襲に戸惑うアシェルも、千載一遇の好機を理解し、彼女に加勢してナイフを飛ばした。
これだけやれば、あの悪魔も……涙で霞む瞳を見開くと

「ウォォォウ、アアアァァァ!!!」

最後の力を振り絞り、ふらふらになりながらも立ち上がるスクラッチは

「クヒ、いいのか?! 悪魔の指揮官! 俺を殺せば女の居場所はどうなる! 王笏の真実は!」

情報を教える対価に見逃せ、という算段だろう。
手を止めた仲間は悪魔から離れると、交渉が決裂したリスクを鑑み、いつでも攻撃に移れるよう構えた。
自らの悪事を反省もせずに、よくも抜け抜けと。
生き汚いとは、まさにこのことだ。
僕は両手で王笏を握り締め、駆け寄ると間髪入れずに突き刺した。
柔肌を破る際の肉の壁が押し返す独特の感触に、青年は口許を固く閉じ、感情を抑え込む。
極悪非道な悪魔といえども、生物を殺すのは抵抗があったからだ。

「後悔する……ぞ?」
「……もうお前から……情報を聞き出そうとは思わない……地獄で彼女に贖え!」

冷淡に告げるとスクラッチは倒れ

「……もう何も見えん……策を弄し……何故負けた……」
「……信ずるもののないお前が、仲間と手を取り合い……力を合わせた僕たちにやられた。これは彼女の正しさを示す勝利だ」

悪魔を見下ろす青年が悪魔の心臓を貫き、イザベラの弔いは幕を閉じる。
この悪魔を倒そうが、失った彼女の生命が戻りはしない。

「……遺体を……探しにいかないと……」
「森に入るなら、まず傷を治さないと」
「……ああ、そうだね」

戦闘の最中にはさほど感じなかった痛みが一気に押し寄せ、僕は衣服が汚れるのも厭わず、そのまま横になった。
眉を八の字にさせた直美は先まで返り血を浴び、鬼の形相を浮かべた人間と、同一人物とは思えない。
傷薬を取り出した彼女は、小動物でも撫でるよう、繊細な手つきで白濁色の液体を塗っていく。
慈愛に満ちた緋色の掌に、穏やかな呼吸を徐々に取り戻すと

「The body of a nun(修道女の遺体だ)」
「This girl would have been with you guys(この娘は君たちと一緒だっただろう)」

慌てた男性たちが修道服を着た遺体を、数人がかりで運びつつ、こちらへ駆けつけた。
近くを彷徨(うろつ)いた冒険者が、イザベラを発見してくれたようだ。
死後、弄ばれた形跡はない。
すぐに駆けつけたのが、不幸中の幸いだった。
彼女がいなければ、アシェルとウィッカとは険悪だったろう。
感謝してもしきれない。
だがしかし

「ごめんなさい、イザベラさん……ごめんなさい……僕のせいで……」

ありがとうの一言は、いつまでも口にはできなかった。
潤んだ瞳で亡骸を抱きかかえ、延々と謝罪するも、気持ちは一向に晴れない。
嘘の噂を垂れ流し、冒険者を餌に悪魔を呼び寄せた。
原因の一端は僕にもあるのだ。
安っぽい言葉1つで、自らの罪を帳消しにしようとする卑しさに、僕は僕自身に無性に腹が立つ。
責任を果たすには、殺戮の元凶になった悪魔たちを滅ぼすしかないのだ。
悪魔に捨てられたペンダントを彼女の首にかけ、青年は立ち上がった。

「大丈夫? 少し休んだ方が……」
「いや、いこう、まだ悪魔は森に潜んでいるはずだ。全て終わらせる為に」
「管理区域は、王国兵と冒険者に任せておけばいいしな」
「でも先に彼らに会いにいこう」

小人にこくりと頷くと、彼女の肩を借りながら、青年は覚悟を胸にある場所へと向かうのだった。


拙作を後書きまで読んでいただき、ありがとうございます。 質の向上のため、以下の点についてご意見をいただけると幸いです。

好きなキャラクター(複数可)とその理由
好きだった展開やエピソード (例:仲の悪かった味方が戦闘の中で理解し合う、敵との和解など)
好きなキャラ同士の関係性 (例:穏やかな青年と短気な悪魔の凸凹コンビ、頼りない主人公としっかりしたヒロインなど)
好きな文章表現

また、誤字脱字の指摘や気に入らないキャラクター、展開についてのご意見もお聞かせください。
ただしネットの画面越しに人間がいることを自覚し、発言した自分自身の品位を下げない、節度ある言葉遣いを心掛けてください。作者にも感情がありますので、明らかに小馬鹿にしたような発言に関しては無視させていただきます。


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