『自分を変え、自分を知った休学』Kazuhiro Narumi
1.Who is Kazuhiro Narumi?
2.なるさんの学生生活
川口:なるさん、こんにちは!お久しぶりですね!今回は改めてよろしくお願いします!ではまず自己紹介をお願いいたします!
なるさん:まず自己紹介からだね。うーん。どう自己紹介しよう。(笑)
僕は関西大学人間健康学部を卒業していて、川口君と同じ小室ゼミに所属していました!大学生の時は、僕の代がちょうど1期生で、関西大学の堺キャンパスができたばかりだったんだよね。先輩もいないし。
だから、元々何もないところから自分達で好きなようにやりたいことやって作り上げていくような雰囲気があったね。
川口:なるほど、なるさんのクリエイティブさの原点はそこにありそうな気がします。(笑)
まだまだお聞きしたいことがたくさんあるので、大学生活の流れを整理するためにタイムラインに沿ってインタビューしていく形にしましょう!
なるさん:その方がいいね。 どうしてもいっぱい話してしまうから。(笑)
2-①.高校時代の休学
川口:この記事1枚で抑えきれるか心配になってきました。それぞれの話が充実しすぎていて。(笑) まあそれは置いておいて。ズバリ聞きます。なるさんは大学でなぜ休学を選択したのでしょうか?
なるさん:実は大学の休学の選択は、高校生時代の休学が大きく影響していて。そこから話していきますね。
高校での休学では1人で夏にニュージーランドにバックパッカー旅行に行き、冬は雪山で居候させてもらいながらスノーボードをしていました。
でも実は旅立つ前日まではいわゆる引きこもり、不登校だったのです。実は体操を辞めたことがきっかけで、人生の100%を占めていたといってもいいくらいの体操ができなくなって、無気力になって、どうすればいいかわからなくなってしまっていました。
毎日ベットから天井を見る日々の繰り返し。そんな日々の中で、同級生の向かいのおばちゃんが僕を見かねて、お茶でも飲もうと誘ってくれた。当時の僕からすれば、隣のおうちに行くということだけでも冒険のような感じで(笑)
そんな日々の中で少しづつ、動くことができるようになってきた僕におばちゃんはこんな言葉をかけてくれたんです。
と、すごく軽いノリで言ってくれたんだよね。(笑)
ABCすら怪しい僕だけど、でも確かに海外ってどんなところなんやろう?って思って。
「なるはどんなことが好き?」とおばちゃんに聞かれて、
強いて言うなら、スキーやスノーボードが楽しいかなって感じで。
ちょうどそのころが夏だったので、「今やったニュージーランドやったら、冬やから滑れるよ!!」とおばちゃんは教えてくれました。(笑)
「こんな時期やのに冬のところもあるんやなあ。。」
とか言いながら、その話をした1ヶ月も経たないうちに、ほとんどパジャマみたいな恰好でおばちゃんが車で関空まで送ってくれて、気づけば飛行機に乗っていたんだよね。(笑)
「あれ、俺なぜか一人やし、なぜか英語の世界にいる!!」
そんな感じでニュージーランドについてからは旅をしていました。
実際ニュージーランドの旅はスキーなどをして、バックパックを背負って楽しく、過ごしていました。
そんな旅の中で、ニュージーランドにいるとすごく自分が日本人であることを意識させられることが多かった。
でも、自分は
と思うようになったんだよね。
だからこの旅から帰ったら、日本を旅行するぞ!!って思ってニュージーランドをめぐっていました。
最初は、ニュージーランドをきっかけに世界一周をしてみようとかも考えていたのだけれど、それ以上に自分の国を語ることができないことがすごく違和感で。
とにかくまず自分の国を知ろう。そのために旅をしよう。と思い始めた高校1年生の夏でした。
日本に帰ってきてからは、もっとスノーボードがしたいと思い、雪山で居候させてもらえる人を探して、居候させてもらいながらずっと雪山を滑っていましたね。(笑)
当時のスノーボード界隈はとてもアンダーグラウンドな人が多く、雪山の生活ではそういう人たちが集まっているような環境でした。僕は居心地がよかったんだけれど。(笑)
でもそういった人たちが悪いとかではなくて、自分が高校という環境で学ぶことができていることのすごさに改めて気づいた。
普通のことがしたくなかったから、高校にもあまり行きたくなかったこともあったんだけど、こういう人たちと一緒に過ごしてみると、高校がいかに特別な場所であるかを感じたんだよね。
それで、「特別な場所に行くことは今しかできない」ってことでもう一度学校に行こうと思うきっかけになりました。
結果的に高校には復学出来て、残りの2年間できちんと卒業することができました!
でもどうすれば日本を回ることができるのだろうと悶々と考えて、
「就職してお金をためて、ワーキングホリデーとか旅行に行こう」
と思っていたんですけど、そんなときに母が僕に
「関西大学に人間健康学部ができるらしいよ。一回オープンキャンパスに行ってみない?」と誘ってくれたんです。
オープンキャンパスに行ってみて、心と身体の健康について学べるということを体験授業で知ってすごく進学に意欲が湧きました。
でも同時の僕は本当に勉強が嫌いで、できなくて。大学進学は夢のまた夢と思っていた矢先に、学校から指定校推薦の話が飛び込んできたんですよね。(笑)
だから、大学生になれると思っていなかったから、大学生になれたことが本当にうれしかった。大学生で日本をめぐる旅に行こう!!!
大学生の夏休みは確かに長いけれど、ニュージーランドを旅した感覚だと全く時間が足りなくて。(笑)
だから大学でも休学をしようと思って、大学へ入学することになります。
川口:なるさんのキーパーソンはまさかの「近所のおばちゃん」だったんですね。(笑)
なるさん:そうだね(笑)
でも近所のおばちゃんだけじゃなくて、その同級生の女の子も大学を休学して世界一周に行っていたり、またまた近所の別の友達は高校で休学をして、いきなりアメリカのアラスカに1年間行っていたりと、自分の人生に色んな選択肢がある環境だったことと、周りの大人が理解してくれていたことが大きかった。
まとめると
この経験が大学生になってから、活動的な自分のベースになった気がします。そして、人と関わることが苦手な僕の名刺代わりとなって、色んな人を引き付けてくれるものなってくれました。
2-②.大学生での休学~旅に出るまで~
川口:高校時代の休学の経験が、大学の休学につながることになったのですね!では、大学時代の休学について、詳しくお聞かせください!
なるさん:まあ、まとめると高校でそんな感じの経験があって、大学1~2年生は冒頭でもあったように、「大学生らしい」生活をしていました。
そして、2年生が終わり、やっと旅をするために休学の決断をしました!
でも「旅」って言っても旅にはいろいろな形があるので、どんな旅をしたいかを自分で問いかけました。
自分がしたい旅は日本一周をスタンプラリーのようにめぐるのではなく、
人を介して、刺激を受けて、少しでも日本のことや自分のことを理解するための日本一周の旅をしたかった。
そこから旅の計画を立てていったんだよね。
期間は1年間。2年休学するのは少し気が引けてしまって(笑) 高校で1年休学していることもあったし、親に対する申し訳なさもあったね。
1年は何とか説得できても、2年休学するほどの理由は作れなかった。
だから仕方なく1年って感じだったね。
次に移動手段なんだけれど、色んな選択肢があった。
車の免許も、大型バイクの免許も持っていた。自転車も昔から好きで、特にマウンテンバイク。そして、徒歩(笑)
でも人に会いながら、日本を知るためには何がいいんだろう?
まず車なんだけど、プライベートの空間すぎるのでなんか違う。
次にバイク。普段からバイクはよく載っていたんだけれど、このまま日常のツールで移動するのはなんか普通過ぎるな。却下。(笑)
じゃあ残るは人力。でも人力ってめっちゃいいやん!!って。
徒歩か自転車。振り切って徒歩にしてみるか!
ということで実際に徒歩で日本一周のプランを組んでみました。
最初から日本一周はできなくてもいいと思っていたけど、周りを説得するためにある程度可能性のあるプランを立てる必要があったんだよね。
「どこ行くかわからないけど、とりあえず旅してくるわ!」だと誰にも応援してもらえる気がしなくて。(笑)
誰が聞いても分かりやすい目標を立てないといけないなと。
ということで、日本一周に2年半くらいかかる徒歩も却下ということになり、移動手段は自転車になりました。
でもマウンテンバイクやロードバイクなど速い自転車がたくさんある中で、突然「ママチャリ」がひらめきました。(笑)
イメージしてみると、ママチャリが意外と良い!!
あまり聞かないし、自分の旅の目的である、「人を介して日本を知る」に一番合っていたんだよね。
全く知らない人でも、まず気になって話しかけてきてくれる。どうすれば人から話しかけてきてくれるかを考えた結果、こんな感じで旅をすることに。
実際の写真です。(笑)
(ママチャリに麦わら帽子、派手なシャツにサンダル)
そして、旅の持ち物。
全部揃えてから旅に出るのが普通。でも、いや待てよ。
僕はまだ若いし、まだまだたくさん失敗はできる。じゃあ、なるべく最低限の荷物でスタートしようと。
ポケモンみたいな感じだね(笑)
サトシも最初はピカチュウしか居なかったしなって。(笑)
必要なものがあれば、必要なところで買い足していこうって。
そうして僕の旅のプランが決まり、休学して旅が始まります。
川口:ちょっと僕がすごくいいなって感じたところがあって、「目標」と「目的」をしっかりと考えられているところがこの準備段階で大切な気がしました。いつも小室先生もおっしゃっているのですが、「目標」と「目的」って似ているようで違うもの。この2つがはっきりしていないと物事はうまくいかないので、大切なポイントだと思いました!なるさんの面白いところって本当にそこで、日本一周ってよく聞くとは思うのですが、それこそスタンプラリー的な旅になってしまうし。(別にどっちが良い悪いとかではないんではなくて。)
でもなるさんの日本一周の旅は目的と目標が棲み分けられているから、すごく深みのある日本一周の旅なのかなって感じました!
なるさん:「目標が目的化」してしまうってよくあることだけど、目標って手段なわけで。そうだね!僕の場合だと目的はあくまでも「人を介して、日本を知る」。そのためには日本を回る必要がある。だったらその目的をかなえるための手段として、目標を作るかってことで「ママチャリで日本一周」を目指したんだよね。
川口:すごくそこは大事ですよね。僕もこの話を小室先生から聞いていたから休学が上手くいった部分もあったので、直接その話を聞けたのが改めて勉強になりました!
なるさん:へ~。先生から聞いていたんだ。川口君のためになれて良かったです。(笑)
2-③.大学での休学~ママチャリで日本一周~
川口:では話を戻して、そして、休学して、念願の旅が始まるわけですね!! ぜひ日本一周のお話をお願いします!!
なるさん:実は2年生の夏休みに日本一周の練習として、ママチャリでどれくらいかかるかの実験で大阪から鹿児島まで行ったんですよね。(笑)
でもその時は結果的に言うと1週間くらいで鹿児島まで着いてしまったんだよね。
川口:一週間で鹿児島って早すぎないですか!?(笑)
なるさん:そうだよね、一ヶ月くらいの時間は用意していたんだけど。(笑) 自転車をこいでいくうちにアスリートの血が騒いで、漕ぐことに夢中になってしまって(笑)
気づけば鹿児島だったので、人に会うこともなく、何も変化が起きていないことに改めて気づいて、この練習のおかげで日本一周のペースを考えるきっかけになりました。
実際にスタートしたのが4月の中頃くらいだったかな。たしか少し肌寒かった(笑)
実際のルートがこんな感じかな。
とりあえず北海道の富良野までは順調に旅は進んでいきました。
(北海道 サロベツ原野にて)
川口:なるほど。一つ一つにそれぞれまた濃い話があると思うんですけど、
この中で一番印象に残っているエピソードを教えてください!!
なるさん:そうだね。あんまり長くなりすぎないようにしないと(笑)
え~と、今の暮らし方のベースとなった佐渡島でお世話になった経験かな。
僕が海で野宿していた時に、散歩していらっしゃった夫婦の方と出会いました。「ここで野宿しているなら、うちにおいでよ!」って声をかけてくださって。
「じゃあ、お世話になります!!」っていう感じで言えたことが大きかった。これまでなかなか人に頼ることができなくて。「人を介して」っていっていたものの、旅の流れになかなか身を任せられなかったんですよね。
自分が一歩踏み出せば、違う世界が待っているのになかなか行けないっていうことを旅の中で感じて、葛藤していた時期でもあったので、ちょうどそんな時に話しかけてくださったのが、その夫婦だったんだよね。
その夫婦はというと、佐渡島に移住してきたらしく、古民家をリノベーションして、住みながら奥さんは絵描き、旦那さんはネイチャーガイド。自分たちが食べていく米は、自分たちの田んぼで育てる、不耕起栽培で野菜を育てると言ったように、リアルに自給自足をしている環境を見て、衝撃を受けました。
2~3日ほど、泊まらせていただいている間も面白い出来事がたくさんあって、友人とのBBQに招待してくださって、ひょっこり飛び入り参加。その友人たちも移住者の方も多くて、「自分の中での憧れの大人」を知ることができた。
話を聞いてみると夫婦を含め、元旅人の人が多くて、中には海外の方で世界一周中だけど、居心地がいいからずっと滞在している人もいたね。
旅人コミュニティみたいな佐渡島の経験でした。
川口:いや~、素敵な話ですね!!また他のエピソードは時間があるときに
ゆっくり聞こうと思います(笑)
ではまた本題に戻りまして、日本一周が北海道・富良野で止まっていますけど、日本一周は結局どうなったのですか??
なるさん:そうだね、ここが一番のポイントなんだけど、さらっと話すと結果的に2ヶ月くらい滞在することになるんですよね。4月に大阪を経って、富良野についたのがまだ8月の頭だったんです。その間は割とトントンと進んできての富良野についたんですけど、この富良野で面白い出来事や出会いがたくさんあったんですよね。
(富良野で滞在するきっかけになった「カフェゴリョウ」。この写真は休学を終えてからの4回生のころの写真)
「明日出発する!」って周りに言うんだけど、結果的に1ヶ月くらい滞在してたね。(笑)
最初から決めた1ヶ月と、オオカミ少年のように「行く行く詐欺」をしながら滞在する1ヶ月とでは時間の流れは全く違うんだと思うんですよね。
実際、本当に身支度をして、行く準備をしていたんです。
でも行く前にあの人にあいさつしておこう。話が盛り上がって気が付いたら夕方。最期にいつものカフェによって挨拶していこうと挨拶に行けば、また新しい出会いが待っていて、「明日暇なら家においでよ」「明日暇ならバイトしない?」とか、次々と自分に色んな人が投げてくれるんだよね。投げられたら受け取るしかないし。(笑)
そんな生活を続けているうちに自分でも思っても見ないことが起こり続けるようになってきたんですね。
まさに自分が望んでいたというか、そんな旅になってきたのが富良野での出来事だったんです。
そんなことを考えていました。
でも、やっぱり自転車で旅をして休学してる以上、北海道の端っこまでは言っておきたい。一回富良野を出て、帰ってきたときにまた富良野に寄ろうと思い、旅を再開しました。
北海道の利尻島が僕の家系のルーツということ聞いていて、自分探しの旅の中で、自分のルーツの場所には行ってみたいなということで結局利尻島までフェリーに乗っていきました。
利尻島を訪れた後、その勢いで北海道1週すればよかったんだけど、結局また富良野に行きたくなってしまって。(笑)
来た道と同じ道を帰って、引き続き富良野で滞在して、不思議な出会いを楽しんでいました。
場所としては全く進んではいないけれど、人間関係がどんどん広がっていく。止まっているけれど進んでいる。
そんなまちが富良野でした。
富良野にいるにつれて、出会う人も増えていき、どんどん富良野に詳しくなる。「富良野」という社会に溶け込むことで社会を知る。
自分でもびっくりするくらい、富良野での人脈が増えていき、このまま富良野で流れてみようと思い、引きつづき富良野で滞在していました。
そんな富良野での生活の中、北海道では少しずつ雪が降るように。
この日本一周の旅のプランの中で、冬も自転車を漕ぐことは想定していた。
そのためには夏の間に北海道を回り終えていなければいけなかった。
しかし、もう秋に差し掛かっている。もう日本一周をすることは不可能と気づいたんです。
そこで大きく方向を変えて、以前からお世話になっていた長野県・白馬村のスキー場の近くでペンションを営んでいるの下で、また雪山に行こうかなと。
でも日本一周はどうしよう。
そんな時行きつけのカフェの店主さんが
と言ってくれて。
良い!!その案採用!!
結局、自転車は富良野に置いていくことに。
じゃあ本州に帰らなければいけないけど、どうやって帰ろうかと考えていた時、別のカフェで知り合った男性が
「これからトラックで本州に帰るから一緒に乗せてったろ!!」と。(笑)
自力で旅をすることも旅の目的の1つではあったけれど、
他力、人から助けてもらう、手を差し伸べてもらうことに頼ってみるという、自分の苦手なことの克服も目的の1つであって。
そんな感じで、富良野を離れ、トラックで本州まで乗せてもらい、
冬は長野でスノーボードをして、過ごしました。
結局、大学3年生になるギリギリの前日くらいまで長野県でスノーボードをしていて、「昨日帰ってきました!!」っていう感じで、ゴーグル焼けをした僕は大学に復学することになりました。(笑)
帰ってきてみんなから「日本一周は終わったの?」と。
僕は「まだ終わってない。また夏休みに行くよ。」と。
2-④.休学のその後
川口:すごい。。。なんかドラマとか小説みたいな話でしたね。(笑)
自分も旅がしたくなってうずうずしてきました。(笑)
ちなみに休学のその後から現在に至るまではどういう風に過ごしてこられたのですか??
なるさん:3回生になると周りのみんなは次のライフステージ、就職に向けて動き始めていた中で、旅の経験から僕は学びたいことがわんさかあって。(笑)
もっともっとアカデミックに学びたいという気持ちが強くて、人生で一番本を読みました。
でも文字を読むことが苦手だったので、先生に教えてもらいながら読んでいたね。(笑)
つまり、まとめると就職に関しては一切何もしていなかったね。
就職のために大学に行ったわけではないし、学びたいことを学ぶために大学に行っていたので。
僕の大学に行く目的は「知りたいと思うことを知ること」
就職するために大学に行くわけではない。
卒業してから、就職のことは考えたらいいやって考えていました。(笑)
そして、3回生の時も4回生の時も、夏休みで富良野に自転車を取りに戻るんだけど、結果的には富良野から進むことはなかったね。(笑)
バイト先にも無理を言って、試験が終わった次の日から秋学期が始まる前日までの丸2ヶ月を富良野で過ごしていました。
4回生の時、大学生として富良野にいられる最後の時に、たまたまよく泊まっていた宿のオーナーがある雑誌を教えてくださったんですね。
その雑誌はいわゆる「ローカル雑誌」ですごくおもしろかった。
そして、その出版社のことを調べてみると求人を募集していて、その勢いで電話をかけました。(笑)
「今、北海道にいるので面接をしていただけませんか」と。
今思えば、だいぶ強気だったと思う(笑)
そんな感じで就職したい会社ができてしまったんだよね。
でもこれも富良野にいなければ、そして旅をしていなければ出会わなかったわけで。
結果的に、ライター兼編集者として雇っていただけることになりました。
こうして富良野がきっかけで気づいたら僕の就活は終わっていました(笑)
でも1年くらいサラリーマン生活を続けているとまた体調が悪くなってきて、また引きこもりがちになってしまって、やめてしまうことになります。
そして、台風での水害のボランティアをしていた時に、富良野よりもさらに田舎の「南富良野」というまちに出会い、今のラフティングの会社に出会うことになって、現在に至ります。
3.休学で学んだこと
川口:では実際に休学してみて、学んだこと・休学してよかったことってあ ると思うのですが、当時感じていたことと10年経った今振り返ってみて感じることをお聞きしたいです!休学した僕としてもすごく気になります!
なるさん:当時休学が終わって、休学について思ったことは、「休学しないと自分らしくない」「むしろ休学して自分は当然」と思って始めたんだけど、やっぱり「休学して当然」だったね。自分にとっては自然なこと。そう思うね。
あと、日本一周から帰ってきて、一番驚いたのは「周りの反応が変わった」ことかな。1年間大学にいなくて、旅をして、真っ黒になって帰ってきて、
「なる、なにしてたの??」
と友達を始め、教授まで色んな人の関わり方が変わっていたのが意外だったかな。なんかちょっとした有名人みたいな。(笑)
川口:あの休学していたなるが帰ってきたぞー!!みたいな感じですね(笑)
なるさん:そうそう(笑) そして、休学な話を色んな授業で話してほしいと言ったように体験談のオファーが来るようになったね。
特に元々僕は引きこもりだったこともあって、引きこもりからの経緯も織り交ぜて話をしていると、不登校支援とか、心の病とかそういう授業にも呼ばれることも増えてきていました。
川口:なんか富良野でどんどん人が繋がっていく感じが、大学に戻っていても同じように続いているように僕は感じました!多分休学前のなるさんではこういうことにはならなかったと思いますし。そのあたりはどうですか?
なるさん:そうだね。人と関わる上で、「自分らしくいられる」ことを旅を通して学んだ気がします。僕は結局自分をコントロールするために、自分という乗り物を乗りこなす1つの手段が旅であって。
旅をすることで自分の自信になり、旅をする中で「自分」との向き合い方を学んで、そして人と関わり方を身に付ける一つが旅だったんだよね。
なので、僕にとって、自分のやりたいと思う旅に近づけられた休学の経験がなければ、今の僕はいないと思う。
それくらい、旅の存在が大きかったから、誰に止められても休学を選択できたのだと思う。自分にとって「旅」が必要なものだったから。
それは10年経った今でも思うことかな。
あの休学は自分の人生の通過点にしか過ぎない。でも、その通過点を通過していないと今の自分はいない。
休学をしなければ旅ができなかった。
旅がなければ富良野に出会えなかった。
休学をしていなければ、北海道には住んでいなかった。
自分にとっての休学は人生の中ですごく大きな意味合いを持っています。
3.最後に
今回は僕のゼミの先輩のなるさんの休学についてインタビューさせていただいた。
僕がなるさんの休学の話を聞いて大切だと思ったことは「流れに身を任せる力」だと思う。
旅を始める際になるさんは旅の目的をしっかりと考えて、その目標として「日本一周」を掲げたのだが、実際なるさんは日本一周を達成していない。しかし、旅の目的である「人を介して、日本を知る」に当てはまる旅であったのは間違いない。
目標はあくまでも手段であり、目的ではない。
人生においてもそうで、大抵のことはうまくいかないし、想像通りに行くことは多くはない。
だからこそ、想定外の事態の際にしっかりと流れに乗って、道を切り開いていけたことになるさんの凄さを感じた。
ただし、同じ「流れる」でも、「流れに乗ること」と「勢いに流されること」とは全く意味が違う。
実際に川で流れる仕事をしているなるさんはこの違いを理解している。
大きな道筋だけしっかりと立てて、あとは想定外の事態をいかにして起こしていけるか。
僕はこういう風に感じた。実際にいつかなるさんの南富良野に訪れて、「流れる」経験をしてみたいと思った。(笑)
どんな理由でも、どんな過ごし方でもいい。当初の目標が変わってもいい。自由な期間である『休学』をよりハードルの低い選択肢にするために、自由な期間である『休学』の乗りこなせられるように、今後も様々な形の休学ライフを届けていく。