シン・始皇帝
シン・始皇帝。そう呼ばれる英雄が数百年前にいたとかいなかったとか。そんな伝説がぼんやりと年寄りの間で口伝えに受け継がれていた頃の話。
シン、と表記しているのはどんな漢字なのか誰もわからないからだ。新時代の幕開けとして『新』という説。真の皇帝という意味で『真』という説。神に最も近づいたということで『神』という説。
そして最も有力なのが、かつて治めていた時代のこの地の名前を取って『秦』という説。
まぁともかくその皇帝が何故今さらになって話題になったかというとその皇帝の莫大な遺産が見つかったらしい。
都市部からかなり離れたこんな小さな村では嘘か誠かはどうでもよく、朝から晩まで至る所がその話で持ち切りだった。
その額は億だ兆だ、もうとにかく庶民の感覚ではピンと来ないような額であった。
しかし、数日も経てば村人たちの興味はその遺産から始皇帝自身の伝説へと移り変わっていった。というのも、村一の物知りの長老がボソボソといろんな話を始めたからであった。
ここから北へ数百里進んだところに大きな壁があるらしく、それを作ったのは始皇帝だという。それによって北に住む獰猛な猛獣たちやそこに暮らす戦闘民族が攻めてこないのだという。
そんなふうに今の世界が平和なのは始皇帝のおかげだという話をたくさんしてくれた。どれもかっこよくて面白かった。
だが、そんな始皇帝の盛り上がりも長くは続かなかった。
実は東に数十里行ったところに技術が大きく進んでいると言われている街があり、そこに出稼ぎに行っていた男が10年ぶりに帰ってきたのだった。
帰ってきた男は村で騒ぎになってる始皇帝の伝説に首を傾げ、口を開いた。
「始皇帝はそんなすごいやつでもないらしいぞ」
その男が話した逸話は2つだった。
この国の果てに『アボウ』と呼ばれる巨大な宮殿があるそうでそこはもう廃墟となり、誰も住んでいないそうだ。しかし、あまりに巨大なため幽霊やら妖怪やらの噂が後を絶たない場所だった。
その『アボウ』。実は始皇帝が建てたというのだ。
「じゃあ、すごいじゃないか。そんな巨大なものを作れるんだろ?」
しかし話はここからだった。なんと、その『アボウ』の建造を決めた時にはもうまもなく死ぬことが医者によって言われていたそうである。つまり、完成を見ることが出来ない無駄に巨大な建物を建てたということである。
「な?マヌケな男だろ」
しかし、村人たちはいまいち納得言っていなかった。なぜならその程度のマヌケ話では揺らがないほどの熱を始皇帝という男に対して持っていたからだ。
ならば、と男が続けた方法はこうだった。始皇帝の元にそれはもう優秀な将軍がいたという。
その将軍は人望に厚く、部下たちからも慕われていたらしい。しかし、その男の訃報が突然始皇帝の元に舞い込んだ。
何事かというとある部下の裏切りにあったとのこと。
それを聞いた始皇帝は「自分の部下も裏切ろうと虎視眈々と狙ってるんじゃないか」と怯え、ある日部下たちを集めた。
「で、どうしたんだい」
集めた部下たちの前に鹿を連れてきたらしい。そして始皇帝はこういった。
『お前たちにこの馬の美しさが分かるか』と。
部下たちは「それは鹿では?」と思ったがそう話す始皇帝の般若のような剣幕に誰も口を開かなかった。
「なんだ、それは。何がしたかったんだ」
なんでも、「それは鹿です」と言ったやつは始皇帝への忠誠が足りないということで処刑しようと考えていたらしい。
「なんだ。ただ、臆病なやつじゃないか」
「そうだ。遠北の壁だって攻めてこられたら戦えないからじゃないのか」
「そんな的外れな方法で部下の忠誠の何がわかるってんだ」
そう口々に村人たちは叫び、始皇帝の波は過ぎ去った。
それから、村人たちの間である言葉が流行った。
ある村人が高いところになった柿を落とそうと懸命に石を投げていた。そこにやってきた別の村人がその男に向かってこういった。
「お前は『アボウ』か。こうやって長い棒を使えばいいんだよ」
また別の村人が火にかけていた鍋を素手で触って熱い熱いと騒いでいるのを見て、別の村人がこういった。
「あいつまた『ウマシカ』みたいなことやってるよ」
やがて『アボウ』は『あほう』に、『ウマシカ』は『バカ』に変わっていった。その言葉はこの大陸中に広がった。
それが『阿呆』と『馬鹿』の語源である。
ーーー
と、まぁこんなところだろうか。
私かい?なに、ただの物書きさ。
何言ってるんだい。『アボウ』なんて宮殿も、鹿を馬って言ったエピソードも私の作り話さ。
そんなもんなんだよ。歴史や言葉なんて言うのは。
真実を知りたければ君が過去へ行けばいい。そんな未来が来れば、の話だがね。
物書きってのはどうも面倒でね。何か大切なことを伝えるために、文章を産まなければならないらしい。
あえてこの話に意味を与えるとしたら……
『信じるか信じないかはあなた次第』
ってとこだろうか。
なに?聞いたことがある?
参ったな。それは御容赦願いたい。
最後まで付き合ってくれてどうもありがとう。そんなあなたにひとつだけ。
『シン』の本当の漢字だが、そんなものはない。ただ、『シン』ってついてるとかっこいいだろ?
裏切られたって、それが物書きの仕事さ。すまないね。ではまた、物語の世界でお会いしましょう。
〈完〉
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