週に2時間だけの爆音 幻のスピーカーを聴ける喫茶店・パラゴン
日曜日の22時前。真っ暗になった串木野の街角に、ぽっと、明かりがつく。
いちき串木野市にある喫茶店、「Jazz&Coffee Paragon」。その名の通り、この喫茶店には、伝説のスピーカーと呼ばれる「JBL Paragon」がある。リビングの木製机かと見紛う、2メートル60センチほどの身体から、その日も爆音のジャズが鳴り響く。
「パラゴンに行っていないなんて!休んででも行ってこい!」上司からそう言われたのは9月くらいだったかな。鹿児島のジャズ好き、喫茶店好きの中では、この店を知らない人はモグリだと言われる勢いだという。どちらを自称するつもりもないが、鹿児島に5年もいるのに、鹿児島に来て1年の上司からそれを教わるとは、記者失格だ。このパラゴンというスピーカーはもう30年以上前に生産終了していて、誰かに譲ってもらうか、ビンテージのオーディオショップ界隈でタイミングよく出回らない限り、手に入れることはできない。この店では1976年の創業以来、マスターがジャズを流し続けてきたという。モダン主流派を中心に、レコード5000枚、CD 3000枚を取り揃える。営業時間は、12時から19時。ただ、日曜日の夜だけは違う。店を閉めたあと、22時にもう一度明かりがつく。パラゴンの巨体がその本領を発揮する、1週間で2時間限定の”フルボリュームタイム”の始まりだ。
爆音開始の10分前、私は徐に店に入った。一番乗りだった。緊張して席に着いて待っていると、22時を1分過ぎたころ、マスターがゆっくりとレコードに針を落とした。McIntoshのアンプのつまみをいっぱいに回し、お待ちかねのフルボリュームタイムが幕を開けた。一発目の低音を背中から真正面に受けたホールスタッフの店の人も、驚いたように肩を一瞬すくめた。確かに爆音だが、決してうるさくない。不思議だ。マスターは慣れた手つきで、カウンター前の「Play Disk」というところにレコードのジャケットを差し込む。1枚目は「RED MITCHELL ISAO SUZUKI TSUYOSHI YAMAMOTO」と書かれたレコード。演奏者も曲名も知らないが、フルボリュームの演奏は、迫力を超えて心地よい。
深夜の爆音を求めて、ひとり、ふたりと馴染みの客がやってくる。チーズトーストを食べながら本を読む若い女性、新聞を読む初老の男性。談笑する夫婦。カウンターに腰掛けてエビスの瓶ビールを飲むお兄さんは、ひたすらオンライン上のファッションサイトを冷やかしている。えーと、私もとりえあず、エビスを1本ください。
客同士がジャズ談義をし合うわけでも、マスターが話しかけてくるわけでもない。みんな、老パラゴンが繰り出してくるフルボリュームのジャズに身を包まれながらそれぞれの時間を過ごしているだけなのに、”一緒に聴いている”ような、目に見えない繋がりを感じさせる。ふと、何もせずにぼーっと、音楽を聞いている自分に気づいた。海にプカプカと浮いているような気分だ。本当にぼーっと、何もしない時間を感じたのはいつぶりだろう。時間が空いたら、NETFLIXで勧められたやつを見なきゃ。本を読まなきゃ。あすの仕事はあれから始めてあれをやって・・・いつもそんな感じで、息つく暇もなく過ごしているなあ。好きでやっているけれど、疲れてんだなあ。まあいい、そんな煩悩はパラゴンの前では無力だ。今はただ、この爆音に身を任せていたい。心地よさを超え、無我の境地に達していた。
あっという間に閉店時間になった。音楽は鳴り止まないが、店を出た。ごちそうさまでした。最後に飲んだ濃口のブレンドコーヒー、「ノアール」の苦味が口の中に残っている。ものすごい音量だったのに、店から出てみると、その音は5メートルも歩けば聞こえない。
そこにはただ、いつも通りの静かな串木野の夜が戻っていた。
〜当日のセットリスト〜
①「RED MITCHELL ISAO SUZUKI TSUYOSHI YAMAMOTO」
②「HANK MOBLEY QUARTET」
③「GOING HOME / THE L.A. FOUR」
④「manhattan jazz quintet live at pit inn」
⑤「ICONIC SOUND! / JBL 75th Anniversary Jazz Vocal Collection」
⑥「Something in common / Houston Person, Ron Carter」
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