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『生き方の交差点で見つけたオプション』Sayaka Suzuki

留学支援、就職支援があるなら、休学支援があってもいいじゃないか。
そんな想いから、様々な休学の形を伝える『ギャップイヤーBrothers』のnote。休学ライフは百人百色。

留学しても、働いても、何もしなくたってもいい。
どんな時間の使い方をしてもいいのが休学。
このnoteを通じて、様々な休学ライフを伝えることで、休学へのハードルを取っ払うことができたなら、僕たちの活動にとっての本望だ。

今回の記事では、『生き方の交差点で見つけたオプション』というテーマで、鈴木さやか(以下、さや姉) のインタビュー記事を執筆した。元は休学アンチに近く、休学とはかけ離れた位置にいた彼女が出会った『生き方の交差点』とも呼べる場所。そこで様々な出会いが重なり、新たに休学というオプションを持つに至る。今回のインタビューは、あらゆる人生の選択を迫られている場面で「心の支え」ともなりうる内容が詰まったインタビューだと感じている。

ぜひ、さや姉の休学ライフを読んで見てほしい。悩みもがきながらも「納得の決断」を生んだ彼女の姿や言葉が背中を押してくれる。

Who is Sayaka Suzuki?

さや姉14
鈴木さやか(Sayaka Suzuki)
学年:東京農工大学5年生(2022年度4月より、東京大学大学院に進学予定)
学科・研究:農学部で環境問題について研究中。
休学時期:大学3年生終了後
興味・関心のある分野:生き物/環境問題

1. はじめに 〜ボーダレスで紡いだ縁〜

ボーダレスジャパンの『featured articles 第3弾』。ボーダレスジャパンで紡いだ縁を元に、鈴木さやかさん(以下、さや姉)にインタビューを行った。

実はインタビューを終えて、さや姉はギャップイヤーという選択肢からすごく遠い位置にいた存在なのではないかと感じている。というのも、彼女は志望校ではない大学に入学が決まり、その憂いから「加点式の人生」を歩んでいたと話していたからだ。ギャップイヤーなどの卒業を遅らせる行為は、加点どころか減点と捉えられる行為だったのではないだろうか。
そんな中、偶然の出会いが積み重なり、必ずしも周りが求める道を歩む必要はないと気付く。愛知県の『どろんこ村』、長野県・遠山郷の『コンパスハウス』。大きな機転となった出会いが、彼女にどのような意味を与え、休学という決断に辿り着いたのかを掘り下げた記事。是非、最後までご一読ください。

2. ボーダレスとの出会い

ー さや姉、お久しぶり!ボーダレスジャパンでの活動以来かな?実はインタビュー公募をしたときに、さや姉はいい返事をくれるんじゃないかな、と思ってた節がありました(笑)

さや姉:すぐ返事したね(笑)
よろしく〜!呼んでもらえて光栄です。

ー さや姉とは、ボーダレスジャパンの『Youth Fellow』という活動で会ったんだよね。『Youth Fellow』 にはどうして参加していたんだっけ?

さや姉:そうそう!ボーダレスジャパンには元々興味があって、私も環境や社会問題をどうにかする方法をずっと探していたんだけど、見つからなかったのね。そんな中、ソーシャルビジネスの形を作り上げて、結果を出しているのがボーダレスグループでした。あとは、界隈の人が多かったのもあるかな。これまで私が出会って素敵だと思った人は、国内外に関わらず、ボーダレスに知り合いがいたり、ボーダレスのことを知っていることが多かったのね。実は『Youth fellow』の募集も誰か知り合いのシェアから見つけた感じ(笑)そこでは、後でも説明する「どろんこ村のシェアハウス・OPTION」の構想を色々と考えていました。

ボーダレスジャパンと関わりを持ったきっかけ
① ソーシャルビジネスへの関心
② ボーダレスジャパンの知り合い
③「どろんこ村のシェアハウス・OPTION」
構想のブラッシュアップ

ーじゃあ早速、学生時代の話を聞いていこうと思います。その前に、幼少期だとかで自分の軸となっている点があれば教えてください!


3-1. 幼少期 「生き物への愛」

さや姉:私にとっての原点は「生き物が好き」ってこと。小学校低学年くらいから『どうぶつ奇想天外!』をずっと見てたり、とにかく生き物が好きだったのね。そのときに絶滅しちゃう生き物がいること、例えば「地球温暖化で、北極クマが大変だ」なんてことを知って、ボロボロ泣いてて。小さい頃は、人間が敵だくらいの感覚だった(笑)でも、中高は部活に勉強と、いわゆる普通の学生生活を過ごしていたかな。

3-2. 大学1年:悔しさに溢れた大学生活のスタート

さや姉:大学は、実は第一志望に受かったわけではなくて。今だから言えるけど、(こんな大学行きたいわけじゃない)みたいな負のエネルギーを持ち合わせて、今の農工大に通っていたんだよね。

でも、自分のせいで理想の環境に行けなかったから、あとは自分でできることをやっていくしかないと。それで、精力的に東京の大学サークルやインカレに顔を出したりして。でも、飲み会は全く行かずに、旅やインターンなどの学外の活動にどんどん出ていく学生でした。こんなちっちゃい大学嫌だ!っていう反抗心で、学外にどんどん出てたおかげで、全く大学内には居ない大学生で(笑)でも、親が心配性だったこともあって、海外はおろか遠出もできない状態だったね。ディズニーに行っても19時には帰るみたいな、、、
ちょうど20歳になった夏をきっかけに、もう好きにしようと思って、初めてフィリピンに語学留学に行ったり、地方に行ったりし始めました(笑)

3-3. 大学2年:休学のきっかけ

さや姉:それから、大学2回生春に、WWOOFっていうサイトで。

ー あぁー!!!(インタビュワー2人同時に)

WWOOFとは
WWOOFers(WWOOFに参加する人)が、ホストの指定する家事や農業などの手伝いをする代わりに、ホストに食事や宿泊所を提供してもらう仕組み。
WWOOF・HPより

さや姉:知ってる?!2年生でお金ない中で、もっと旅したいという感情
が生まれて。どうしたら安く旅できるかなってのを調べてたら、WWOOFに辿り着いたのね。で、そこで初めて出会ったホストが、今もお世話になっている渥美どろんこ村の農家さん。北は北海道から、南は沖縄まで合わせると300くらいのホストさんがいるんだけど、場所は距離的にも遠すぎず、短期で滞在できる場所を探していたから、愛知のどろんこ村はちょうど良くて(笑)彼らはキャベツとかを作っている農家なんだけども、ただ野菜を作るだけじゃなくて、農家の立場から社会にもっといい影響を生み出したい・働きかけたいという思いがすごく強い農家さんなのね。2人とも、もう60歳を超えているけど、持続可能な農業とか社会への発信とか強いビジョンを持って動いている人たちで。この、お2人に私はすごく胸を打たれて。ずっと、子どもながらに何か環境のためにしたい、このままじゃいけないと思いながらも(なにをすればいいんだろう)って悩んでいたし、環境にマイナスなことも全然してしまう自分への葛藤で正直モヤモヤしていたのね。そんな時に、同じ気持ちでいる人たちに出会えたのがすごく嬉しくて。同時に、彼らと話している間に、自分が今の大学に入ったからこそついた力とかスキルや経験が活きていると思えたのもよかったかな。この時、やっと、初めて農工大に入ってよかったと思えた。

これが結構ターニングポイントで、これまで東大に落ちた卑屈さ?悔しさだけをバネに頑張ってきた1年から、しっかり農工大での学びをふり返れるようになったのね。初めて、農工大に来てよかった、成長できていると思えたのが、2年生のGWにどろんこ村に出会った頃。

ターニングポイント
どろんこ村オーナーとの出会い+学んでいた内容が活きたという自覚。
→勉強のモチベーションが「志望校に落ちた卑屈さ」から「成長の実感」

休学のきっかけ
さや姉
:2年生の夏に実習で長野の遠山郷と呼ばれる限界集落に行くことがあって。その実習は、大学内でも相当過酷と呼ばれていたのね。というのも、1学期内に3回、片道6、7時間かけて長野に行くのに、たった1単位しかもらえない授業で(笑)
でも、ここで遠山郷の人たちと交流する中で、調査の中でたまたま出会った若者や移住してきた若い人たちと仲良くなって、気づけば個人的に長野に通うようになってて(笑)9〜12月は、実習かプライベートで月に1回は、必ず遠山郷に行くみたいな(笑)
私が遠山郷に行く度に拠点にしてた場所が「コンパスハウスってところなんだけど、そこは移住者と地元の若者2人が中心となって山の暮らしをみんなに体験してもらう、地元を盛り上げるために活動の拠点にしている場所なのね。遠山郷に遊びに行くたびに、入り浸ってお世話になっていました(笑)

実は、ここでの出会いが休学のきっかけになっていて。
そこにいた1人は、岐阜から早稲田大に行ったんだけど、自分の道に悩んで、3年生の時に1年休学をしたみたい。休学中にはお爺ちゃんの家に帰って、そこで初めて山鳥を捌いて食べる経験をしたことから、命がお肉になる過程を皆が知らないことが引っかかって、大学を辞めて猟師さんになることを決めたらしいんだよね。それが多分、休学ってワードが初めて頭に残ったきっかけ。岐阜から早稲田に行くって、きっと周りもオー!!ってなるくらい凄いことだったと思うし、それを辞めて猟師の道を選ぶなんてなったら、きっと周りは驚いたと思う。でも、その人自身は凄くキラキラしてたし、そういう道もありなんだって思わされた。そこで初めて、エリート養成コースから外れる道が見えてきたのね。で、コンパスハウスに入り浸ってた時期に、そもそもそこを紹介してくれた先輩たちも休学したってことを知って。1人は実習がきっかけで長野にはまっちゃって、地元のキーパーソンの方がやっているバーで働いてみたり、もう1人は日本酒が好きだったから新潟の酒蔵酒蔵で1年働かせてもらって、そのままそこに就職を決めたりと国内でも自由な休学ライフを過ごしていた。

これまで、私の中での休学は「留学に行ってやむを得ない人以外は許されない」みたいなイメージが強かったのね。だから、どちらかと言うと自然に「休学アンチ」になっていた。浪人もそうなんだけど、大学なら4年間という与えられた時間の中でどれだけどう過ごすか。そういうルールというか競技だと思っていたから、休学して1年その期間を伸ばすのは甘えと思ってた。でも、そういう私が知らないタイプの休学をしている人達に会って、休学ってそんなことしていいんだ。国内にいてもいいんだって思えたのが凄い目から鱗だった。

ー たしかに「休学=海外」みたいな考えはどこかにあったかも。

さや姉:そうだよね。話を聞いたみんなは、海外に行くために休学をしたわけではないんだけど、凄くキラキラしてて。常に迷いながらではあると思うんだけど、納得しながら道を歩いてる感じがしていたのが印象的だったのね。なんか、その人自身は迷いながらその道を進んでいても、周りから見ると「めっちゃいい」って思われることもあるんだなと思えて。この経験がきっかけで、休学をするか迷ってた時期がこの2年生の終わりあたり。

休学のきっかけ
・コンパスハウスでの出会い
→「休学 ≠ 海外」でもいいんだ。周囲の目線「めっちゃいい」と、当人の気持ち「迷いながらその道を進んでいる」は異なることに気付き、自分の道を切り拓く勇気をもらった。

3-4. 大学3年:インドネシア留学と休学

さや姉:そのぐらい(大学2年生終盤)から、学校の交換留学プログラムの募集が始まって、留学はずっとしたいと思ってたから応募していました。なので、3年生の後期から4年生にかけて半年間留学するのが決まってたんだけど。せっかく留学するならそのまま休学して、コスタリカとベイリーズの中南米の国に行って、野生動物保全のインターンがしたいと思って、トビタテとかの応募も出したりしてた。このくらいから、現実的に「休学をしたい」って言葉が口に出るようになってきて。親はおそらく休学に対して「いやいやいや」っていうタイプだと思ってたから、早めに言っておいた(笑)多分休学するわー!って笑

ただ、やっぱりどこか不安はあったから、休学した先輩たちに"不安じゃなかったですか、大丈夫でしたか"とかいっぱい聞いたんだけど、みんな"不安だったよ、大丈夫なんとかなるから”っていう言葉が出てきて、そそのかされたっていうか(笑)親も、最初はあんまり乗り気じゃなくて「本当に休学をしなくてはできないことなのか」とか、そのほか「給料面とか結婚や出産など」について心配はしてて。私も、1年浪人してるから大学生活での2年って結構な不安で。

でも、結局はそういうのって「やらない理由」はどんどん出てくるけど、そういうのって後々どうでも良くなるじゃん。笑
そう、だからなんか「もういいや」ってなって、後ろの予定もどんどん決まっていたし。学生って本当にいい身分だから、1年伸ばせるなら伸ばしたいなと思って。国立だったから休学費はかからないし、休学中にかかる費用は自分でなんとかしますって言って休学することになった流れだね。

休学前半:インドネシアへの留学

さや姉:3年の後期から、予定していた通り、インドネシアに半年間留学に行きました。でも、その後にベイリーズとかコスタリカっていう話は、結局なくなって。理由は、インドネシアにあるエシカルホテルっていうのを見つけて、これを見つけた途端から、ここにしか興味がいかなくなったからなのね。なので、一気に舵を切って、留学が終わってからはバリ島のエシカルホテルでインターンをしてました。

正直「エシカルホテルってなに。」って感じだと思うんだけど(笑)バリって観光が有名だし、観光での財が国の8、9割を占めてるような国なんだけど。外国人の観光客が来るたびに、水資源とかゴミを埋めるための埋立地とかそういうのがどんどん奪われている状態で。観光客用のリゾートホテルのプールとかを確保するために、現地の生活用水や農業用水が枯渇してしまう問題がある。でも、これを訴えると「観光を止めると、みんな死ぬよ」っていう話につながってしまうから何も言えない圧迫が生まれている。
でも、このエシカルホテルは「そうじゃないよね、それはおかしいよね」っていう理念の元で、アースカンパニーっていう日本の一般社団法人が運営しているホテルなんだけど。めっちゃおしゃれで居心地のいいヴィラホテルでありながら、全く環境にも社会にも負荷をかけないし、地元の人に雇用を生み出して、彼らにも開放されているのね。

私は「ここに行きたい!」って思ったから、当時留学でジャワ島にいたところから、試験休みにバリ島に行ってインドネシア人のマネージャーに直談判して(笑)留学が終わる2月からお願いしますってことで、インターンが決まった。なんとか、コロナの影響がひどくなる前に、バリに飛行機で渡ることができて。コロナの時期だったから、お客さんが沢山来れたわけじゃなく、正直全てのしたいことができたわけではなかったけどね。でも、凄くレベルの高いチームのなかで働けたし、英語を使って海外の人たちと仕事をするのは留学とは全く違う経験で、自分に自信のつく貴重な経験でした。

ーなぜ、数ある選択肢のうちからインドネシアに?

さや姉:うちの大学交換留学の提携先が、東南アジアのみっていう特殊な学校なのね。それもこの大学嫌だってなった理由の1つだったんだけど(笑)留学願望は高校生の頃からずっとあって、大学も主席で卒業してやる!くらいの勢いだったから、入学してすぐに国際交流科にすぐに行って、「いつからいけますか!何を準備すればいいですか!」って聞いてたのね。そしたら「東南アジアしかないです」ってことが判明して、もう絶望して。笑

だけど、1年生の時に予算的に選んだフィリピン・セブの語学留学に行った経験が、東南アジアは嫌だっていう価値観を変えてくれて。このセブでの語学留学が初海外で、もちろん初東南アジアだったんだけど。元々、どちらかというと東南アジアにはネガティブな偏見を持っていて、発展途上国だから正直レベルも低いんだろうなと思っていました。でも、いざフィリピンに行ってみると、全然そうじゃなくて。全然自分が知らなかっただけなんだなと思った。それからもう1つビックリしたのが、その語学学校に来ていた大半が台湾・韓国・中国とかアジアの先進国の人たちだったんだけど、みんなお互いの言語を少しでも知っていたのね。日本語も知っていたし(笑)
みんな、自国だけじゃなくてアジアのこと興味持ってみているんだなって思ったのに、私ニーハオしか話せないと思って。笑

世界で輝きたい・はばたきたいって言ってた人がアジアも知らないで、何を言ってたんだろうって思わされて、すごく恥ずかしくなった。そこから、アジアや東南アジアに興味を持ったのが、インドネシア留学を決めた1つのきっかけ。2年生では、アセナビっていう東南アジアに特化したWEBメディアにジョインしたり、大学の短期プログラムでタイ・旅行ではカンボジアとかベトナムに行ったりして、東南アジアへの留学への偏見は無くなったね。

東南アジアの中でもインドネシアにしたのは、それこそ幼少期からの原点「生き物」で。インドネシアって「固有種」が多い国で熱帯の生き物がたくさんいるから、勉強はそこそこに休みの日にインターンとかを通じて、熱帯雨林行けたらいいなってのでインドネシアにした感じ。だから、きっかけは生き物だね。

インドネシアを留学先に選んだ理由
大学提携先が東南アジアのみだった中で
・セブでの語学留学 → アジア圏内へ関心を持つ必要性
・選択の原点である「生き物」→ 固有種の多いインドネシア

休学後半:BACK TO 「どろんこ村のシェアハウス・OPTION」

さや姉:休学後半は日本に帰ってきて、オンラインでエシカルホテルでのインターンを続けていたけど、7月からはどろんこ村での活動にのめり込みました。
実は、どろんこ村に行くことは休学を決めた直後には決まっていて。というのも、どろんこ村から、新たな事業として「実際に社会を動かす年代の若者たち」にも働きかけたいというオファーがあって。自分も遠山郷のコンパスハウスで、色んな人たちの生き方に触れて、自分の価値観が変わった経験があったから、次世代の若者や後輩のためにそんな場所を作りたいと思った。その時は、古民家シェアハウスを考えていたね。偶然にも、どろんこ村のオーナーがしたいことと私の古民家シェアハウスのアイデアが偶然タイミングよく重なって。さらに、どろんこ村オーナーの知り合い遠い親戚から格安で古民家をもらえる話があって(笑)だから、実はこのタイミング(留学前)で既にどろんこ村行きは決まっていた感じ。

ちょっと感染が落ち着いてきた頃に、荷物と共に愛知に移って、そこで古民家の改修をどんどん進めていました。去年の8月から、約5ヶ月で来てくれた計60人くらいの大学生や若者たちとリノベーションを進めて、12月には実際に居住者が入り出してシェアハウスが動き出した流れ。そのシェアハウスの名前が「どろんこ村のシェアハウス・OPTION」で、この「OPTION」という言葉は選択肢という意味
人生って本当に選択の連続だし、私が持っていた選択肢は「それが見えていたから選んだ」ってだけで、本当はもっと多くの選択肢があるんだってことにコンパスハウスで気づいたから、みんなが色んな生き方や選択肢を持ち寄れる「生き方の交差点」のような場所にしたいと思った。来た人がそんな選択肢もあるんだって気づける場所になればいいと思っている。

当初の休学中の予定
①海外
②どろんこ村のシェアハウス
③旅(自分の興味がある環境やサステナブル分野の面白そうなことをしてそうな場所を回る(国内))

でも、結局コロナで思うように動けなかったし、シェアハウスでの時間が思っていたより長くなって(笑)勿論楽しかったのもあって、気づけばほとんどの時間をシェアハウス改修にかけていました。旅はコロナの様子を見てちょこっと。3月に休学を終えて4月に復学したものの、授業がほとんどなかったから、院試の勉強+実家と愛知のシェアハウスの2拠点ベースの生活を送っていたかな。

3-5. 休学前後の変化

ー これは毎回インタビューで聞いてる内容なのですが、休学前後で変化はありましたか?

さや姉:1つには、色々なことが「怖くなくなった」ってのがあって。休学する前は、レールを外れることが怖かったし、前例がないっていうかあまり周りに話を聞ける人もいなかったから、新しい場所に行く・新しいことをするなんて、この先平気かな、大丈夫かなとか常に不安はあった。でも、やってみたらなんとかなるというか、挑戦したところには素敵な人がいるっていう成功体験を1年積んで「大丈夫だ」って思えて。自分のこともそうだし、周りの子でも踏み出すことに戸惑っている子がいたら「大丈夫、なるようにしかならないけど、なんとかなるから」みたいな「(心配する)コトなかれ主義?」っていうふうになったかなとは思う。笑
あとは、セルフマネジメントが上手くなった気がしてて。1人で自分の道を進んでいると、気持ちのアップダウンでしんどくなることはどうしてもある。学校に行っていれば、なんとなくシンドイとか引きずっていても、そのうち周りの人が変わったり、新しい出来事があったりで、勝手にその辛い時期を抜け出せる。でも1人だと、自分でなんとかこう、持ち上げてあげないとそこから抜け出せなくなったりするから、そういう自分の変化とか内側を見つめて「あ、今落ちてきてるな」って時には、ちょっとケアしようとか今は休もうとか、そういう対処ができるようになったと思ってる。

休学前後の変化
①(心配する)コトなかれ主義
− 新しい場所に行く、新しいことをすることに対する不安は尽きないが、踏み出す勇気さえ持てば「なんとかなる」ということに気付いた。
②セルフマネジメント
− 自分の変化とか内側を見つめて、ケアすべきタイミングやケアの内容がわかるようになった。

ーさや姉は就活はしなかった?

さや姉:しようとは思ってた(笑)元々はぼんやり理系の大学院に行こうとは思っていたけど、休学をはじめ大学の周りの子達からは「風変わり」みたいな感じで少し距離を置かれることが多くて。環境問題とか社会を変えるって「みんなできるよ!」って言っても、その距離があるままで行っててもこれ効果的じゃないなと思ったのね。だから、みんなと距離を縮めるためにも、就活をしておくのは大きい経験になると思って。もう少し先になった時に、「就活してないから特殊じゃん」みたいになるよりは、自分も就活を経験していたって話ができる方が自然だなと(笑)
だから、本当は就活をしたかった。けど、結局院試だとかでわちゃわちゃ忙しくて、就活はできませんでした。

今は、大学院に合格してる状態ではあるけど、泥んこ村にもっと入り込むべきかどうかで迷っていて。正直、大学院に入ってから中退しちゃうかもしれないな、くらいの気持ちではある。でも、思い詰めずに迷えているのは、これまでの道にはいなかった「中退」っていう選択肢ですら、応援してくれる人がいるから。今とりあえず決めて、どうしてもダメだったらその時に道を変えたっていい、って思えてるからすごく気楽にいれるね。

番外編

〜「師」と呼べる人との出会い〜

ー 少し話はずれますが、「どろんこ村のオーナー」みたいにかっこいい大人というか、自分の中で「師」と呼べるくらいの人?出会えて良かったなと思える大人って、他にも誰かいましたか?

さや姉:泥んこ村の2人は歳もすごく離れているのもあったし、自分にとっては本当に大切な出会いでした。それ以外にも、コンパスハウスでの出会いもそうなんだけど、ちょっと先を行く大人、20代後半だったり30代前半の人たち。今までもそうだし、大学にいるだけでは関わる機会を持てないタイプの人たちに、旅に出たりしたおかげで持てた出会いは、多くが素敵な出会いだった。そう考えると、結構いるのかな〜。こういう生き方いいな〜って思える人。学外に出るようになってから、めちゃくちゃたくさん出会うようになったかな。それが結構今のエネルギーになっているイメージはあります。

ー人生の分岐点になる場所には、いい大人が周りにいてくれる気がします。そういう大人ってどうしてあんなキラキラして見えるんだろう、って考えた時にすごく自分に素直っていうか。すごいパワー。

さや姉:本当そう思う。私なりに理由とか共通項を探してみると、「自分で納得して選んでる」からこそ、いいこと悪いことどちらがあっても受け入れられるのかなと思う。やらされてるからじゃない。そういうところなのかなとは思う。今回、オプションの活動を始めたのも、Gapyear Brothersのインタビューを受けようと思ったのもみんなに自分で選択して欲しいな、と自分で思ったからで。そこはみんなの共通項かなと思う。

〜もし東大に受かっていれば〜

− もし、第一志望の大学に受かっていたら、課外活動に積極的に参加するさや姉は生まれていたのか。

さや姉:いやあ、多分生まれてなかったと思う。多分でしかないけど、そのまま部活に入って楽しい大学ライフを過ごして、そこそこに就職して、エリート街道をずっと進んでたんじゃないかなと思う。
でも、今だからこそ、そうじゃなくて良かったと思える。エリート潮流の中に生まれて、東大落ちてすぐ課外活動を始めたのも、恐らくエリート意識の影響があった上での努力だったんだと思う。大学に受からなかったから、別のところで加点を狙わなきゃみたいな感覚で、半ば義務的なエネルギーで動いてるところはあった。でも、フィリピンでの経験からは、上を目指して先進国だから偉いと思ってた自分の価値観のしょうもなさに気づいたし、地方での色んな人との出会いからは、いい会社に入って昇進するのがすごいと思ってた自分の価値観がすごい狭いってことにも気づけた。なんか、すっごく自分の視野が狭かったことに、止むを得ず出て行った先で気付いてハッとして。私からすると、その価値観を教えてくれた人たちの方が生き生きしてた。自分の知らないところでもっと面白い価値観を持った人たちがいるんだってことに気づけたから、もっと知りたいっていう開拓精神が生まれたのかもしれない。
1年生の時とかは、東大落ちたんだからこれくらいやらなきゃ、って思って疲れてても色んなことを義務感に追われながらしてたんだよね。でも、どろんこ村に来て、課外活動をやってきて良かったって実感できたところからは、楽しくて自主的に動いてる。面白いから動いてるっていう実感を持てている。

川口:東大に落ちて、農工大に行くことすら既に決まってたんじゃないかと思えてくる。東大に落ちたことが良かった悪かったかなんか、すぐにわかるわけはなくて。休学に関しても、就活では「休学して良かったか」みたいなことをよく聞かれるけど、そんな今すぐわかるような決断なら、それこそ浅はかだなって。5年10年経ったときにようやくわかるコトだと思ってるからこそ、結果がわかるまでの期間は、ひたすらその選択を納得いくものにするために頑張ることが大事って、今の話を聞いてて思った。
東大に落ちたところからがむしゃらに頑張ったからこそ、今の結果がついてきてるんやろなって。素敵にしようと思える選択をすることは大事だなって。

高倉:オプション。

さや姉:(笑)
休学とかみんな距離がどうしてもあるじゃん。確かにちょっとの勇気は必要かもしれないけど、休学する人はすごいわけではないし、そこにこうやってスポットを当ててくれる2人の活動に賛同して、インタビュー受けるって返事したのね。

ー 休学を経験したからこそ、まだ知らないようなオプションを与えれるとも思っているし、別に休学を推してるわけでなく、こういう生き方もあるってことを知ってるか知ってないかだけで、生き方も変わると信じて、活動してます。オプション!笑

4. 最後に

本当は正解なんてないのに、王道というか正解があるような気がしてしまう。その結果、焦って受験だとか就職をしてしまったりしてしまうけど、正解はないもんね。by さや姉

この考えに辿り着くまでに、さや姉自身も相当悩んできたことが窺える。義務感に追われ「加点式の人生」を歩んでいたところから、ひとつのきっかけをバネに「自分が納得する人生」を歩むようになった。そして、自分のオプションを納得いく選択にする努力を続けた結果、彼女の周りには素敵な大人たちが集まったように感じる。
色んな選択肢が、偶然ながら必然かのようなタイミングで繋がっているように見えるさや姉の休学ライフ。実は、これまでインタビューを行った休学経験者からも、共通して「引き寄せの法則」とでも言おうか、行動を起こした人の周りにうまく機会が巡っていると感じるような体験を聞いた。しかし、これも単に偶然と呼べるものではないのかもしれない。

今回のインタビューで繰り返し出てきた「オプション(選択肢)」という言葉。様々な人生を歩んだ人たちが集う「生き方の交差点」ともなりうる場所があれば、より納得いく人生に近づく、もしくは、近づけようと努力するきっかけを掴めるのかもしれない。さや姉が取り組む「どろんこ村のシェアハウス・OPTION」然り、人生の分岐点ともなる場所にはいつも「オプション」がある。納得のいくオプションを自分で選び、その道を正解にしようと努力するさや姉の姿は、決して特別ではない。だが、その後ろ姿が周囲を引っ張る「北極星」のような存在になっていることは間違いない。

自分のオプションに正解などない。それでも、さや姉は自分のオプションを納得いくモノにするために、これからも悩みながらも突き進んでいくのだろう。そう感じられる力強い言葉が詰まったインタビューだった。

どんな理由でも、どんな過ごし方でもいい。当初の目標が変わってもいい。自由な期間である『休学』をよりハードルの低い選択肢にするために、自由な期間である『休学』の川流れを楽しめる選択肢を増やせるように、今後も様々な形の休学ライフを届けていく。


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