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お盆に思うこと

朝日も少しずつ表情を変えている気がします。
日中は相変わらずですけどね。
体も地面も萎えちゃいます。
気温も野菜も高くてたいへんです。
暑いので少しでも日が落ちるのを待って、近所のスーパーに食材を買いに行くと、あらら、結構棚の物がスカスカ状態。
田舎のお盆ってこうだった というのを忘れてました。
コロナの日常から以前の日常に移ってるのを感じます。
でも、抗がん剤使用者としては逆に脅威です。
感染症罹患者が減ってるわけではないので、なるべく人混みを避けたいところです。

まあ、萎えた体は日中家に籠もってるし(単なる昼寝)、自然隔離ですね。
その御蔭で運動不足。お腹の癌細胞の栄養がどんどん蓄積されていきます(おなかがポニョです)。

2年前の4月の話。この月は父母の命日なのですが、前年の4月には自身の大腸がん手術の合間を縫って2人の法要を行うという快挙?を行ったので、この年はまあいいかと、御供えも適当に。
父の命日の明け方。
耳元で聞き慣れた声 “おいおい”。
まだ眠り真っ最中の頭にはすぐには理解できません。
今のはなんだ?
ともかく顔を洗って考え...…
ああそうか。
御供えぐらいちゃんとしろということか。
車を飛ばして(60kmぐらい離れたところにある)お菓子と近くの花屋に買い出し。
なんとか無事?に仏壇に御供え。

4日後母の命日まで同じ目に合うわけにはいきません。朝、仏壇に手を合わせ、玄関を出ようとするとお寺さんがいらっしゃた。
ん、呼んでないぞ。
ご院家(住職)「(母の)命日なのでお参りさせていただきます」
おっと、母親のほうが強烈であった。
まさかお寺さんまで呼んでくるのか。
うーん脱帽。
なかなか凄い夫婦です。
息子はおちおち病気もしてられません(っていうかがん患者なんですけどね)。

それ以来命日はもちろん盆正月は気を使います。
今度は何で来るか、なんて考えたくないし。

単なる空耳、巡り合わせかもしれません。
けれど、家の両親ならありうるかと思ってしまう自分がいます。

まだ両親の下へのお呼びをお断りしながら今年もお盆を過ごします。

あっ、来年の母の7回忌。
ちゃんとしますので...…

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