自分から老人化する高齢者たち

実はこれが目下の僕のメインテーマです。
僕は早期退職をしたので、きちんと定年は迎えていないし、契約先も65歳で終了。それ以降、いろいろな公的機関からの受諾プロへジェクトに参加。
UIJターン、就職氷河期に非正規で就職した人の正規雇用への転換支援、
中小企業の働き方改革、主に女性を対象にしたリスキリングによる再就職支援プロジェクトなどを経験。
支援対象も就職希望者だけでなく、中小企業の採用や働き改革を目指す経営者の方々とも接し、それこそ、一つの企業・事業にいただけでは不可能と思われるような貴重な経験ができた。
そしていまは、二回目の生活保護受給者の就労支援を担当している。

対象者は、人材ビジネスに入って最初に再就職支援。
いわゆるアウトプレースメント事業の大手企業の早期退職者から、
生活保護受給者というかなり切羽詰まった生活を送っている方々まで幅広く経験してきているので、ちょっと珍しいはずだ。
そもそもキャリアコンサルティングといった言葉、人材ビジネスがおおきくクローズアップされたのは、90年代半ば頃のバブル崩壊期。
日本独自の『終身雇用、年功序列制度の崩壊』といったスローガンとともにこの世界に入ったので、この幅広く高低・深浅のある業界のダイナミックなうねりはとても興味深いものだった。
かつそれまで大船に乗っていたつもりが、いきなり定員を削減するということになって、それまで尊重された企業の強力な漕ぎ手という存在から、『もう不要だ。緊急用避難ボートに乗り移れ』、となる非常・非情事態もみてきたので、個人のリスク管理が不可欠であることも身に染みた。

そうして30年近くが経過し、いま、個人のキャリア&ライフ設計の在り方を見てみると、まだまだ怖さをしらない。あるいはまだ自分事として準備を進めていない、そんな甘さ、緩やかさを感じてしまう。

リンダ・グラットンの『ワークシフト』、『ライフシフト』という本がベストセラーになって、寿命100年時代は、いままでの人生が、学び、労働、リタイアの3ステージから労働ステージがいくつもに別れていく。
それは技術の進化や価値観や働き方の多様化などによって、主体的に個人が選択する時代になるだろう、といった、未来への憧憬や期待とともに警句として人々の口に上った。
もちろん、それらの本の読者は、日本の労働市場で過剰になっていた中高年=当時の団塊の世代だけではなく、
人材ビジネスに携わる業界人や総務人事、経営層などが多く、過半を超えていたのではないか?

なぜなら、再就職支援業界からほかに転出してから年ほど経過して、かつての同僚に確認すると、早期退職者の多くは、かつての10年、20年まえと同様に『まさか自分の会社がこうなるとは思わなかった』とか『評価されていたと思っていたのに、なぜ自分が早期退職なんだ!』とつぶやいているとのことだ。
この20年以上の間、多くのビジネスマンは技術やビジネスの在り方や企業の生き残りをかけた事業戦略に、あまりに無関心だったのではないか?

もしそうなら、彼らのライフスケジュールは、いまだに3ステージを固定のものとして考え、定年まで働き、そのあとは必要なら小遣い稼ぎをすればいいんだ、というレベルで止まっているのではないか?
そんな鳥肌が立つような思いに至った。

社会のブームを想像して謳歌してきた団塊の世代でさえ、そうであるなら、
そのあとに続く、しわ寄せを食らっている、停滞を余儀なくされた世代の人たちは、何を見本に、何を新たな常識として生きていけるだろうか?
現在の60歳や70歳は、かつての老人ではない。
間違いなく高齢者ではあるが、人生をフェイドアウトしていく枯れた、命の終焉を待つ老人ではない。
若いころほどの体力も知能もないが、経験という武器と、最低限のデジタルスキルを備え、かつての世代よりははるかに楽しい思いをしてきた体験と体力がある高齢者だ。
なのに、自分たちはこれからフェイドアウトしていく老人と認識していたら、周囲はともかく、自分自身が後悔することは間違いない。
自分の周囲の先輩を見ればわかる。
さあ、海外旅行だ。農作業だ。陶芸だといっても、すぐ物足りなくなったり暇を持て遊んでいる人がごろごろいる。

自分が思っている以上に体力もあり気力も残っているのに、
自分から従来の年齢イメージをきっかけに幕を下ろしてしまったわけだ。
高齢になって、そのことに後で気づいたのでは遅い。なんといってもチャレンジの機会は少ないからだ。

かくして、自分から『老人化する高齢者たち』は、円安や医療費値上げや年金の目減りに、乏しい武器で抗わなければならず、
寂しい人生を脅かされるリスクを抱えていく。

ではどうするか?
明確な答えはないが、次回から、じたばた考えていこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?