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「わがまま」と「自主性」の境目

子供のわがままって何だろう?子供は同じことをしていても、親に余裕があるかないかで感じ方が変わることもある・・・。そんなわがままと自主性の境目を考えてみた。


子供のわがままって何?

3歳の娘と日々生活していると子供の「わがまま」ってどれのことを言うのか分からなくなる時がある。

「あれが欲しい」「これが食べたい」「もっと遊びたい」「一緒にお風呂に入りたい」子供の欲求が尽きることはないけれど、全てを「わがまま」の一言で片づけたくはない。

例えば、外出先で「もう帰るよ」と声掛けした時に「もっと遊びたい!」と娘が言ったとしたら、それはわがままだろうか?

その時間に帰りたいのは親の都合であって、子供には関係のないこと。それなのに、わがままな子というレッテルを張るのはどうかと、個人的には思う。

自主性を育てたい

子供には自主性のある人間になってもらいたいと思う。大人になってから、自分がしたいこと(大きなことじゃなくて、今したいことなども)がわからない人って多いように思う。

「何食べたい?」
「何でもいいよ」
なんて、よくあるやりとりだけど、僕はそんな返答が来ると「たわし」でも食わせてやろうかと思うことがある。
自分の食べたいものを考えることさえ面倒くさくなっていることの方が不安だ。

我が子には自分の食べたいものくらい言える「自主性」を身につけて欲しいと思う。日本人の謙虚な姿勢や相手のことを思いやる気持ちも大切だけど、それが行き過ぎて、自分で考えることを放棄してしまったら本末転倒になってしまう。

子供と真剣に向き合うことが大切

結局のところ、わがままと自主性に境目なんてないのかもしれない。
それよりも子供と真剣に向き合うことが大切だと思う。なんでこれが欲しいんだろう?なんで泣いているんだろう?と子供の気持ちを考えることができれば、それがわがままなのか、それとも自主性の表れなのか見えてくることもあるんじゃないかと。

ただ、子育ては全てが思い通りにいくわけではない。経験のある方ならよくわかると思うが、「こっちの方が良いのはわかっているけど、今はその余裕がない」というジレンマの連続だ。

その中でも、親都合になっていないかは常にチェックしていきたい。子供が遊びたいのに、親が疲れたから帰る。絶対にダメなわけではないけど、個人的には子供に「なんで?」と聞かれて、説明できないことはしたくない。

子供と真剣に向き合う。当たり前で大切で、なかなかできていない。そんなことを改めて考え直していきたい。

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