『川を流れるように生きる』 Ryutaro Orita
Who is Ryutaro Orita?
1. はじめに 〜ボーダレスで紡いだ縁〜
隆太郎さんとは、あるコミュニティの中で縁がありインタビューをさせて頂く運びとなった。というのも、今回を含めインタビューを敢行した計3人の休学経験者は、『ボーダレスジャパン』というコミュニティで紡いだ縁がきっかけとなっている。
隆太郎さんからは、落ち着いた話口調でありながらも、どこか心の底で抑えきれなくなった熱い想いが時々滲み出る。インタビュー中、隆太郎さんの口からは "後悔" と "流れを大切に" という言葉が何度もこぼれでた。この2つの言葉をずっと大切にしてきたからこそ、彼の口から発されたこれらの言葉は "ありのままの感情" を伝えてくれる。オンラインという場に関わらず、素直な想いが届いたのはこのためだろう。
人生における岐路に差し掛かる時期に休学を選択した隆太郎さん。どうして、その時期なのか、休学に踏み切れたきっかけとは何だったのかを探っていく。
2. ボーダレスとの出会い
ー 隆太郎さん、初めまして。ボーダレスジャパンの繋がりからですね。急な呼びかけにお答えしてくださり、ありがとうございます。
本日はよろしくお願いします!
隆太郎さん:そうそう、ボーダレスジャパンのグループからの繋がりでしたね!今回はボーダレスジャパンがきっかけで、こうしてインタビューをすることになった訳ですが、僕がボーダレスとの関わりを持ち始めたのは1年ほど前のことです。
僕は、"社会課題を解決したい"っていうボーダレスジャパン代表の田口さんの考えにすごく共感していて。1度、仙台から大阪まで田口さんの講演を聞きに行ったことがあったんです。
当時、社会をよくする「ソーシャルビジネス」や「起業」に興味があった自分にとって、同じ考えを持つ田口さんとの出会いはとても良い影響でした。
自分と考えが近い人だったりが、自然と目の前に出てくる というか、見えない繋がりがどこかあるような気がした経験でした。
3. 学生時代を振り返る
3-1. 高専時代『見たことないモノへの好奇心』
隆太郎さん:休学に至る話をする前に、高校生の頃の話から始めたいんです。というのも、僕は高専という5年生の高校にいて、そこでは3年生の夏まで部活動で野球をしていたので、まともな長期休暇を過ごしたことがなかったんです。
でも、5年制の高専という特殊な環境のおかげで、部活を引退して、その後大学受験がなかったので、ようやく長期休暇に辿り着くことができたんです(笑)
念願の長期休暇で最初にしたコトは、お兄ちゃんがヒッチハイク好きだったこともあって、ヒッチハイクで広島から札幌までラーメンを食べにいこう旅 with ガラケー1台。今思い返すと、17の夏頃によくそんな無謀なことしたなーって(笑)
小さい頃から自然が大好きだった僕にとって、この旅が本当に楽しくて。それからは、休暇の度にサイクリングやヒッチハイクで関西や四国を周るようになりましたね。気づけば、どんどん海外にも目が向くようになって、高校3年生が終わってすぐの春には、初めての海外旅行でシンガポールに行きました。それからは気づけば、休みの度に東南アジアまで旅に出ていくようになっていました。
ー 初めての海外旅行で、行き先として「シンガポール」を選ばれたのには理由があったのですか?
隆太郎さん:①航空券が安価 ②安全という2点ですね。やっぱりビギナーで1人旅だったので、不安もあったんですよね(笑)
設備面も整っているし、すごく旅しやすい国だというイメージでした!
ただ、「旅にトラブルはつきもの」とよくいう通り、行きしなの飛行機内でケータイを無くすというハプニングもありました(笑)
到着の際に、ワクワクしながら外を見ていたら、急に、前の方でインド人のおじさんが「これ誰のケータイ??」って大声で叫び始めたんですよね。僕はだいぶ後ろの方から(誰だよ、ケータイなんか落とすやつ)くらいの気持ちで傍観していたんです。その後、ポケットにケータイがなくてようやく、そのケータイが自分のモノだって気づきました(笑)知らぬ間に、シートの上に置いていたケータイがブレーキの慣性でスルスル〜って前方の座席まで滑っていったんですよね。ちゃんと帰ってきたので、なんとか事なきを得ました(笑)
トラブルもありましたが、初海外旅行が東南アジアだったこともあり、その後はよく東南アジアに行くようになりました。よく、初めて行く国によって、その人の海外旅行感が変わると言います。僕の場合は、シンガポールをはじめ、東南アジアが海外旅行の基礎になった気がします。
ただ、どの国や場所へ旅行に行く時も根本はずっと一緒で "見たことないモノを見たくなる" 気持ちが強いんですよね。これは、後ほど話す休学のきっかけになった「世界一周旅行」にも繋がっています。
3-2. 休学は、世界一周をするための選択肢
隆太郎さん:高専で5年間を過ごした後は、大学編入制度というものを使って、静岡の大学に通っていました。大学編入制度では、いきなり3年生として大学に入ることになります。僕は、編入して早々、大学生活1年目が終わった後に、1度目の「休学」をすることに決めました。
そこでの決断には、大学3年生の夏に渡航したカンボジアでの東大生との出会いがあって。カンボジアで出会った彼は "世界一周" のために休学していて、そんな彼の冒険に凄く心を躍らされたんです。
彼は休学して、自分がしたいと思っていた "世界一周" をしている。
(うわ、めっちゃいいな)って率直に思ったんです。僕は「見たことないモノ、行ったことない場所」に人一倍惹かれる性格の持ち主なので(笑)
これは多分、父が転勤族だったことにも関わっているんですけど、これまで7回くらい引っ越しをしていて、新しい場所に越すのが自然になっていたんですかね。
それで、いざ世界に目を向けると、行きたいと思う場所がたくさんあって。
3-3. 休学への不安
ー その出会いがきっかけなんですね、凄いタイミング。
隆太郎さんが「休学」という制度を知ったのも、東大生との出会いがきっかけでした?
隆太郎さん:んー、休学はもともと知っていて。その出会いで興味を持った世界一周をするには、「休学は必須だよな〜」という感じでした。
ー 休学という選択肢を取るにあたって、不安な気持ちだったりはなかったんですか??
隆太郎さん:正直、不安とかみんなより遅れていくんだな、という感覚はめっちゃあって。でも、それ以上に休学をしてまでやりたいコトがある自分に気付きつつ、その選択をしない自分が嫌でした。
それで、休学への不安とその自分の気持ちを天秤にかけた時に、後者が勝っていたという感じですね。
人生100年時代と言われている中で、20代という自由に動ける期間、かつ、学生の身分があるうちは大事にしたいと思っていました。でもやっぱり、1番はとにかく「後悔したくない」って気持ちが強かったです。
なので、周囲に相談をした時にはほとんど反対されましたが、自分の選んだ道を信じて「休学」に突き進みました。笑
ー 反対が多かったんですね。
隆太郎さん:はい。「世界一周旅行 ≒ 未知なる危険な場所旅行」に対する親からの不安もありましたし、現状マイナーな選択肢である休学に対する「なんとなくやめといたら」という雰囲気の反対が多くありました。
ただ、反対に対する明確な根拠がなかった事もあって、好奇心が勝って反対意見は突破してしまいました(笑)就活が1年遅れたところで、特に焦る必要がないとも思っていました。実際のところは、反対があったとしても「世界一周をするんだって」心が決まっていたんでしょうね(笑)
"後悔" っていうワードがたくさん出てきちゃうんですけど、やっぱり後悔したくなくて。「後悔ない人生を歩みたい」というのがモットーとしてあったからこその決断だったかも知れません。
3-4. 休学中のワーキングホリデー ~前編~
隆太郎さん:ここからは、休学中のことを話していきますね!
世界一周のための休学ということで、まずはタイでの予防接種、インドでの衝撃的な2週間を経てドイツに向かいました。
ー ミュンヘン生活編
そしてインドから、 "地理的な旅しやすさ" と "高校時代からのドイツ語への馴染み" の2つの理由でドイツに渡航したんですよね。
ドイツ滞在は、ワーキングホリデーを使っての旅だったので、ミュンヘンの日本食店でアルバイトしながら、ヨーロッパ諸国を周遊していました。
海外旅行の他にも、自転車を現地で買って。自転車のカゴにビールを詰めてアイスバッハ川沿いをサイクリングしたんですよね。川で泳いでは、ビールを飲んでって感じで、そりゃあもう気持ちよかったですよ(笑)
ただ実は、何をするかもどの国に行くかも、前持っては決めていなくて。ドイツでの拠点すら、ミュンヘンの空港についてから決めたんですよね。
というのも、僕の旅スタイルは「行って、その場で考える」という感じなので、予定を組んだり、先のコトを決めるのがあまり好きじゃないんですよ。「その時の自分の気持ちを大事にしたい」っていうマインドですね。
ミュンヘンについてからは職探しもあったので、人生初の名刺をドイツ語で作ったんですよ。A4の紙に筆ペンで名前を書いて、コピー屋さんでコピー取ってもらって〜って感じでね。笑
最終的には、紹介を繋いでもらって日本食のレストランで働くようになりました。滞在する場所も、本当にラッキーが重なって見つかりました(笑)又貸しが多いミュンヘンで、偶然出会った宿の人がいいところを安く紹介してくれたんですよね。
ー 運が強いという言葉だけじゃ足りない気がします。その時々の流れに乗るというか、運を掴む力が本当に強いですね。しっかり、予め計画を組む旅スタイルもあると思うんですけど、その逆を行く勇気がすごい。
隆太郎さん:運の強さ、そうかもしれないですね。
逆に僕は揺られまくっているというか。その時々の川の流れを楽しんでいるんだと思います。でも、僕も全く下調べしたりしないわけではなく、「どの川か」を決めてから流されるようにしています。そこだけ決めて、あとは完全に身を任せています。
ー 日本への一時帰国
隆太郎さん:ミュンヘンでの生活を終えて、北欧諸国を巡り、北ドイツに香川選手の試合を観に戻ったりと。そんな時に、父から体調悪化の一報が入って一度帰国することになりました。
僕は、ミュンヘンに行く時に筆ペン1本とすっごい小さいサイズの折り紙を持って行っていたんです。海外には折り紙はないので。
折り紙は海外の方にも、感謝を伝える際にメモ帳的な感じで使ってあげると喜ばれるのでいいんですよ。
その折り紙に、毎日の場所と日付と一言のメッセージを書いて、折り鶴にして日本に送ったりしていました。僕が何も言わなすぎて、その折り鶴が開かれることはなかったみたいですけどね(笑)
3-5. 休学中のワーキングホリデー ~後編~
ー ニュージーランド編
日本への帰国前、ちょうど北欧を周っていた頃ですかね。どんどん肌寒くなってきているのを感じて、暖かさが恋しくなってきて。笑
南下したいな〜と思い始めたタイミングで、一度の帰国を挟んで、事前にビザを取っていたニュージーランドに渡航しました。ここでも僕の "旅マインド" は変わらずで、一度バスを使った以外はすべてヒッチハイクで移動しましたね。ニュージーランドは、「NORTH」と「SOUTH」の看板さえあれば、ヒッチハイクでどこへでも行けてしまう国なので(笑)
というわけで、北へ南へとシーズンバイトとヒッチハイクでの旅を続けていた感じですね。
ー 本当にヒッチハイクだけで行けちゃうんですね(笑)ヒッチハイク中、印象的な出来事とかありましたか?
隆太郎さん:まさにヒッチハイクは、流れに乗る行為そのものかも知れないですね。印象的だったのは、同じドライバーさんに、偶然2回乗せてもらったことですね(笑)2ヶ月くらい期間が空いて、場所も全く違う所だったので「あ!あの時の!!!」って感じで衝撃的な再会でしたね。
他にも、ヒッチハイクっていうのかな?人生初のパトカーに乗せてもらったこともありましたね。道端に置いてた荷物から5分くらい目を離した隙に、荷物を取られちゃって。ほんっとにド田舎の道だったんですけど、1人で「F**K!!」とか叫んで怒り狂っている僕を、偶然通りかかったパトカーが見つけてくれたんですよ。
そして、その警察官に起こった出来事を話したら一斉に周囲に事情聴取的な感じで連絡を取ってくれて、偶然にも近くで洗車をしていた人から「バンが近くにいたよ」っていう情報がすぐに入ってきたんですね。そしたらもう、応援を呼んでから30分後には犯人が捕まりましたって(笑)
大したものは入っていなかったんですけど、無事にバッグが返ってきて。それで、なぜかパトカーで南下しつつも宿まで送ってもらったっていう、、、
よかったですほんと(笑)
旅の目的
ー 少し話は変わりますが、ドイツでの滞在は「ヨーロッパ旅行 + バイト + ビール」という目的がありましたが、今回のNZ滞在にも目的はあったのでしょうか。
隆太郎さん:はい。元々ハイキング好きだった事から「NZの自然を楽しみながら、ローカルな暮らしをすること」これまでオセアニア方面へ入ったことがなかった事から「行ったことない場所に行くこと」の2つです。
目的の話とはズレますが、NZでの滞在中もドイツ同様にバイトはしていました。その中でも、1番印象に残っているのは葡萄畑でのピッキングで。。。
いや、めっちゃキツかったんですよ。ワインが有名なので葡萄畑のピッキングっていうのはよくある仕事なんですけど、強烈な日差しと肉体労働でヘットへトでしたけどね。真っ黒になりながら働いてました(笑)
とはいえ、NZを全体的に旅しながら、こういうローカルな仕事ができるのも*ワーホリの魅力だったのかもしれないですね。
今こうして振り返ると、僕は一貫した目的みたいなものは持ってなかったですね。唯一言えるのは「 旅に対する好奇心」が原動力となって、動いていたということ。
ただ、何かを残した人と比べて、旅したから凄いという感覚は全くなかったです。とはいえ、確実に旅の中での知見だったりと得たものはあったので、全く後悔ない選択でした。
ー なるほどです。旅で得るもの、難しいですね。自分の経験やインタビューから思った事なのですが、旅をすると「自分で判断しなくてはいけない」場面が増えるじゃないですか。そこで、判断力とか自分を信じる力がつくというのは、旅をすることで得られる産物なのかな、と思います。
隆太郎さん:そうかも知れないですね。僕も休学や旅を通じて自分の軸がぶれなくなったんですよね。他人と比較することがなくなったというか。よく、落ち着いてるって言われるようになったのは、休学や旅での経験値のおかげかもしれないです。
あとは「当たり前を決めつけない」というのも、旅の産物かも知れないです。特に、インドに行ったときは「当たり前」をめちゃくちゃに壊されたんですよ(笑)何もかも日本と真逆で、食生活に住んでいる場所、他には乗り物だったり。一言で表せば、清潔感(笑)
どれも僕の知っている「当たり前」とは真逆でした。でも僕はそんなカオスな状況がどこかしら楽しくって。やっぱり、非日常には新しい刺激があるから、楽しくなっちゃうんですよね。
4. 大学院進学と2度目の休学
ー ここで、1年目の休学が終わるわけですね。この時期は、一般的には就職活動が頭に浮かぶ時期かと思うのですが、就職という選択肢はありましたか。
隆太郎さん:やっと1年目の休学が終わった(笑)
就職活動については、考えてなかったですね。休学中の1年間を通じて将来のことを考えもしたんですけど、兄が大学院に行っていたので、自然と大学院が一番身近な選択肢でした。あとは、学生という身分でもう少し居たかったというのも本音の部分です。
東北の大学院に決めた理由は、自然が多いから都会は避けたかったというのと、僕は転勤族で「広島→鹿児島→愛媛→静岡」という感じで北上してきてたので、その流れのままに「次は東北あたりかな」と言った感じで。笑
それから、東北の大学院を調べて、研究室の内容も良かったので正式に決めたという流れでしたね。その後は、4年生では研究に追われながらも、土日は探検クラブを楽しみつつ、5・6月の院試験になんとか受かって、無事大学院進学を決めました。
ー 就活に悩んだ末に決断した、2度目の休学
ー 大学院1年半を終えたという、このタイミングで2度目の休学をされたということですが、少し不思議なタイミングだと思いました。このタイミングで休学を選んだのは、何かきっかけがあったのでしょうか。
隆太郎さん:大学院2年生になって就活を意識し始めたんですね。そのとき初めて「人生をどう生きたいんだろう」と、根本的に考えるようになったんです。皆そういう時期があるのかな?
僕の場合も、就活を始めるタイミングで「自分がどう生きたいか」についてすごく悩んだんですね。
結論から言うと、「幸せな人生を歩みたい」という言葉に辿り着くんですけど。とても漠然としたテーマでもあるし、人それぞれによって幸せの定義は違うので難しいんですけど(笑)
ただ、自分の中では幸せの定義は「人に感謝され、自分も人に感謝するような関係性を作ること」なんです。これは、80年くらい続くハーバード大学での研究でも言われている「人の幸せは人間関係からくる」という研究結果とも同じで。僕は人のためになることが、自分がやりがいを感じるところに繋がると感じています。
そんな中でも「農」の分野は特にいいなと思っています。理由は2つあって、1つ目は「農」が自然との距離を縮めてくれ、良い意味で物事の「分からなさ(蓋然性)」を高めてくれるからです。農業は自然と共存しながらの行為だからこそ、収穫時期もわからない、そもそもちゃんと収穫できるかもわからない、と言ったふうに不確定要素が多いんです。これって旅の雰囲気と似てるんですよね(笑)旅のように「わからない」が溢れている点も、観察すると新しい発見が詰まっている点も僕が自然を好きになる理由です。そんな自然と密接に関わりながら、旅と同じ刺激を得られる農業は魅力的だというのが1つ目の理由です。
2つ目は、生活に欠かせない「食」には人と人を結ぶ力があるということです。ここ最近になって、生産者と消費者に大きな分断が生まれているんですけど、「食」って1日に3回も触れる機会があるじゃないですか。その機会を活かせば、もっと "生産者と消費者を繋ぐ力" が発揮されるんじゃないかと思っていて。「農」や「食」が人々を結び付けることで生まれる様々な効果に心惹かれる部分があるというのが、2つ目の理由です。
それで、「農」がある暮らしがいいなと。ちょうど、「農」にまつわる何かをしたいと考えていた時に、ある農家さんに "休学しちゃえばいいじゃん" って言われたのがきっかけで、その日の帰りに原チャリに乗りながら「休学しよう」って決意したんですよね(笑)
「農」や「食」を通じて、どうすれば理想の価値が届けられるんだろう、というのを探るために選んだのが2回目の休学でした。休学中は、ビジネスコンテストに出たりだとか、農家さんに会いに行ってヒアリングしたりだとか、宮城県内を中心に「農」にまつわる活動をしていましたね。
隆太郎さん:休学が終われば、再度就活がやってきます。2度目の休学で「農」に興味を持って、「人と人とを繋ぐ役割がしたい!」そう思っている中で、僕の学部卒ではメジャーな選択肢である研究職では、人の繋がりを作り出せないんじゃないかって。ビールを例にとっても、すでに95%くらいの完成度な気がしている中、それ以上のモチベーションは感じられませんでした。
なので今は、何かを1から作れたりする、ベンチャーやスタートアップの道に目が向いています。2度目の休学で見つけた、自分なりの幸せの定義がこの就職活動で、判断の軸になっているのかもしれません。
5. 休学を終えて
ー ちょっとここで、インタビューっぽい質問を挟ませてください(笑)
休学に対して後悔だったり、こうしておけばよかったと思う点などはありましたか。
隆太郎さん:休学に対して後悔とかは全くないんですけど、休学中の自分に対しては後悔がありますね。「もっと、毎日を一生懸命に過ごせただろ。」と(笑)
休学中は無限と思えるくらい時間がたくさんあって、自分で色々と制限や管理をしなくてはいけないと思うんです。
だからこそ、”今を大切に生きる” という考えが大切だと思うんですけど、それができていない時期もあったな、というところは後悔している部分です。
やっぱり、一生懸命に何かに取り組むことで、いつか、何かが自分に返ってくると思いますし。結局は、何かに一生懸命な時が1番楽しいんですよね(笑)
6. 最後に
自分の思いに素直になった1回目の休学では、世界一周を。自分が本当にしたいことを探すために、2回目の休学を。色んなリスクと向き合いながらも「後悔ない人生」という軸を胸に、様々な国や慣習、人に触れ合ってきた隆太郎さん。
百人百色の休学ライフという謳い文句のもと、このインタビューを続けているが、本当に各々のストーリーやきっかけには個性が出る。
最後「休学前後に変わったことはあるか」という問いに対して、彼は「僕いいこと言えないですよ。全く、変わっていません(笑)」と答えた。自分を見つめて、素直に行動できていることを日々確かめながら生きていたら、本質的に人の根本は変わらない。そして、変わる必要もない。それが隆太郎さんなりに見出した自分の在り方だ。
"芯のブレない在り方" に "The フッ軽な旅スタイル"。どこまで行っても自分を見つめている隆太郎さんは、これからも川を流れるように進んでいくのだろう。
どんな理由でも、どんな過ごし方でもいい。当初の目標が変わってもいい。自由な期間である『休学』をよりハードルの低い選択肢にするために、自由な期間である『休学』の川流れを楽しめる選択肢を増やせるように、今後も様々な形の休学ライフを届けていく。