【有料】ヴォートゥミラ大陸異聞録 冒険者の教官エイダン・ウォードの熱情の物語
フィリウス・ディネ王国の無償の冒険者育成施設、『巣立たぬ雛の鍛錬場』では、今日も明日の英雄を夢見る兵が鍛錬に勤しむ。
肩まで髪を伸ばす土色の衣を羽織る青年は、藁の人形に駆けられた的を射んと弓を構えた。
腰の矢筒から1本取り出すと、彼は片目を瞑り集中。
距離を測って放つも矢は的を大きく外れ、鍛錬場を囲う灰色のコンクリート壁へとぶつかっていく。
「……うっわ〜、全然当たらねぇ」
「動かねぇ的にも命中させられないんじゃ、魔物相手なんざ到底ムリムリ」
そして訓練に励む者たちのやりとりを、腕組みし眺めていた白髪に髭を生やし、顔や腕に傷が刻まれた、碧眼の中年が1人。
彼の名はエイダン・ウォード。
かつて中庸の精神を尊ぶ冒険者集団『ピューパ・シグニフィカ』のサブリーダーを一時期務めた、大陸有数の実力者である。
長年務めたギルドを引退する際に周囲から惜しむ声はあれども決意は固く、今では教官として後進に技術を教えている。
「エイダン先生、見ててくれましたか〜」
「せめて木偶人形の胸に当てねぇと、いつまでも俺の小言を聞くことになんぞ〜。構えは言われた通りにできていた。甘めに採点して5点、ってところだな」
「き、厳し〜っすよ、教官……」
弱音を吐く弓使いと彼の相棒へ
「この程度で音を上げるな。凶暴な魔物に同業者の寝首を掻く冒険者……お前たちを取り巻く世界は、俺以上に厳しいぞ? 諦めるか、坊主共」
「まだまだこれから、百発百中目指しますよ」
「……今更諦めるのも頑張ったの、勿体ないんでやりますけど」
問いかけに熱意に欠けた返事をした冒険者らに、エイダンは溜息を漏らすと
「お前らは俺と同じ凡人なんだ。必死こいてやんねぇと、命がいくつあっても足りやしねぇぞ。ほら、さっさと鍛錬に戻れ」
「へ〜い」
曖昧な返事をした2人に喝を入れると、彼らはそそくさと訓練へと戻っていった。
そんな苛立ちを隠さないエイダンの顔色を伺いつつ、糸目の青年が声をかけた。
「…·あ、あの〜、ちょっとよろしいですか、教官? 依頼の薬草を取ってきたんですけど。これで合っているか気になって」
「せっかく戦闘を教えたってのに。意気地のねぇヤツだ。お、〝勇敢なる者の足跡〟で間違いねぇな。下痢止め、咳止め、止血、強壮に効くんだよ。早く依頼者に届けてやんな」
「はい、ありがとうございました」
糸目の青年を称えると、彼は頭を下げて感謝しつつその場を後にする。
ヴォートゥミラの至る場所に自生した、垂直に伸びた10cmを超える花茎と、地面に密着した大きな緑葉が特徴の雑草だ。
冒険者の靴に種がつき、彼らの足跡を辿って生えたという逸話から、大陸ではこの名称で浸透している。
これからも強く逞しい勇敢なる者の足跡は、己が命を繋ぎ、冒険者の物語の生き証人となるだろう。
エイダンが熱心に後進の指導に当たるある日、その天才は現れた。
「お初にお目にかかります、エイダン・ウォード教官。僕の名はジェームズ・ヘルナンデス。祖父が貴方の所属していたギルド『ピューパ・シグニフィカ』に、大層世話になったようで。冒険者になる前に、鍛えるよう奨められましたが……随分貧相な施設だ。修行中の冒険者も弱々しいし、本当に上達できるんですか? 甚だ疑問ですね」
橙の頭髪に前髪の一部に朱色が混じるツートンカラー。
フリルのついた白シャツに刺繍が施された紅蓮のベストを纏い、下半身にはオレンジのブリーチズを着用。
腰のベルトには蝶の蛹の装飾のなされた、値の張りそうな短剣を携える。
睫毛(まつげ)が長く、アーモンド形の赤の瞳に確かな闘志を宿す、血色のよい貴族の少年がエイダンに師事を求める。
周囲への蔑視を隠さぬ物言いに
「どこの誰だか知らないがお前、たいした自信じゃねぇか。もういっぺん言ってみろよ!」
背後から鍛錬場の冒険者の1人が少年へ襲いかかるも、振り返ることもなく、手にした短剣を胸にかざし
「身の程知らずがいたものだね、イマーゴー……あれあれ、僕に攻撃するんじゃなかったのかな?」
冷笑すると冒険者は、何もない空間で転倒した。
何事かと両目をぱちくりさせる彼は、次の瞬間には突然に頭を抱え、周囲へと目を配る。
理解の及ばぬ状況だが、冒険者に何かしたのはジェームズであるのは誰もが理解した。
「安心しなよ、大事にはならないさ。ちょっと悪戯好きな幽霊の相手を君にしてもらうだけ……ま、いつ飽きるかは知らないけど。観衆にも僕と君たちの間にある序列を、超えられない壁を理解できたかな?」
「あれ、確か最近話題のヤツじゃねぇか? 冒険者志望の貴族の〝天才〟がいるってさ」
彼を取り囲む噂に聞き耳を立てたジェームズは
「何が天才だ。凡人は慰めの為に、すぐ才能の一言で片付ける。凡庸な上に上達する意地も気概もない俗物共め……」
と、歯を剥き出しにした。
エイダンは才気溢れるも傲慢な印象を与える少年に、ある男を重ねていた。
そして彼の驕りを徹底的に矯正せねばと決意した。
数十年前
黒ずんだコンクリートの外壁と蝶の看板が目印の、質素な建物には屈強な冒険者らが集い、顔を合わせていた。
『ピューパ・シグニフィカ』の本部ではリーダーの引き受けた依頼や今後の方針について、真剣な面様で語らう。
さながら冒険の最中と遜色ない緊張が漂う一室に、ふらふらと千鳥足で訪れる、場違いな男が1人。
「また二日酔いでおでましか。いい身分だな、ブレイデン。依頼後の休息期間だけだ。酒の過剰摂取が許されるのは。支障がでるだろうが」
「それでもお前よりは、結果を残してるよ。悪かったな、名前を覚える気もしない凡人くん」
注意された男は近寄り甘ったるい匂いの息を吐くと、嫌味ったらしく20年以上も前の若々しい青年のエイダンへ返事した。
天賦の才覚とは、よくいったものだ。
彼は武術の技は習えば吸収、魔法はすぐさま習熟と、鳴り物入りで『ピューパ・シグニフィカ』に入団した天才ブレイデン。
小麦色の髪を弄り、眠たげに半分だけ開いた瞳は黄金の輝きを放っていた。
着崩した服のだらしなさを隠すように緋色のローブで半身を覆うも、ブカブカのズボンで締まりのない性格だと一目瞭然だ。
事実を突かれた苛立ちか、あるいは埋められない嫉妬か。
尖った唇からエイダンは、昂ぶる感情をそのまま吐き出す。
「……テメー、調子こきやがって。いつか痛い目みるぜ、天才くん」
「やめないか、エイダン。本人が後悔しない限り変わらんさ。次の依頼は『犬頭の亜人討伐』と、『廃都の遺産』。難度が違いすぎるな。今いるメンバーで、2つのチームに分かれよう。ではまずエイダンから……」
赤みを帯びた茶髪のリーダーが喧嘩を仲裁して、冷静に仕事を割り振っていく。
淡々と依頼を受け持つ者が名前が読み上げられた時、エイダンは雷鳴に打たれたような衝撃を受ける。
「廃都の遺産の依頼にはブレイデン、君にも参加してもらう。以上、任務の達成をこなせるよう、日々邁進してほしい」
「……悪いな。でもこれが周囲の正しい評価だからさ。恨むなら自分の無能を恨めよ、凡人くん」
冷笑を浮かべた天才の背を睨むも、同じ依頼を担当した仲間に肩を叩かれて平静を取り戻す。
まずは自らの任務の成功だ。
だがもしもブレイデンが遺産を探し出したら、さらに差が開くのでは……そんな不安が鎌首をもたぐ。
俺はいつまでも凡人のまま、あいつの後を追うだけなのか。
この時はまだ悲劇が起こるとは、エイダンは思いもしなかった。
鍛錬場にて
「確かに強さを誇示するだけはある。鍛錬場の連中が束になろうと、ジェームズには勝てないだろうよ。ここで得るものは殆どないかもしれねぇ。教官にも敵うヤツは1人2人いるかどうか……ダイヤの原石、そう呼ぶに相応しい逸材だ。俺の知る天才にも引けを取らないほどの……」
先ほどとは打って変わって、ジェームズは得意満面に口角を吊り上げた。
実績ある人物に実力を認められたという箔がついたのだから、喜ぶのは至極当然だ。
「並々ならぬセンスと才気なのは見てわかる。俺が実戦で稽古をつけてやろう。戦闘中の俺は猛獣だと思え、本気でこい」
一呼吸置いて
「武術や魔術、手段は問わねぇ。一撃でも当てたら合格、シンプルでいいだろ?」
「たった一発だけ教官に当てれば合格だなんて、随分楽でいいですね。イマーゴー」
ジェームズが詠唱を編み、黒の魔法陣が夜を照らす月のような、妖しい光を放つ。
あれは先ほど彼が使用した、不可視の霊を呼び出す呪文。
並の冒険者ならば、対処は困難を極める―――だがしかし若き天才の眼前に立つ男は英雄と称賛された、百戦錬磨の冒険者であった。
魔物との戦闘は勿論、心得ている。
対人での読み合い、化かし合い、心理戦さえも。
顔に傷こそあるものの五体満足で中年に至るまで、数十年もの間、彼は生き長らえた。
数多の骸を踏み締めた、人ならざる偉容の存在を仰ぎ見る天才は、何処かで軽んじていた。
生死を分かつ状況判断を、常に正解し続ける困難を。
最善を選択してきたからこそ、彼は英雄に、教官になれたのだと。
「シグニフィカ=エイワズ」
Sに似たルーンが手にした槍の切っ先に刻まれ、エイダンは瞬間的に稲妻を纏う。
と、間近まで接近していた幽霊は断末魔を上げ霧散した。
あっさりと崩された攻めの一手、
才覚溢れる少年は心の何処かで侮っていたものの、認めざるを得なかった。
この元英雄は間違いなく〝本物〟だと。
雷槍を握るエイダンを武器を持ち替えると、あえて柄の部分を対峙したジェームズに向ける。
あくまで訓練、刃物を突き刺しあう殺戮には発展させない。
だが巨大な獣と遭遇し、彼らが冒険者を無傷で帰すかと問われれば否。
冒険稼業に多少の痛みはつきもの。
鍛え上げた技を惜しみなく振るい、彼をくまなく磨く。
彼が地面を蹴り上げると同時に瞬く間に距離が詰まる。
そして誰もが幾度となく耳にした雨音と共に鳴り響く、雷鳴の如き唸りが晴天降り注ぐ大地を這う。
両者の間合いは互いの拳が届くほどに縮まるも
「……疾ッ! けど僕を舐めるな!」
ジェームズは冷静に精霊へと祈りを始めた。
魔法を放つまでの詠唱中は、魔法陣の無敵の防壁に守護される。
近接戦を主とする戦士が、魔法使いに延々これをやられるとお手上げだ。
攻防一体の反撃の手段、無謀にも似た攻めを戒める牽制。
(……やはり才能は申し分ない。ジェームズのこの判断は、最善に近いな)
「覚悟してくださいよ、教官! 炎の精霊サラマンダー。灰と化すまで焼き尽くす、焦熱の紅焔。業火が燃やすは、血肉か魂魄か。時に愛の言葉を囁き、戦場では不死鳥と形を変えよ。フォルマ・アルデンティア!」
(俺が迫っていった、この状況で〝完全詠唱〟かよ?! ジェームズめ、肝が座ってやがる!)
魔法には詠唱に4つの種類がある。
詠唱をしない無詠唱、魔術の名前のみの短縮詠唱、呪文を絡めた通常詠唱。
そして最後に完全詠唱。
魔術の効果と威力を最大まで高めるも、魔力の消費も甚大だ。
さらには一言一句間違えずに呪文を読み上げるため、戦闘への慣れと極度の集中を要する。
ハイリスクハイリターン故に普通は短縮、通常の詠唱が実戦において多用され、頻度の限られた完全詠唱の実戦での使用は、一朝一夕で身につくものではない。
(……確かに天才だな、認めるよ。だがな、その驕りを粉々に砕かにゃ、俺が教官になった意味がねぇのさ!)
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?