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映画「Here」
ベルギーのブリュッセルにいるルーマニアからの移民労働者たち、建築労働者である。明日からなんと4週間のバカンスである。移民の建築労働者が4週間のバカンスである。
公式サイトにこう紹介がある。
誰の目にも触れない、植物学者と移民労働者が織りなす、些細で優しい日常の断片。
他者と出会うことの喜びが、観る者の心をしずかに震わせる。
バス・ドゥヴォス監督がその祝祭的世界観をさらに飛躍させた最新作。
ブリュッセルに住む建設労働者のシュテファンは、アパートを引き払い故郷のルーマニアに帰国するか悩んでいる。姉や友人たちにお別れの贈り物として冷蔵庫の残り物で作ったスープを配ってまわる。出発の準備が整ったシュテファンは、ある日、森を散歩中に以前レストランで出会った女性のシュシュと再会。そこで初めて彼女が苔類の研究者であることを知る。足元に広がる多様で親密な世界で2人の心はゆっくりとつながってゆく。
皆がバスか地下鉄で移動する。あるいは歩く。
道路のあちこちには自転車専用道のマークがあり、LRTが通り、歩道には街路樹が植えられてあり、見た目の美しさだけでなく、夏の日差しを和らげる。
以下、ネタバレですが、ネタバレしても全然問題ない、魅惑的な映画体験(映像と音と)ができます。
通勤帰りのバスの中で居眠りてしまった同僚を起こすシュテファン。「ボンヌバカンス」(良い休暇を)と言う。
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そんなシュテファンも家に着いた瞬間に居眠りをしてしまう。故郷ルーマニアの家族や友人たちや、そして、森の中でいろいろな実を見つけたり蛍を見つけたりそんな夢を見る。
起き上がると、冷蔵庫に残った野菜たちを片付けるためにスープを作り、それを知り合いたちに配って回るシュテファン。その配る相手はアフリカ系であったり、ルーマニアの親戚であったりいろいろだ。ヤン・ヨンヒの映画「スープとイデオロギー」のように、スープはイデオロギーの違う人たちをも繋げてしまう魔法のポットだ。
シュテファンのポケットにはいつの間にか種が入っている。そうシュテファンは種を手に入れたり、森の中で果物を見つけたり、そして何よりスープを作って、いろんな人に分け合うのだ。採集民族である。そして分け合う相互扶助論のままに生きる人である。
ふと蛍を見つけてそれを手の中に含む。
ブリュッセルの街はどのような家にも断熱の窓が仕込まれてあって、通りではLRTや自転車専用道路がある。車は路駐が中心で、歩行者はその路駐の車によって走り抜く車から守られている。
そしてシュシュ。彼女は中国の移民である。多分二世。
![](https://assets.st-note.com/img/1717378324010-fthBqBDrnk.png?width=1200)
彼女がある日起き上がった時、「物の名前がわからない、でもそれが何かは分かる」と言う現象になってパニックになる。しかし、その「物の名前がわからない」って言う状態が、実は動物に近いと気づいたとき、彼女は世界のすべてと自分がつながっているものと感じる。連関の中につながっていると気づく。
シュシュは苔の専門家である。苔もあらゆるものとつながっていそう。本当に小さく気をつけて歩かないと見つからないものだけれども、実は地球の大気を光合成によって酸素の多いものに作りかえてきた最初の陸上の植物なのだ。恐ろしいほどの長い時間をかけて。
苔と森はつながる。16ミリのフィルムで撮ったからだと思われる少し揺れる森の姿。時々現れる木漏れ日の度に画面が光り輝き、ぼやけ、なんとも夢見心地のような映像になっている。そして、溢れる音。
時々ぼんやりと鳴る電車の音が、この美しき森が都会のすぐ脇にあるものだと気づかせる。
移民たちは今ヨーロッパでも恐れられる対象となりがちである。しかし、ここに出てくる移民たちはとても気遣いあって、分け合って、繊細で、詩的である。怖くないんですよ。少しずつ話し合えばみんなが笑い許し合えるそうですよ。
全く偏見なのですが、「東欧からの移民建築労働者」「中華屋で給仕をしている中国女」という存在から、社会的に持ってしまう(自分も含めた)偏見イメージが、どんどん覆されます。
それは、道端に生える苔や、森の中の奥に潜む果物や蛍、そんな見過ごしてしまいそうなことに気づく心くばりを持ち得ている人たちなのです。
映画の最後に、シュシュは叔母から聞く、スープを持ってきた短パンの男がいる、と。叔母はこの人がシュシュの新しい彼氏ではないかと思う。そして彼の名前は何と聞く。シュシュはふっと気づいて、少し微笑んだ。口を開きかけて、そこで映画は終わる。シュシュはシュテファンの名前を知らなかったのかもしれない。聞かなかったのかもしれない。あるいは名前がわからなくても、つながり合っている動物のようだったのかもしれない。