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視点について。『怪物』より
今更ながら是枝監督の『怪物』を観た。ほんとに好き!邦画でここまで興奮したのはすごく久しぶりだった。
映画序盤は母親目線で、全く機能していない小学校の先生たちに苛立ちながら観ていた。保利先生の教育者としての態度に純粋に憤りを感じていた。だけど中盤から!!!視点がガラリと変わって、2人の少年を取り囲むひとつの環境を複数の立場から観察することになる。母親を見る目も、保利先生を見る目も、麦野湊を見る目も何もかも変わった。
割と初めの方からあれ?と思ってはいたのだけど、やっぱり同性愛だったんだね。麦野と依里が互いの気持ちを確かめ合った瞬間、この映画のこれまでの展開が全て繋がった気がした。依里はちゃんとそれを恋愛感情として納得できて、麦野は“常識的に考えて”受け入れちゃダメだという考えが先行していたようだったな。
怪物という題名に関しては色々な考察が出ている。この映画を見る前は、ポスターの写真を目にしただけだったから、若干のホラー要素がある、怪物が子供を誘拐する系の話かとばかり思い込んでいた。でも実際はモンスター的な物は一切登場しない。
個人的にこの映画における怪物というのは、一つの観点、自分よがりな視点でのみ物事を見て全てわかった気になっている私たち人間のことを、比喩的に表現しているのではないかと考えた。「怪物だーれだ」というセリフが何度か出てくる。これは過保護気味な母親、ヤバすぎる校長、無愛想で正義感強め保利先生、コンサバ依里パパなど、思想の偏った自分の世界に生きている人々に向けた問いかけであり、映画を見ている私たちへの警鐘でもあるように思う。
ところで豚の脳ってどういう意味?まだまだ私の中に謎が多く残っているけれど、これらを少しずつ考察していくのもこれからの楽しみ。