『自然な流れで選んだギャップイヤー』 アレク Alexander Weile
1. Who is Alex/アレク
2. 1年目のギャップイヤー 〜YOUは何しに日本へ?〜
高倉: Hi アレク!ルーカスからの紹介で、急なお願いなのに受けてくれてありがとうね:)
アレク:全然、大丈夫だよ!ニコッ今日は大学からこのインタビューを受けているんだ!
(彼の笑顔は相当にまぶしい)
高倉:そっか、アレクは今、大学院生なんだね。その辺りも含めて、まずは簡単に自己紹介よろしくお願いします!
アレク:よろしくね!まだまだ自信はないけど、少し日本語でチャレンジするよ笑
私は、コペンハーゲン大学院2年生のアレクと申します。大学院では、Nordic Study(北欧学)について学んでいて、ちょうど、卒業論文を書いている最中なんだ。
日本には何度も行ったことがあって、何回行ったか覚えていないくらい。笑
僕は、ギャップイヤーを2年間取ったんだけど、その間だけで3回も日本に行ったんだ。
そして、初めて日本に訪れた時に『YOUは何しに日本へ?』の人たちに取材されることになって。2回目の日本渡航は、テレビ局のおごりだったんだよ。笑
高倉:ありがとう!奢りで日本って、面白いスケールだね。笑
日本語の上手さから、気になる話題まで触れたいところだらけ。でもグッと堪えて、まずはギャップイヤー中の出来事について聞いてもいいかな?
アレク:もちろん。僕は、高校を卒業してすぐに2年間のギャップイヤーを取ったんだ。
まず最初は、働くための半年間のギャップイヤー。確か、19歳だったかな?
この半年間で、2つのアルバイトをしていたんだ。1つ目は小・中学校の臨時教師、2つ目は工場で花のパッキングアルバイト。この半年間で、たくさんの花を箱に詰めたりしたよ。笑
そして次に、その貯金したお金で日本に3カ月の旅行をしたんだ。元々、僕は日本じゃなくて韓国に行きたかったんだけどね。僕には、小学校の時に仲良かった韓国出身のクラスメートがいて、彼が韓国に帰国して以来、僕はまたいつか向こう(韓国)に行って彼に会いたいとずっと思っていたんだ。
でも、親友ジョナサンの「日本に行こう!日本なら韓国にも寄れるよ!」という声掛けがあって、彼との日本旅行を決めたんだ。
そして、初渡航で降り立ったのが成田空港。そこで、「YOUは何しに日本へ」のディレクターが偶然、話しかけてきたんだ。僕たちの旅に着いてきたいってね。笑
日本では本当に色々な出会いがあったけど、特に能登半島の「穴水」という自然豊かな町(人口約1万人/星空や魚介類が有名)で訪れた「磯寿し」というおすし屋さんで出会った、すごく優しい大将と女将さんとの出会いは今も心に強く残っているね。
3. ギャップイヤーの過ごし方(タイムライン)
4. 自然な流れだったギャップイヤー
高倉:アレクのギャップイヤーの過ごし方がどんどんわかってきたよ。じゃあ、次はギャップイヤーを選んだ理由を教えてくれる?
アレク:広く開けている選択肢だったからじゃないかな、『自然な流れ』っていうのかな?
デンマークでは、ギャップイヤーはとても主流な選択肢なんだ。あえて、理由をつけるなら「友人がギャップイヤーを取ろうと誘ってくれたから」かな。
決して、適当に取った選択肢ということを強調したいのではなくて、誘われたから取っちゃおう!って思えるくらいに簡単にとれる選択肢なんだ。
でも、日本ではとても難しくてネガティブな選択肢だって聞いたから、デンマークとは全く違う環境かもしれないね。たしかに、ギャップイヤーを取る理由はあったけど、自然な流れとして、プランも持たずにギャップイヤーを選択したんだ。笑
唯一あった目的は、『小学校の時に仲良くなった韓国出身のクラスメートに会う』*2。当初は、たったそれだけだったよ。
でも、ギャップイヤーは本当に必要な選択肢だったと思う。
僕は高校卒業の時点で、自分が『大学でどんなことを専攻したくて、どんな先生のもとで学びたいか』、『自分の将来の夢や目標が何なのか』というとても大切なことを、理解しきれていなかったからね。
高倉:確かに、ギャップイヤーの捉えられ方が全く違うのは面白いね。笑
じゃあ、アレクにとってギャップイヤーは「自分について、考える」ための期間という意味合いが1番大きかったのかな?
アレク:そうだね。自分と向き合うことは自然とたくさんあったね。
それでも、結局兄の影響が大きくて北欧学の道に進んだりと、まだまだ自分との向き合いは必要だと思っているけどね。笑
そして、日本に行けたことも大きな経験だった。今のコペンハーゲン大学に入学してから、交換留学で日本を選んだのも、間違いなくこの経験がベースだったからね。
『YOUは何しに日本へ?』を通じて、日本の文化に触れて、自分が今したいと思えることがあるのも、ギャップイヤーのおかげ。
本当に大切な期間だったね:)ニコっ
5. 自分の意思で選んだギャップイヤー
高倉:ギャップイヤーについてもう少し聞きたいことがあるんだ。
僕の経験談では、多くのギャップイヤー取得者は基本1年くらいの期間を選んでいるんだけど、アレクが2年間のギャップイヤーをとっているのには、何かきっかけとか理由があったのかな?
アレク:1年目の休学を終えた2014年の夏、僕はまだ大学で何を勉強するか決めきれていなかったんだ。だから、「もう1年ギャップイヤーを取ろう」という決断に至ったんだ。
この理由と同時に、すごく音楽へのエナジーも溢れていて、日本でたくさんライブをしてみたかったのも1つの理由だね。笑
だから、2年目のギャップイヤーでは、ALT(外国語講師)として働きながら、友人と一緒に音楽にたくさんの時間を注いでいたよ。日本でも、日本語の歌詞をプロジェクターに映しながらLiveしたりしたんだよ!(ドヤ//)
(アレクのインタビュー動画)
高倉:そうか、2年目の方が自分で選んだギャップイヤー感があるね!笑
なんだか話す顔も、2年目について話している時の方が生き生きしてるよ。笑
アレク:うそ!笑
でも確かにそうだね。1年目と2年目のギャップイヤーの中での1番大きな違いは、そのきっかけにあるね!1年目のギャップイヤーをとった時は、教師や友達、いわば「周りの影響」が大きな理由だったけど、2年目のギャップイヤーは「自分がしたいことをするため」のギャップイヤーだったね。
僕にとって、2年目のギャップイヤーは自分の意思で選択した初めてのギャップイヤーだったんだ。
6. ギャップイヤー前後で変わったこと
高倉: ギャップイヤーを取る前と後で何か変わったことってある?
アレク:あるね!すごく自分に自信がついた気がするんだ。
日本みたいなデンマークから遠く離れた国に、友人とだったり1人で過ごすうちに、責任を自分の肩で背負うことが多かったからなのかな。
自然と、自分自身や自分の決断に自信を持てるようになっていたんだ。
それから、海外旅行や音楽といった課外活動に注力したおかげで、外国や学校外の世界(音楽業界)に友人がとても増えたんだ。
自分がしたかった音楽を我慢せずにできたこと。音楽を通じて、たくさんの友人が出来たこと。これらはギャップイヤーをとって、自分がしたいことをしたからこその結果だと思っているよ。
7. これからの目標
高倉:最後に、ギャップイヤーを通じて色々な経験をしてきたアレクに、今後の目標があれば聞いてもいい??
アレク:いつか、日本と北欧を繋ぐ仕事がしたいと思っているんだ。
そこに好きな日本酒や畳といった日本の文化もあれば、とても楽しくなる予感がするね;)
それに繋がるかは分からないけれども、秋からは日本と北欧に関係する仕事をするんだ!今回は、フォルケホイスコーレの概念を作ったグルントヴィの哲学や彼が書いた歌詞の翻訳をしたりするという仕事を大学院の実習講座でするんだ。
きっと難しい仕事だけど、これまでの日本語を全く話せない状態から、日本語でライブ公演をアレンジできるようになった経験を勇気の種に、日本語を使う仕事にどんどん挑戦していきたいね。
8. 最後に
ギャップイヤーを取りやすい環境は、海外の文化だと切ってしまうこともできる。だが、彼の自分と向き合ったからこそ『自分の進みたい道』を見つけることができたという経験は、国や文化に関係なく通ずる話だと思う。
そして、彼の『休学をしたから』『日本に来たから』『指差し旅をしたから』という風に、自分の決断が数珠繋ぎのように意味を与え合う様は、まさにギャップイヤーの醍醐味な気がした。
ギャップイヤーを通じて、空白の期間を作り上げたことで、ちょっとしたアブノーマルが彼の人生に飛び込む。そして、そのアブノーマルが繋がり、自分の新たな道につながってゆく。
ギャップイヤー中の経験が現在のやりたいことに繋がっていることは、何よりも幸せなことだろう。そして、それは現在の目標を語る彼の少年のような笑顔が物語っていた。ニコッ✨
どんな理由でも、どんな過ごし方でもいい。自由な期間である『休学』をよりハードルの低い選択肢にするために、今後も様々な形の休学ライフを届けていく。
参照
*1
Netflix『YOUは何しに日本へ?〜指差しリターンズ!今宵新たな伝説の幕開けSP〜』
(*定期購読している方のみご覧になれます)
*2
『umeet 』テレビ番組「Youは何しに日本へ」の人気者!デンマーク出身・アレクの東大逆留学記