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#5 ドイツPhD留学1年目を終えて3/3

はじめに

2021年4月からドイツの大学院(デュースブルク・エッセン大学)に留学中のがんちゃんと申します。この記事では、PhD留学(大学院博士課程留学)の1年目を終えて、振り返りをしたものです。

これまでに2021年4月~7月分と2021年8月~11月分を書いたので、よろしければ先にこちらをご覧ください。今回は2021年12月分から始めます。文量多くても今回は3月まで書きます。


1年間のスケジュール

渡独後1年間でやってきたことをカレンダーにまとめるとこんな感じです。

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2021年12月ークリスマスマーケットはドイツの誇り

日本でも12月には都会でクリスマスマーケットが開催されますが、ドイツのは規模もクオリティも違うし、何よりもそれぞれの街がクリスマスマーケットを開催しているところが違います。天気に関係なく、毎日人で賑わい、活気にあふれる12月は、ドイツの1年で最も素敵な期間かもしれません。

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あとでまた書きますが、12月はマドリードに約1週間研修へ行きました。

2022年1月ー最悪のタイミングで一時帰国

オミクロン株なんて知らない頃、私は12月末から1月上旬にかけて、一時帰国の予定を立てました。10月ごろだったと思います。私が想定していた隔離日数は6日間。なのにオミクロン株のせいで12月は隔離期間が14日にまで伸びました。

なんて最悪のタイミングで、と思いました。最初の6日間は新大阪のアパホテルに閉じ込められました。確かにせっかく高い飛行機代を払って家族に会うため帰ってきたのに、6日も外に出られないのは悔しいです。しかし食事は帰国間もない日本人の心をぐっとつかむような美味しいお弁当ばかりで、係の方の対応も素晴らしく、思っていたよりかは快適でした。

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ホテル隔離後、関西国際空港で私は開放されました。とは言ってもまだ8日間の自宅隔離が残っています。なので本当はこの後公共交通機関は使ってはいけない状態でした。しかし使ってもバレるはずのない解散の仕方で、ルールを律儀に守る人だけが悔しい思いをするのはとても腹が立ちました。

自宅隔離も同じです。アプリでの監視は正直言って甘すぎるので、抜け道がたくさんあると感じました。ルールを破ったとしてもアルファベット表記で一時的に氏名が掲載されるだけなので、漢字で名前を検索しても出て来ないし、1年後には消えてます。厳しい規制を強いておきながら、それが確実に遂行されるような仕組みではないのが問題でした。これで感染者数が増えるから更に隔離日数を増やすと言ったらどうですか。


2021年2月3月ー第2の留学先はスペイン、マドリード!

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12月にも一度マドリードに研究プログラムの一環で研修へ行ったと書きました。今回はその研修を企画してくださった大学、Universidad Carlos III de Madrid (UC3M)の実験室をお借りして、私が作製したデバイスを評価させてもらうことになりました。Secondmentという形で約2ヶ月間お世話になっています。

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まさかドイツ留学からさらにスペイン留学する機会をいただけるとは思っていなかったので、この機会にはとても感謝しています。ドイツとスペインの文化的な違いを学ぶのはもちろんですが、研究室レベルでの違いを知るのも非常に良い経験になります。修士号を取得した研究室に残って博士号を取る人と比べ、私は日本で1つ、ドイツで1つ、さらにスペインでも1つと3つの研究室でお世話になり、研究スタイルや指導教員の方針、色んな違いがあることを学んでいるのは、今後どこかで活きてくるのではないかと期待しています。

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あと3週間スペインにいるので、もっともっとたくさんのことを吸収してドイツに帰りたいと思います。そしてスペインから帰ってきたら、スペイン留学体験記としてまた別のノートを書きたいと思います。


それでは今回の記事はここで終わりです。
読んでくださりありがとうございました。

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次はPhD留学2年目の抱負を書きたいと思います。

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