【しらなみのかげ】 元旦の夜に #5
年が明けた。
令和もはや四年になる寅年である。
今年は元旦の今日から、「しらなみのかげ」を再開させる。
内容は何でも良いから、兎に角毎日文章を上げてみることにする。私なりに、「書くこと」を自らの身体に染み込ませたく思うからである。内容や分量の如何を問わず、兎に角毎日書いて上げることを最優先したい。
以前にはマガジンを始めたこともあったが、日々の生活の中で消耗する中、碌に更新を出来ずに廃盤にせざるを得ないこともあった。
この「しらなみのかげ」もまた、二年前に毎日更新を始めようとして結局挫折してしまい、そこから長い時が経った。
兎にも角にも続けることを優先して、きっと気負いを捨てなければならないのだ。約束は、果たされねばならない。
年末年始はいつも福岡の実家で過ごしている。時節柄、折角だから日記めいたことでも今日は書きたい。
大晦日は家族総出で、通称「厄八幡」と呼ばれる若八幡宮に御礼参りに行く。古刹承天寺の近く、博多ではとりわけ年末に多くの人が集まる神社である。御笠川に程近い旧市街である。吹き荒ぶ風の中、並んでお札を返しに行く。願うこと、願わねばならないことは、沢山ある。祓わねばならないことも、沢山ある。しかし拝む時の心は、意外にも空っぽだった。
大晦日、厄八幡の帰りは最近ほぼ決まってラーメンを食べる。去年は、頼みの綱の博多龍龍軒本店も閉まっており、他に空いている店もないので博多駅地下街の名代ラーメンに行った。ここのラーメンは勿論豚骨であるが、麺もやや太く、スープも甘い。ラーメンも、チャーハンも、餃子も、取り立てて美味いわけでもないが偶にゆかしくなる、サービスエリアで食べるような昔懐かしい味である。幼少期から度々通った、大橋駅地下街の今はなき名代ラーメンの味を思い出しながら食べた。これもまた、郷里の味の一つではある。ああいう食べ物はあれで好いのである。只、いつまでもそこに在って、食べたいと思った時に食べられるように在って欲しいと願ってしまう。
そうこうして昨晩は、紅白歌合戦が始まるまではRIZINの井岡一翔の試合を見て、紅白が始まれば紅白にチャンネルを変え、最後にゆく年くる年を見て新年を迎えた。スーパーで買ったとらふぐのあらの入った鍋で鰤しゃぶ、酒が進む、進む。一昨年はキジハタ、所謂アコウを鍋にしたが、去年の大晦日はスーパーには既に無く、母は悔しがっていた。いつものことだが、酔いが回って日付が変わる瞬間の記憶というものが殆ど無い状態で、気が付けばリビングで寝てしまっていた。真夜中に起きて、朝生を見ては朝方に就寝した。87歳の田原総一郎が朝方まで司会を続けているのは凄いものだと驚愕しつつ、藤井聡と竹中平蔵が、コロナ禍における経済政策を巡って繰り広げる舌戦を見ていた。そこには、三浦瑠麗や津田大介といったいつものメンツと共に、「里山資本主義」の藻谷浩介や経済ジャーナリストの荻原博子、タリーズ創業者の松田公太、自民党の参議院議員の松川るいや立憲民主党の小川淳也も居た。眠気と酒気の回ったまま、竹中平蔵の狡猾で持って回った言い回しに多少の感心をしつつ憤りを覚えたのと同時に、藤井聡が率直にも言っていることはやはり概ね正しいように思えた。コロナウイルスについても、経済についても、何か必ずそうなるというような理論は喧伝されるし、きっとそれらの理論も何らかの真実を含んでいるのだろうが、偶然の積み重ねを後付けで統合的に説明するという点は拭えない。
そして今夜も、例の如く、ほろ酔いのままこの文章を書いている。
昼頃に起きると、おせち料理に馬刺しや縞鰺の刺身を食べながら爆笑ヒットパレードを観て馬鹿笑いし、父が買って来ていたシャンパンを飲み、頃合いが良くなれば丸餅に鰤とかつお菜が入った博多雑煮を食べる。毎年のことである。元旦に初詣に行ったことなど殆ど無いように思う。その後もビールを飲みながらテレビを観て、眠くなって昼寝して、夜は定番の芸能人格付けチェックを観ながら酒を片手に夕食を食べる、といういつもの正月を過ごした。恐らくはGACKTの代役として出演し、全問正解するYOSHIKIは相変わらず凄いものである。勿論、何処かは必ずやらせなのだろうが、本当に正解を当てているというのもまた何処までかは真実なのではないかと思う。
−そして今に至る。
今はまだ、去年のことを逐一振り返ったりはしたくないのである。
昨年は世情的にも、私個人の事情においても、余りにも多くのことがあり過ぎた。私にとって昨年は、その最後の日に至るまで、正に激動の年であった。過ぎ去りし時の一つ一つに想いを凝らせば、まだ過去というには余りにも生々しい様々な思いが心中を過っていく。現在の生に重苦しくも纏綿する良からぬ事情が、明日を生きんとする私の懸念を亢進させる。昨年は今までの人生の中で最も多様な立場に置かれ、そこで熱心に考えて自分に可能な限り働いてきたが、最後には思わぬ形で、その成果は露と消えた。危険の淵からの絶えざる驀進は多くのものを犠牲にした。様々な人間関係が結ばれては切れていった。
そうして、始まったものも本当に多くありつつ、得難きものも多く得つつ、最後には色々なものがリセットされていった。
それらは必ずしも、ただ一本の糸が撚られていく如く因果的に導かれた必然ではなかったように思う。箇々別々の止むを得ないものが織り成す幾多もの系列が、たまさかにも結ばれ、その結ばれてしまったことが更に別のものを呼び寄せていったのだと思う。偶然は、それが出来事として起こったという点に於いて揺らぐことなき必然であり、そうしてその時々に於いて見えざる過去として堆積する。邂逅の連続は、大いなる喜びと共に悲哀を呼び起こすこともある。そのように様々なことがありつつも、何故だかそのままであり続けることもある。この大いなる如何ともし難さが、運命と呼ばれる何かなのだろうか。
全てが仕組まれているのではない。出来事はいつも意志を超えていく。だからこそ、重力の精が万事を微細な細部に亘ってまで吸い寄せ、重苦しくも一色に塗り固めてしまうことには抵抗しなければならない。忘却の時も必要である。しかし、ただそれを、書き留めるだけの時もまた必要なのである。
新年、明けまして御目出度う御座います。
皆様、今年も宜しく御願い申し上げます。
(この文章はここで終わりですが、皆様からのお年玉をお待ち申し上げております。)
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