見出し画像

「まともがわからない」ピヨピヨしょうもない独り言

ごあいさつ


2024年2月、2020年度入学生のストレートの学部卒業シーズンを前にしている。みんな元気か。わたしは元気などとうに失った、生きる希望は恋心とかふざけたこと考えていた罰が当たった。(テキトー)生きる希望ナシ。
いろいろな反省や状況は置いておいて、私の「卒業」はかなり厳しそうな状況が現実としてある。

いままで大小のいろいろな問題を抱えつつも精神の浮き沈み以外は健康体に22年間生きてきた。正確には8年間生きてきた。ダヨゥ!
公立で小中高進学が是とされる地方では自分で進路を選ぶポイントの中3から人生にぶつかる。ぼくは地方うまれ。中3から8年間、自分の人生を生きてきた。自分の人生っていうのは、進路を選ぶことでみんなとバラバラになることだよ!
進路で初めて泣くほど不安になったのは中3の高校受験のとき。その次は高校3年のセンター試験を受ける前後の頃。そしてよくわからないテーマの卒論を抱え死んだ目をしていた23年11月から24年2月上旬。

死にたい僕ときみへ!そんで東進衛生予備校


大学受験で死にたいって思うなんて。卒業研究で死にたいって思うなんて。大人にはそう言われる。当時の周りの学生は死にたいと言っていた人もいたし、私も消えてしまいたい、死にたいと思っていた。
病んでいる時だけのご都合主義な反出生主義に傾き始めたのも東進衛生予備校のブースで泣いている頃だった。生まれなければ、こんな苦しみを味わずに済むのだ。親不孝なことに、親になんで自分を産んだのかを質問したこともあった。親はカウンセラーじゃないので、「なんとなく周りに合わせて産んだ、産むのがふつうだと認識してたから」とかいわれてブチ切れてしもた。おもろ。人間って…面白!!
公立進学校における受験ってなんですか。旧帝と地元国立以外の情報がまったく入ってこなくておもろい。結局受験は妥協することに耐えられればいのちもとられずに終わる。そんな感じで全く予定してなかった大学にきて4年目でやんすよ。はは。
東進のリフレッシュルームは座ることができなくて、立ち食いスタイルの軽食のみが許される。駅前校も有松校も立ち食い。そこで話したことが思い出される。友達は、まず進学校に子供を行かせないことでこの苦しみは防げるって言ってた。マスクをつける前のコロナ発祥期だったので不謹慎なこともたくさん考えた。親鸞様ごめんなさい!

人生の経験値

楽しかったことはどんどん忘れていく。反面、辛かったこと、恥ずかしかったことはあらゆる人生の局面でふと自分を責めてくる!
22年しか生きてないから、自分の失敗が人生の全てであるかのように感じる。ねえ、就活ってほんとに1月から7月くらいの間に決めないと手遅れなの?ねえ。誰がそうしたの?でてこい。
人生が、詰んでしまったかのように思ってしまう。そう思わせる社会の仕組みもある。就活をはじめ受験とか婚期とか。27歳で死ぬとか40代で死にたいとか私にはようわからんけど、バイト先の常連は40になったら失敗に落ち込むこともなくなったって言ってたのでみんな安心してね。ほんとかな。人生の経験値ってすごいんだね。

怪我をしない生き方

人は生まれ落ちたらなんかしらんけど年金払って税金払って生きなくちゃいけない。生きているだけでお金がかかる。だから働かなくちゃいけない。(生活保護を無責任に話題に出すひろゆきは意地悪なので大嫌い)でも、働けなくなったら、働けないほどのなにか困りごとが起きたら。生きていけない。
やっぱり、最終的に実家に住むのが1番いいんじゃないかって思い始めてしまっている。住みやすい住みにくい、憧れ、文化の享受とか差し置いて、なるべく怪我をしない道を歩くのが私には合ってるんじゃないかって、慎重になってみろとかいわれたし。調子に乗らないように。死ぬこと忘れて遊びまくりも死んだも同然地獄とかいわれ、死ぬこと恐れて篭りまくりも死んだも同然らしいよ!つまんないけどコントロールされつつ生きるのが安定らしい。うわ、やっぱ命絶ちたい!

「人は1人では生きていけない」ってよ!みんな恋人とか友人とかちゃんと大事にできてて幸せそうに見えちゃって辛いぜ!しょうもない邦画でも見よ!あーあ、しょうもな!

いいなと思ったら応援しよう!