『自分のしたいことにボーダレス』Yumi Hara
1.Who is Yumi Hara?
2.大学生活を振り返る
高倉:ボーダレスジャパンのグループにオファーをかけたら、すぐに反応してくれてさすが「ボーダレス」やなって思いました(笑)
原さん:「休学」っていうワードが良かったんだと思います(笑)
みんな「休学」について言いたいことがいっぱいあるだろうし。
高倉:そうですね(笑)では、まずざっくりと休学も含めた学生時代のタイムラインを教えてください。
原さんの学生時代のタイムライン
2-1.土台となった大学1年生
原さん:ではまず、大学1年生から。私は入学してすぐに、インドの貧困解決に取り組む学生団体に入り、ずっとそこで活動をしていました。
その団体は、まさに今のボーダレスジャパンが取り組む、ソーシャルビジネスの形にかなり近い活動をしていて。インドの物を日本で売って、作ったお金を奨学金としてインドの貧困層に送る、現地のNPOパートナーを自分たちで探すなどを行なっており、すべて学生の自分達だけで運営していました。
メンバーは15人くらいなんですけど、年間約100万円のお金を動かす規模で活動していました!
そして、その後の夏に、大学の留学プログラムでタイに行くことになりました。これが初めての海外経験。期間は2週間くらいでしたね。
タイを選んだ理由は、貧困解決が必要な現場を見れる、国際機関の貿易工場の見学などができるからでした。
川口:ほお~。大規模の国際機関の見学は面白そう…(笑)
原さん:本当に初めての海外にはうってつけの国でした!帰国後は、引き続きインドの学生団体で活動と入部していたダンスサークルの活動に没頭していましたね。
(資金収集の一環としてカフェを運営する様子、右から2人目が原さん)
高倉:おそらく僕らの世代だと、大学に入って大体の子が楽しそうなサークルに惹かれて入ると思うんです。今まで自分がしてきたスポーツのサークルとか。そのインドの学生団体に入るきっかけは何かあったんでしょうか?
川口:確かに! いきなり「インドの貧困解決の学生団体!?」ってなる(笑)
原さん:話は長くなりますが、私は元々出身が鹿児島県の種子島という地域なんです。当時、演劇などの芸術活動や、溢れる自然の中など、「多世代コミュニティの中で、子供だけで意思決定する」環境にいることが多かったんです。その経験もあってか、中高を通じて色々な人と出会ううちに、子供に関わる仕事をしたいと考えるようになりました。
それに加えて、元々自分の持っているホスピタリティ精神が合わさって、社会問題に意識が向くようになったんだと思います。そして中学校の頃、子供たちにかかわる問題を解決したいって思ったときに「国際協力」というフィールドを知って、高校生のころには「ストリートチルドレンの子たちのため保護シェルターを作りたい」という夢を持ち始めていました。
そんな背景があって、行き着いたのがインドで国際協力を行う学生団体でした。
2-2.思い立ったら即行動の大学2年生
原さん:2年生のころの印象的な出来事は、西日本豪雨災害ですね。
当時はダンスサークルで活動もしていたんですけど、災害が起こったときに、「被災地のために何かしなければいけない!」とダンスそっちのけで、被災地支援のボランティアを募ったり、友人とボランティアの人たち用の送迎バスを手配したりと被災地支援のために尽力していました。気付けば、その友人たちと災害支援団体を立ち上げることになっていました。
西日本豪雨支援の次は、元々予定していたフィリピン留学がありました。留学といっても、1ヶ月ほどで、私が行くところはいつも日本人の方がたくさんいることが多いんですけどね(笑)
フィリピン滞在中は、インドのサークルで関わりのあるNGOが田舎の小さな島で「貧困層の雇用創出」について調査していたので、そこでインターンをしたり、英語を学んだりといったような滞在でした。
フィリピンから帰国後は、「わたしがやりたいことって何だろう??」って考え、その結果国際協力がしたいと思ったので、インドのサークルもっと集中的に時間を割いていくことにしました。なので、ダンスサークルにはほとんど行かないことを決めた形ですね。
でも、ダンスサークルに入っていたことは楽しいことがしたいと言う気持ちを試すいい機会で、自分にとって大きい出来事でした。ただ、実際にやってみて「本当に自分のやりたいことではない」と改めて気づいたところがありました。
あとダンスを通して、自分の良さを理解できた部分もありました。始めてまだ少ししか経っていないにも関わらず、一人で夜行バスで大阪に向かってダンスバトルに行く「行動力」だったり、「自分がこれだ!」って思うものに全力で力を注げる「情熱」だったり!
2-3.休学のきっかけに出会う大学3年生
原さん:3年生の夏前に広島にビジネスレザーファクトリー(以下、ビジレザ)広島府中店がオープンしまして、そこでアルバイトとして働き始めることになりました。
そこで働くきっかけとなったのが、1年生のころに大学で受けたボーダレスジャパンの社長の田口さんの講演。まさにそこで、ボーダレスジャパンやソーシャルグッドの考えに「これだ!!」って思ったんです。でも当時は、まだ本当にソーシャルビジネスを理解できていたわけではなく、なかなか踏み出せずにいました。
HPサイトより(https://www.borderless-japan.com/release/lect/22405/)
そんな時、広島にオープンしたビジレザは、自分にとって巡ってきたチャンスでした!
そして、元々3年生の夏にストリートチルドレンのことを学ぶことができるスタディツアーのためにメキシコに行きたいって思って、自分史上で一番アルバイトを頑張っていたんですけど(もちろん、インドの活動や、災害支援団体なども並行して)、なんとその応募を忘れていて、、、(笑)
その代わりにインドに行くことになりました。
インドでは奨学金を送っている子たちの家庭訪問に行ったり、現地パートナーのNGOとミーティングをしたりしていました。
あとはインドのダージリン地方の紅茶の買い付けをしたりで3週間ほど滞在していました。しっかり、ダージリンティーを大好きになって帰ってくるっていう(笑)
高倉:メキシコ行きの予定を変更して、自分達の活動に切り替えたってわけですね!
2-4.休学を選択
原さん:そうです。インドから帰ってきた後は、引き続き広島のビジネスレザーファクトリーでのバイトを続ける中で、色々と自分の中で思うことが出てきて。
最初は、インドの貧困解決に人生をかけて取り組もうと、社会起業をすることを考えていました。でも、3年生の1月から2ヶ月間、ビジレザでインターンをする機会をいただいたんです。インターンではマーケティングを担当させていただいていて、ボーダレスジャパンのオフィスは座席が決まっていないフリーな環境で、自分の横で田口さんが仕事をしていたり、他の会社の社長さんが仕事をしていたりと、色んな大人の人たちの話を聞く機会がたくさんありました。
そこで、色んな大人の話を聞く中で、
っていうことに確信が持てなくなっていた現状がありました。
それが実は休学に繋がるきっかけでした。
休学を知ったのはいつか思い出せないんですけど、その当時の時点で休学に対するハードルは全くなくて、むしろ、「休学する権利」があると思っていて。(笑)
強いて言うなら、経験者から休学の経験を自分から聞きに行くということはなかったんですけど、私の直属のサークルの先輩が休学していたり、自身が大学の単位を取り切っていたこともあったり、休学に対して壁を感じる環境ではなかったことも大きかったです!
ただ「結局、どこの地域の、どんな人、どんな問題を解決したいんだろう??」と言う問いには答えが出ず、自分は何がしたいのかわからない日々が続き、休学申請の3月ギリギリまでずーーっと悩んでいました。
色んな大人の人たちに相談していて、ゼミの先生からは
対してボーダレスジャパン社長の田口さんたちからは、こう声をかけられました。
結局、たまたま一緒に田口さんたちとご飯を食べていた時にかけてくださったこの言葉がきっかけで休学する選択を取りました。
その時はしっかり長期でインドに滞在して、ビジネスプランを自分で考えて、何かを自分で取り組もうという目的を持てていました。そんな3年生でしたね(笑)
高倉:では休学のきっかけは「ボーダレスジャパン」にあって、その目的は「自分が本当にしたいことの追求」ということですね!
そして、自分のしたいこととして「インド渡航」が明確にあったのはすごく良かったですね!
原さん:そうですね!インドに関しては自分が一番対象としている子供たちを支援しているサークルとの出会いがあったので、本当に「縁」ですね(笑)
3.原さんの休学ライフ
3-1.休学の目的
高倉:それでは、原さんの休学中のことについておききしてもよろしいでしょうか??
原さん:はい!!わかりました!!
まあそんな事情があって、4月から休学することになったのですが、コロナが流行り始めちゃったんですよね。直前でいきなり休学することになったので、「まあ、8月くらいになったらインドに行けるかな」っていう感じで、引き続きビジネスレザーファクトリーで働いていました。
働いていた目的はもちろん、自分がしたい「貧困解決」につながるからっていう部分が一番なんですけど、実は裏の目的を持っていて(笑)
実はインターンを始める前までの自分はクズバイトでした。(笑)「働く」ことのそもそもの意味とか、「ソーシャルビジネス」そのものを本質的に理解できていなくて。学生団体のボランティアをしていたので、その時の感覚が抜けず、ソーシャルビジネスで働く内容に違和感を感じつつも、そのまま働いていました。
本当にしたいことは「子供たちの貧困解決」なのに、自分が実際にしていることは「ビジネス」。
会社自体、きちんとした想いやビジョンは掲げていますが、実際には店舗の売り上げの管理であったり、お店の商品の陳列を考えたり。
自分のしたいことと、今の自分の行動とのつながりに開きがあって、フラストレーションを抱えて、働いていました。一緒に働いていた店舗メンバーたちと自分の感覚にもギャップを感じてしまうこともあったのですが、うまくコミュニケーションを取れていなかったし、自分自身とも、店舗メンバーとも向き合う努力をしていなかったんです。そういう自分の働き方をすごく反省していました。
なので、裏目的としては、バイトやインターンとしてきちんと貢献できなかった経験から、「休学の前半はビジネスレザーファクトリーの売り上げに本気で貢献すること」、そして、休学の後半は当初の予定のインドに行くことを目的に掲げていました。
3-2.実際の休学ライフ
原さん:そんな感じで始まった休学ライフですが、4月から実際に自分の店舗の販売促進担当を任せていただきました。
販売促進の計画を立てたり、店舗のチームを立てるための企画を立てたりと色々と頑張っていたのですが、4月に全店舗休業になってしまって。
その中で、自分の店舗のメンバーに対して企画をしてみたり、全国のバイトメンバーとブログを書いてみたりと色々挑戦しながら8月くらいまで過ごしていました。
高倉:一つ質問良いでしょうか。
実は僕も全く同じ理由でボーダレスジャパンに参加していました。ずっとフィリピンの子供たちの野球支援活動のボランティアを続けていて、その中で、僕も「ボランティア運営の持続可能性の低さ」を考えていました。
利益などは求めていない。でも現実問題として、金銭的な問題は絶対についてくる。ビジネスになるとより色んな人を巻き込むことができる。僕はそのあたりを学びたくて、ボーダレスジャパンに参加していました
原さんのフラストレーション、僕もすごく理解できて。そこで、そのいわゆるクズバイトからどういうきっかけで本気で貢献しようと思うようになったのですか??
原さん:えーと。私が「クズバイト」といった理由として、ビジネス的なことをそもそもわかっていなかったこともあるのですが、たった一人のアルバイトで、誰に話していいかもわからず、一人でパンクしていて(笑)
本当は誰に相談してもよかったし、みんな聞いてくれたんですが、それが当時はわからなかったんです。
自分もバイトながらに一生懸命、店のことを考えていたからではあるのですが、店長の経営方針が気に入らなくて…(笑)
「は??」という感じで悪態をついてしまったり、、、(笑)
そんな感じだったので、ひどいバイト、クズバイトだったのではないかと思います…(笑)
そんな状況が変わったのは、実はインターン初日のことで。というのもきちんと社長の原口さんから、会社の成り立ちやビジョンのことを直接お話しいただけまして。きちんとその会社のことを理解することができ、働くことで貧困地域の問題の解決につながるということを自分の中で落とし込めたことが大きかったです。
その組織の中での自分の立場の大きさ。会社からの自分への期待。そこを肌で理解して、猛反省して、会社へ本気で貢献しようという風になりました。
原さん:そんな日々を過ごす中で、8月ごろコロナの流行でインドに行けないことが現実味を帯びてきて。インドに行けなかった場合のことを考えていたはずもなく。
インドに行けないなら、会社で働くこと以外にも何か別のことを本気で取り組みたいと思って、ずっと関わってきた災害支援団体。そこの代表になろうと決意しました。自分自身、将来的に起業の道も考えていたので、小さい団体でも運営の経験をしておきたいなと。
なので、8月以降はビジネスレザーファクトリーの仕事もしつつ、災害支援団体の運営も並行して進めていました。その団体運営の活動の中で、大きな出来事が2021年1月にありました。それは、団体の写真展のためのクラウドファンディングの立ち上げです。
私たちの団体は東日本大震災のことにも関わっていて、風化させないことはもちろん、知ってもらうことで防災意識を高めたいという思いがありました。
そして、休学の終盤の3月にリリースすることができました。
↓実際のクラウドファンディングのホームページ
(https://camp-fire.jp/projects/view/392367#menu)
クラウドファンディングで、こんなにも応援してくれる人がたくさんいるということ・自分の得意なこと・苦手なことを、自身の経験を通じて理解できたことは大きな学びになりましたね。
3-3.休学を選択して思うこと
原さん:休学を選択したことはもちろん、休学中にたくさんのことを経験できたので本当に良かったです。
ただ、正直なところ、実際一番の目標の「インド渡航」はできなかったわけです。ビジネスレザーファクトリーの経験や、災害支援団体の経験は時間をうまく作れば、休学をしなくてもできたことなんじゃないかなっていう気持ちもあります。
さらに言えば、休学を選択する前に「就職」「就活」のことについて、もう少し考えておけばよかったなって思うんです。例えば自己分析とか。
とにかく手足を動かすことばかりで、自分を振り返るということも少なくって、実際に自分の思いに悩んで立ち止まることもあったので。
だから、就活のことなども考えたうえで、休学をしていれば、休学中の生活をもっとよくすることができたよねっていう気持ちが正直なところです。
高倉:それって、休学をしたから「絶対に何かをしなければいけない!」っていうプレッシャーもあったのでしょうか?
原さん:いや、それはなくて!でも自分の性格として、動いていないとダメで。(笑)
当時は一生懸命色んな事に取り組んでいたんですけど、「休学」という時間を自分のために100%、いや120%くらい使ってあげればよかった。休学をもっと自分と向き合う時間に充ててあげればよかったって。それを就活を経験して、思いました。(笑)もしかしたら、休学を経験した人にもっと話を聞いてあげればよかったのかも。
高倉:休学をもっと自分の時間にしてあげればよかったってことですね。
原さん:そうですね!色んな活動をしながらも、目的が「自分のやりたいことを追求する」っていう。
4.原さんのこれからについて
高倉:最後に、休学ライフを終えた原さんの今後についてお聞かせください!
原さん:わかりました!
ではまず今年終えた就活について、少しお話しします。
実はインドで起業しようか、貧困解決をしている会社で働くかの2択ですごく悩んでいて、引きこもっていた時期もありました。確かに、インドのストリートチルドレンの子たちの貧困解決をすることに意識は向いていたんです。でも、起業するってなると当然インドのことを中心に事業を運営していかないといけない。そこへの覚悟が自分の中で決めきれなかったんです。
社会起業において、「社会問題を解決したい」という思いが何よりも大事だと思っていて。ある種「こだわり」を持てるのも大事というか。私の場合、「絶対にインドのあの子たちの問題を解決したい」という、人生をインドに捧げるほどの強い思いを持てていないと、自覚しました。
それに就活中、いろんな人から「覚悟がないって言っているけど、いつ覚悟が決まるの?」と言われ、本当にその通りだなと反省して。生半可だったというか。口だけの自分を反省させられたのが就活期間でした。
でも、どう考えても貧困解決がしたくて、考えた末、自分が最大限貧困解決に貢献できるし、今知っている貧困問題の方法で一番だと考えた、ビジネスレザーファクトリーを受けることにしました。これからはこの会社を通じて、確実に成果を上げ、貧困問題の解決にいろんな形で引き続き取り組んでいきたいですね!
さいごに
今回は広島大学4年生の原さんにインタビューをさせていただきました。
このインタビュー記事のボリュームからわかるように学生の間で多くの経験値を積み重ねてきた原さん。原さんはおそらく大学の4年間では時間が足りなかったはずです(笑)
そんな彼女だからこそ「休学してよかった!!」ではなくて「もっといい時間にできた!」という言葉が出てきたのだと思います。更なる成長を目指して、今後に生かしていく姿勢はすごく原さんそのものを表している気がしました。
僕(川口)のように「休学に結果は求めなくてもいい。」という考えもあれば、原さんのように「せっかくの休学期間をいかに有意義に過ごせるか」という考えもある。
「休学」に対しては百人百色、様々な捉え方があるので、自分の考えと照らし合わせて考えていただければなと。
実は簡単なようで難しい。原さんのやりたいことでもある、貧困問題解決。これもすごく難しい問題。
それでも自分のやりたいことに向かって、挑戦していく原さんは本当に世界を変える一人になるのかもしれない。
そして、そんな人たちがもっと増えればいい。
そんな願いと期待を込めて、今回のタイトルは
にさせていただきました。
原さん、インタビューにご協力いただき、本当にありがとうございました!!