『不自由から抜け出した"Underdog"』Haruki Takakura
1. Who is Haruki Takakura??
川口:ではね、さっそく遥輝のインタビュー始めていこうか!!
高倉:うん、でも改めて自己紹介って気持ち悪いな(笑)
高倉:はい、では高倉遥輝(タカクラハルキ)と言います。
現在は、京都の同志社大学に通うギリ4年生で、最後のモラトリアムを楽しんでいます(笑)
大学3回生が終わったころに、どうしても経験したかった海外生活のために1年間休学をしていましたと。
趣味は散歩と読書とビールで、疲れ度合いによって趣味を変えんねん(笑)
あんまり疲れてないときは散歩、めっちゃ疲れてるって時はビールって感じで、パッケージとかも楽しみながら色んなクラフトビールを飲むのが好きですね~。
最近は「スキマ」っていうテーマで、写真を撮ること・記事を書くことにハマってる。スキマを通じて、日常に潜む「孔(あな)」を伝えたいって思ってて。その「孔」の意味は、ただの出口の無い穴っていうよりは、トンネルのような通り道のようなイメージ。身の回りにあるはずなのに、見逃してしまう、見逃されてしまうような「孔」を伝えたい。人間って映画を見た後にすごく感性が鋭くなるように、ちょっとしたことで感情が変わる単純な生物だと僕は捉えている。ギャップイヤーや休学も一種の空白の期間、スキマであって、そういうスキマを持つことで、自分の見え方や考え方が変わる。一歩踏みこめば考え方や見え方が変わるようなスキマ、いわゆる「孔」が大切だと思うから、このテーマを掲げています。
2. 学生時代のタイムライン
川口:いい自己紹介ですね~(笑)(笑)
では、次は学生時代のタイムラインをよろしく!!
2-1.「普通」に悩まされる小中高
高倉:大学入学までの小中高をざっくりと振り返ると、そこそこ自分はスポーツができ、勉強ができた優等生やった。まあ、井の中の蛙ではあったけど(笑)
でも、それが故に周りから「遥輝は普通で良いよな」って言われることが多くて。自分には特徴がないかもしれないと思い始めた所から、「普通」が少しずつコンプレックスになっていった。
今は、多様性の観点もあるし、スキルとか技術とかそういう比較できる面を見て「普通」って言葉使うんやろうけど、「普通」とは何かってことに自分の中でずっと葛藤を抱いてきた。
川口:「普通」ね。普通ってなんだそれ??って話やんね(笑)
2-2.「不自由」と向き合う大学1年生
高倉:そんな感じでもがきながらも、無事に大学に入学することができたと。皮肉にも、勉強はそこそこ「普通」に優等生やったからね(笑)大学では、フットサルが好きやったこともあって、フットサルサークルに入った。友達はみんな面白くて、飲み会もいっぱいして、いっぱい遊んで。その当時はいわゆる「ザ・大学生」を楽しんでいた(笑)
大学って本当に「自由」やんか?
でもその「自由」が自分にとっては「不自由」だった。
川口:自由が不自由とは??(笑)
高倉:自由すぎて、何を自分はすべきなのかがわからんようになってしまって。自分で考えて、なんでもやっていかないといけない大学生の環境にいきなり放り出されて。
その上でこれまでずっと自分を悩ませてきた「普通」。
大学の自由な環境がまた大きく自分を悩ませることになったんよね。
川口:なるほどね。中学、高校って道筋がある程度用意されてる。だからある意味「普通」で良いわけ。でも大学っていう自由な大海原に放り出されて、改めて「普通」について向き合うことになったってことやね。
高倉:そうそう!中学、高校でも「普通」についてずっと悩んでいたけど、部活、勉強とか拠り所があったからまだ大丈夫やった。でも大学では、自分のすることは誰にも決められていない。
そんな自分が変わるきっかけになったのが、フィリピンの野球支援ボランティアを一緒にすることになる子との出会い。オブラート包んだ言い方すると、パーティサークルかな?。たまったま、そこで出会って(笑)
高倉:その出会った子はエクアドルの帰国子女で、ものすごく自分に素直だった。最初はその子のことを「ただのわがまま」と思ってたんやけど、振り返ると「とんでもなく自分に素直」っていう表現の方が正しいと思う。
そいつのどこが素直に思えたかっていうと、自分のしたいこと、自分のなりたい像を明確に持っていた。もちろん、迷いながらではある。でも、自分で自分のことを信じきれる自分を持っていたからこそ、自分に素直な人だなって羨ましく、かっこよく見えた。
川口:遥輝にとってこの子との出会いは本当に衝撃的で、大きかったよね。
高倉:ほんまにそうなんよね。フットサルサークルでずっと遊んでいた日常が続いてた中で、1年生の冬に初めてフィリピンに実際に行くことに🇵🇭
そこで見たのは、すごい危険な環境で野球をする少年たち。同じ野球でも、自分が経験してきた日本では当たり前のような野球環境が向こうにはなくて。例えばヘルメットをしないでバットを振っていたり。地面は雑草だらけでガタガタだったり。でも使うボールはプロ野球でも使われている硬球。
その子たちの環境を見て、自分がいかに恵まれた環境にいたかを実感した一方で、実はもっと印象的やったことがあってさ。
それが、フィリピンの子たちは自分と違って、周りと比較しない幸せを持っていたってこと。
川口:環境としてはもしかしたら自由ではないのかもしれないけど、日本にはない、遥輝が持っていない自由の形があったってことやなあ。
高倉:見てきたフィリピンの野球環境はどちらかと言うと不自由やけど、フィリピンの子どもたちの心はそうじゃなかった。
でも、それがどういう自由なのかはその時にはわからなかったけど。でも、何かと比較しない限り「普通」って言葉に囚われることはないやんか(笑)
あとこのフィリピンで感じたのが英語の必要性。フィリピンの第2言語が英語やから、みんなそこそこに英語は理解できる。
野球をもっと教えたい。野球支援に力を入れるにはもっと英語を学ぶ必要があると思った。
2-3.「不自由」から脱却し始める大学2年生
高倉:大学2年生になるころには、フットサルサークルにはほとんど行くことがなくなってきて、遊びにお金をかけないようになってきた。
そして、1年生の時に感じた英語が必要という感情があって、2年生の夏にはカナダの語学学校へ2ヶ月ほど留学に🇨🇦
これは、英語も勿論やけど、もうちょっと自分の知らない世界を見て、自分の不自由さを無くすヒントとなるような場所を探していたところもあった。
川口:今までの環境をガラッと変えて、行ったことないようなところからヒントを得ようって感じ?
高倉:そうね、ガラッと変えるというよりは知っている場所が狭すぎて(笑)
ちょっと広い世界から見てみたいって気持ちかな。
その当時は本当に必死で。
とにかく自分は何がしたいのか、自分が何者なのかを知りたかった。
川口:なるほどね。じゃあ、実際にそのカナダの語学学校行ってみて自分にどんな変化があった??
高倉:まず、目的の英語勉強ってのに関していうと、そこそこに英語は伸びたんやけど。でも、語学学校じゃない場所の方が英語は伸びる(笑)学校以外の場所で話す英語って活きた英語な訳で。学校の外で遊びながらの英語が自分にとっては大事やった(笑)
でも、その学校以外で遊ぶ場所に一緒に行くのは語学学校の友達やったな〜。
あとは、もっと海外で生活してみたいって思うようになった。
川口:なるほどね(笑)
高倉:そして、次の大きな出来事は2年生冬に行った2度目のフィリピン🇵🇭
2度目のフィリピンでは、前回よりも思ったことを英語で伝えられることができて、英語の成長を実感できた。
それと自分達のフィリピンでの活動が認められて、現地の市長さんから表彰されることがあった。もちろんすごく嬉しかって、この時に「社会にとって意義のあることをしたい」って思うようになった。
それは、自分が不自由さから抜け出すための一つのピースであることに気づいた瞬間でもあった。
で、引き続きフィリピンの活動を続けていこうと決め、日本に帰国した。
2-4.自分の気持ちに素直になる大学3年生
高倉:大学3年生での大きな出来事があって1つはアメリカ大陸横断。
キャンピングカーで人生一度はアメリカ大陸を横断したいって奴たちの集まりで、その時のメンバーの半分くらいが初めて会う人やった(笑)
アメリカ横断では、ド迫力の「グランドキャニオン」とか、人種の坩堝「ニューヨーク」のカオスさに触れて、自分の中で免疫がついた期間やったように感じる。
川口:ちょっと待って、免疫ってどういうこと?(笑)
高倉:ここでいう「免疫」は、経験値に近くて。世界を旅する中で色んな人がいるっていうのがわかってきたけど、やっぱりどうしても黒人さんなどは見慣れないし、アメリカ人たちはみんなデカい。
そういう見慣れない人たちに対して、「怖い」っていう偏見を持っていたけど、それはただの偏見に過ぎないっていうことを身を持って感じられた。世界には色んな人が居て、色んな景色がある。でも、あくまでも知識にしか過ぎなくて、「多様性」という言葉が腑に落ちていなかった。それが、この旅行で色んな人と実際に交流したことで「多様性」が腑に落ちた、免疫がついたって感じかな。
免疫は、言葉チョイスのセンス悪いかな?笑
川口:なんか自分が持っている固定概念に囚われなくなっていったって意味でも「多様性」への免疫っていう感じやね。
高倉:1ヶ月だけやったけど、すごく濃くて充実してた。
ニューオリンズのジャズとか色んな文化にも触れられたしね。
なんか1つの「色眼鏡」を持って周る旅の楽しさを初めて知った旅でもあった。
川口:たしかに何かにフォーカスして、周る旅ってすごいおもろい。俺やったら海外のジム絶対行くし(笑)
ジムから国民性とか文化を感じようとしてたもん(笑)
再びやって来る不自由さ
高倉:そして、アメリカ横断を終えて、大学3年生の冬、周りの友達が就活をし始めるようになってきた。でも俺は迷ってて。
ずっとしたかった海外生活ができていない。社会人になれば、まとまった時間を取ることは難しい。この時に思ったのは「今行かないと絶対に一生後悔する」。後悔したくないっていう気持ちを何よりも大事にした結果、休学が必然の選択肢になっていた。
とはいえ、周りと一緒に就活もしていた(笑)
川口:ほお、なるほど。海外生活への憧れがありつつも就活もしていたか。僕の場合やったら、就活は一切せず、休学の選択肢に全振りしていたのね(笑)
なんで、遥輝は休学も考えつつ、就活もしていた????
高倉:たしかに、ヒロトは全振りしてたな(笑)
俺はとにかくどちらの選択肢に関しても、分からないことが多かったからなんよ。
自分が実際に経験してからじゃないと腑に落ちないタイプってことをわかっていたこそ、一回やってみてから判断しようって思った。
それでこの時、就活を一旦する中で色んな企業を見て、自己分析などをした時にまたまたアイツがやってくる。
川口:出た!!(笑)再び遥輝を悩ますヤツ!!
高倉:ここ最近は色んな国に行き、充実してたからそのことを考えることが少なかったなと改めて就活をしてみて気づいた。
そういえば俺って不自由やったって(笑)
川口:(それってもう不自由から抜け出せてるような…笑)
高倉:まあ、就活っていうタイミングで改めて不自由で悩んでいる自分を呼び起こされたのよね。不自由と向き合わざるを得なかった。
そこでもっと「自分が何者かを知りたい」っていう気持ちが今まで以上に強くなってきて。
自分の親は、中学、高校、大学とトントンと進んできた自分がそのまま良い企業に行くことを望んでいたと思う。
親がめっちゃ良い企業で働いてた訳ではなかったからこそ、子どもたちの勉強などをたくさん支援してくれてた。
でもその時の自分の素直な気持ちとしては、
そんな感じで「自分の気持ちに素直になる」っていう軸の下、休学を選択した。
川口:そういう経緯で休学を選択して、まず遥輝はデンマークに行くことを決めたんよな??
高倉:そう。まずは海外に行こうって行きたい国を探していたら、自分の不注意のせいで海外留学プログラムの申し込みが気づいたら終わっていて(笑)だから自然とワーキングホリデーという選択肢になった。ワーキングホリデー制度が使える国は限られていて。それで、2年生の時のフィリピンで感じた「社会に意義のあることがしたい」って観点から調べていたら、ソーシャルデザイン・参加型デザインというワードに出会った。
サービスを受ける側の人たちをサービスを作る側に取り込む参加型デザインが自分にすごくハマって。そうするとデンマークという国が浮かんできた。
参加型デザインの”メッカ(聖地)”のように思えた(笑)
それに加えて、その時に読んでいた「僕たちはファッションの力で世界を変える」というThe Inoue Brothersというブランドについて書かれた本の影響もあった。
そして、デンマークに関して調べてみると、現地の体験記などもあまり出てこないっていう未知の部分が多いところにも惹かれて、デンマークに行くことを決めた。
きっかけとなった野球支援
高倉:それともう一つの大きな出来事は3年目のフィリピンのボランティア活動。この年は、団体のリーダー合わせて計3人のメンバーが留学で離れることになってしまうというピンチが訪れた。正直、この時点では活動を続けるかどうか迷っていたくらい。
でも残っていたメンバーの子たちはみな「活動を続けたい」っていう思いがあった。
そんな時に、フィリピンの現地の人たちと連絡を取り合う中で、子どもたちは野球をしているが大会や試合の機会がなく、「何のために野球をしているのかわからない」という子どもたちの声を聞いて。
お互いのピンチを乗り越えるために、できるかわからないけど、フィリピンでの野球大会の開催を目標に再度頑張ってみようということで、活動を続けることになった。
大会開催の資金のために道頓堀でチャリティイベントを行ったり、クラウドファンディングに挑戦してみたりと活動を続けていく中で、フィリピンの伝統的な球場を抑えることができ、総勢80名の参加者が集まる大会を開催することができた。大会前日まで、球場予約がちゃんとできてなくて大焦りやったけど(笑)直接じゃないと予約できひんって急に言われてさ。
この時頑張った経験で、どうなるかわからないけど、なんでもやってみる、”なんとかなるんだ精神”を得られたと思う。
それが自信となって、デンマーク行きを後押ししてくれた。
3. 休学ライフ
3-1.北欧研究所でのインターン
川口:そういった経緯で、休学を選択、そしてデンマークに行くことになったわけね!じゃあ、次は実際のデンマークの話をどうぞ!!(笑)
高倉:まあ、そういうわけで実際に休学が始まって。デンマークに行ってすること、特に自分の興味のある参加型デザインについて、ワーキングホリデーで働きながら、学べるものを調べていたら、「北欧研究所」っていうインターン先を見つけた。
この「北欧研究所」っていうのは、参加型デザインを研究している日本人の教授が運営しているコンサルタント機関。そこにお世話になることになった。
話は少し変わるけど、飛行機に乗ったときに読んでいた、角田光代さんの『世界中で迷子になって』っていう本がきっかけで、自分も何か本のようなものを書きたいと思うようになったのね。
それから、ちょうど北欧研究所でライティング練習のために、各々がnoteを始めるって言うルールがあってん。それも相まって余計ライティングに興味を持った。
この本に出てくる「世界は自分が思っているよりも遥かに大きくて、その世界に飛び込めばさらに世界が広くなる」っていうような内容がすごく印象に残ってる。国とかの世界だけに限らずそうなんやろうなって。
ちょうど、自分が他の世界に飛び込もうとしていた状況も相まって、すごく自分の考えが変わった出来事でもあった。
川口:うんうん。具体的にどう考えが変わった??
高倉:なんか「世界」っていう言葉って色んな意味を持っていて、色んな国々のことを「世界」っていうこともあれば、自分の価値観や考え、いわゆる「世界観」という意味で「世界」っていうこともある。
そして、自分はこれまでの経験の中で、国や価値観など様々な「世界」に
触れてきた。
なんとなく心の中ではわかっていたことを、ドンピシャで言葉で言い表してくれていたのが、その本やったわけ。
この腑に落ちた感覚が自分をさらに変えてくれたと思っていて、そして、自分も言葉に表そうって思って、今の趣味のライティングを始めるきっかけになった。
川口:要はその本は、物理的に違う「世界」に行くことは自分の「世界」観を広げてくれて、新たな景色を見せてくれるよってこと言うてたわけやな~。
高倉:そんな感じ(笑)それで実際に書いてみたら、意外とうまく書けて、「自分でもできるんじゃないか?」って思った。
これはあくまでも押し売りの言葉やけど、「素敵な勘違い」をし始めた(笑)
「社会に意義があることをしたい」っていうピースを、記事を通じて表現したいって思うようになった。
川口:じゃあ、遥輝が手に入れたピース①が「社会に意義があることをしたい」ってことやんか。そして、ピース②が「素敵な勘違いがきっかけのライティング」ってことやな(笑)
高倉:そうそう。自分像を作るには、「やりたいこと」が必要で、さらに「なりたい像」も必要、そして、自分の「好きなこと」も知る必要があった。
この時点では
こんな感じのことを飛行機で思っていた。
高倉:そんな期待とは裏腹に実際にデンマークについた途端、なんとロックダウンに、、、(笑)
もしかするとロックダウンでは無ければもっと色んな経験ができていたのかなって思う気持ちもあったけど、ロックダウンっていう未知の経験をむしろ楽しんでいた。
でも全人類初経験なことではあったから、お世話になっていたステイ先の人たちもみんなストレスがたまっていて。そして、些細なことからケンカしてしまって、家を追い出されることになってしまった(笑)
川口:本当に世界で迷子になっちゃった(笑)
高倉:そんなデンマーク生活の中で、印象に残っていることは3つあって、まず1つがルーカスとの出会い。そして、北欧研究所でのインターン。最後に「The Inoue Brothers…」。
順番は変わるけど、さっきも出てきた北欧研究所。
北欧研究所では、自分の「したいこと」ができた場所やった。学びたいことを学びながら、尊敬できる上司と仲間と一緒に働けてっていう。
このインターンでは、日本で見たことのないようなビーガンに特化した会社だったり、化石燃料を取り扱う会社から電力に大きく方向転換した会社があるだとか、初めて知る世界がたくさんあった。参加型デザインをもろに取り込んで街づくりをする会社があるとか。
そして、それぞれがそれぞれの信念を持って、社会を変えているこのデンマークの環境が先進的に感じられた。
この環境の違いを知れたことは、これから自分が社会に出ていくうえで、本当に大切な学びになったと思う。
川口:ちょっと待って、今良い言葉が出てきた。信念を持って進んでいく社会の在り方について、もう少し詳しく聞きたい。
これ、遥輝が1年生の時に出会った、エクアドルの帰国子女の子と同じちゃう??
高倉:そうね。このエクアドルの子も自分の信念を持って生きていた。デンマークも国が決めた政策ありきではあったけれど、信念に沿って一気に方向転換している会社があったことからは、社会全体がそれぞれの信念を抱えて進む力強さを感じられた。
3-2.迷子から救ってくれたルーカス
高倉:そして、ルーカスとの出会い。
これは家を追い出されたピンチのときに訪れた出会いやった。
現地で学校などには行っていなかったから、デンマークでの友達がほぼいなかったこともあり、本当に物理的にも精神的にも路頭に迷っていた。
で、元々Facebookでやり取りをしていた、ルーカスに連絡してみると、ルーカスが住んでいたシェアハウスに呼んでくれて、住むことになった。
そんな時にも関わらず、落ち込むのではなくて、ずっと前を向いていられたのは大きな成長を感じた瞬間でもあった。フィリピンの活動で得た「何とかなる精神」が発揮されていたからね。(笑)
とにかく、路頭に迷っていた中で初めてデンマーク人の友達ができた。
このルーカスは元々出身がインドだったり色々な背景があるけど、すごい明るくて前向きで最高なブラザーやってさ。ルーカスは自分に大きく影響を与えてくれた人たちのうちの1人。
そしてルーカスは惜しみなく、自分の友達を紹介してくれて、どんどん自分の世界が広がっていった。
特にデンマーク人の人たちと関わっていて思ったことは、「Yes,and」のコミュニケーションが根付いてるな〜って。会話の中で、誰かが意見を発したときに「いや〜、でも〜、No、But」っていう批判的な言葉から入っていくことが少なかった。どこかしら、良いポイントを見つけて一度認める。その上で、自分の意見とか反対やと思った意見を伝える。
議論を前に進める上で、怒りとかそういう余計な感情を周りに持たせないっていうコミュニケーション技術があった気がした。
デンマークでは、小さいころからグループワークがあったり、テストは口頭試問で個人の意見とチームの意見をそれぞれ求められる。これは個人としての自分も社会の一員としての自分も大切って考えるデンマークの特徴を示しているように感じた。
3-3.自分のなりたい像「The Inoue Brothers…」
高倉:そして、3つ目の大きな出来事である、The Inoue Brothersとの出会い。
北欧研究所のつながりで、日本人の駐在員が集まるパーティーに呼んでもらったことがあって、そこで日本人のフットサルコミュニティがあること知ったのね。フットサルは好きやからめっちゃ嬉しかった(笑)
そして、そのフットサルに行くようになっていたら、このThe Inoue Brothersの兄が練習に来ていて。「あ、この人本に出てきてた、、、」って。
その本は『僕たちはファッションの力で世界を変える』ていう本で。これは自分がデンマークに行くきっかけにもなった本で、その人に偶然フットサルで会うことができた。
でも、その時は楽しみに来ているフットサルを邪魔してしまうような気がして、声を掛けんかった。
そのことをずっと後悔しながら、月日は流れて日本に帰国する数日前。
たまたまフットサルで再会することができて、話しかけるとなんと自宅に招いてもらえた!!(笑)
自分がこれまで経験してきたフィリピンの活動の話をするとウンウンと聞いてくれて。
The Inoue Brothersは簡単に説明すると、ソーシャルグッドをきちんと持続的に続けるためにビジネスという形を取り入れているブランド。彼らの本は、ボランティアという形に限界を感じながらも、ボランティアとビジネスは完全に境界線を画するモノっていう印象があった自分にとって、目から鱗で、心から納得できることだらけやった。
信念を持って、働いて、体現している姿に心が惹かれた瞬間やった。
川口:要は、遥輝の探していたピース③の「なりたい像」がまさにそのThe Inoue Brothersやったってことやな。
高倉:そうね!社会に意義のあることで、かつ、自分達の信念を持って、貫き通す姿。まさにこれが自分の「なりたい像」やった。
だから、このデンマークから帰ってきたころには、自分の中でピースが揃ったような気がした。
4. 休学後の就活
高倉:日本に帰ってからは就活を始めた。というのも、北欧研究所でのインターンのおかげで、どんな業界や業種があるのかが具体的にイメージできるようになっていて、早く社会に出て、働いてみたいという思いが強かったから。
だから、休学前に行っていた就活の時とは良い意味で大違いの就活やった(笑)
川口:休学をしたおかげで、働く意味が自分の中で見出せるようになったって感じかな??
高倉:そうやな。そして、就活をしている中で、自分で大きな成長を感じられたときがあって。それは面接で、歌を歌ったこと(笑)
今まで、面接で自分の好きなことを話すことがなかったし、それを話そうって思ったこともないけど、実際に歌を歌って、自分のことを語れている自分に大きな成長を感じた。
なんか、自分のピースが固まってきつつあることに確信を得られたんよね。
川口:自分が何者であるかを少しずつ分かりはじめたってことか。
高倉:そうそう!自分のことをわかってるやん!ってことが分かったのがAlicia Keys 『Underdog』を歌った就活やった。
でも就活の結果、自分が本当に行きたいと思った1社は最終で落ちてしまって、本当にこれからどうしようか悩んだ。(結局、Underdogになる遥輝。でもそれもまた遥輝らしさではある)
高倉:そして、卒業後に働く会社が決まって時間ができてからは、裕登と2人でギャップイヤーBrothersを始めることにした。それに加えて、自分の記事をnoteで作成したり、サウナやシーシャなど新しい趣味も増えたり。特に大きなことをしていたって感じではないけど、社会に出るためのモラトリアムを存分に謳歌してたって感じかな。
自分の好きなことについて、もっと深く掘ることができた時期やった。
あくまでも休学やったけど、大きな目線で考えると本当に有意義なスキマ、いわゆる「人生のギャップイヤー」であったように思う。
川口:なるほどね。遥輝は「自由なのに不自由」の状況から、休学も含めた大学生活の中で不自由から抜け出すパーツを見つけ出すことができた。
言わば、大きな海の中でプカプカ浮かんでいるような状況から、自分の流れ先を見つけることができたって感じやな。
高倉:ね。やっと自分の乗るべき船を見つけたと言っても良いかも(笑)
特にデンマークって、海賊(バイキング)の話が有名やんか。だから、The Inoue Brothersはまさに海賊船みたいな感じなのかもしれへん(笑)
でも、これは自分がギャップイヤーっていう人生のスキマ時間を作ったから見つけられた。
やっと、人生のスタートに立てた。
ゲームで例えると、やっとキャラクター設定が終わった感じ(笑)
5. 休学を経て伝えたいこと
川口:ではでは、そんな感じの大学生活、ギャップイヤーライフを終えて、何か思うことはある??
高倉:そうやな〜、簡単に言えば「言葉」に縛られることが無くなったように感じる。
川口:「言葉」に縛られる!?
高倉:そう、ここでいう「言葉」は、いわゆる「世界」っていう意味で使ってる。さっきも少し出てきたけど、「世界」っていうのは世界各国っていう意味もあれば、クラフトマンシップや、アーティストなどの世界観っていう意味の「世界」もある。
自分がこれまで過ごしてきた中で、沢山の「世界」を渡り歩いてきた。そして、その中でも色んな人がいる、つまり色んな「世界」で生きている人がっていうことも知れた。
そういった経験から、〇〇といえば△△って言うような「言葉自体」に偏見を持ってモノゴトを捉える見方から抜け出すことができた。
川口:英単語に意味が複数あるような感じで、色んな世界を知れたことで、自分の偏見から抜け出せたってイメージかな。
高倉:うん、そんな感じ!でも、なんで偏見から抜け出せられたかっていうたら、4年で卒業するっていう正規ルートの大学生活ではない、大学生活を過ごすことができたからやと思うねん。
川口:ほお、なるほどね。実際に、自分で自分を「ギャップイヤー」っていうスキマに身を置いたからこそ、日常の色んなスキマに目を向けることができるようになったってことね!
高倉:そういうこと!よくまとめてくれた!(笑)
それで冒頭の自己紹介で話した内容の「孔(スキマ)」に繋がってくるわけ(笑)
まあ、休学などのギャップイヤーだけじゃなくて、身近な例でいうと「課外活動」とかも一種のスキマと捉えることもできると思う。
学校で学ぶだけもいいんやけど、課外活動に取り組むことで他の「世界」を知ることができて、より学校の学びが深くなるというか。そういう歩み方もある。
スキマに実際に身を置いて、スキマで過ごしてきて、色んなスキマに目がいくようになって、色んな「世界」を見れるようになれたからこそ、今の自分がある。だから、もっともっと日常の中で色んな「スキマ」を作る勇気を持ってほしいなって思う。
自ら空白を設けることは確かに怖いんよ。でもその「スキマ」から見える景色は思っているよりもいいモノなんだよって言いたい(笑)
高倉:休学やギャップイヤーを取りたいと思っていても、周りからの反対があってなかなか踏み切れない人も中にはいると思う。
そんなときにこそ、もっと自分に素直になってほしい。自分も少なからず、周りからの反対があったからね。
周囲の大人は、確かに人生の先輩として、経験値があることは間違いない。ただ、その意見がこれからの自分の人生において、ヒントになることはあっても、それが必ずしも正解ではない。
周りからの意見に振り回されるんじゃなくて、1つの意見として捉えて、そのうえで自分に素直になってこれからの様々な選択を選び抜いていってほしいなって思う。
6. インタビューを終えて
今回は、学生期間を終えたタイミングで、改めて自分達の休学、ギャップイヤーについて振り返って、記事にした。
狭く、深く、1つの世界から世界を広げてきた自分が、世界を広げられた、つまり視野を広げさせてくれたのは、対照的な歩み方をしてきた遥輝のおかげでもあったと思う。
逆も然りで、おそらく遥輝からすれば、のびのびと好きなことを想うがままに歩む自分の姿を見て、遥輝なりにすごくたくさん思うこともあったのだろうと思う。
そんな自分達が、お互い理由も目的も異なるのに、同じタイミングで「休学」というギャップイヤーの選択を取ったのは、たまたまではなく、必然だったのだろうと今になって思う。
遥輝が言うように、日常の「スキマ」にはなかなか目を向けることは難しい。もちろん、結果っていうこともすごく大事。でも、その結果に至る道中の歩み方にこそ、僕は真の価値があると思う。
「急がば回れ」とも言うように、寄り道や遠回りをする方がかえって、良い時もある。
社会では結果や成果が求められるからこそ、僕たちは見落としがちな大切な物にあえて目を向けることの重要性を伝えたい。
ギャップイヤーというコンテンツを通じて、その重要性が伝わっていってほしいと僕は思う。
ずっと、周りからの「普通」に囚われ、「不自由」に苦しんでいたが、
Underdogになり、自分の人生の勝ち筋を見つけられた遥輝。
おそらく、遥輝と同じような状況にある人も多いのではないだろうか。
遥輝の話が多くの人の何かの少しのきっかけになることを願う。
これからもっと色んな世界を見ていく僕と、少しずつ世界に絞って突き詰めていく遥輝。
しかし、対照的な2人だからこそ、凸凹のピースがハマる。
一旦社会に出て、それぞれのフィールドでどんどん僕たちは進んでいく。
この2人が再度、出会うタイミングでもっと大きなことを興すことが僕の抱く野望だ(笑)
僕たちも含め、ここで紹介しているたくさんの人たちの人生の歩み方が、どこかの誰かの、何かの少しのきっかけになるように。
ギャップイヤーを経験した僕たちはこれからも日常のスキマや、ゆとりを大切にしながら人生を謳歌し、人生の隙間時間のすばらしさを証明していきたい。