子連れ禁止の記事を見て思い出す昭和的なモノ
子連れ禁止のラーメン屋が話題になっていた。
子連れ禁止の是非を議論したいわけではない。ただ、記事をみて昔のことを思い出したのだ。
まだ自分の子供が小学校入学前のことだ。その頃、自分の周りにも同じぐらいの年の子を抱えた同僚達が複数いた。忘年会だったか新年会だったか歓送迎会だったか覚えていないが、教員や事務方も混ざった、それなりに規模の大きな飲み会が企画されていた時に、「飲み会に1回参加すると、バーターとして(自分が子供を一日みることで)奥さんの完全自由な一日を確保する」という方がいた。なるほど、それは興味深いねとなって、ならば、その一日に俺もつきあうぞ、と名乗り出た方がいた。そのうち、じゃぁ我が家もそうしよう、じゃぁ俺は子供いないけどつ付き合うよ、大人は多い方が良いでしょ、って方も出てきて結局は、数組+αで、飲み会の数日後に子供達と遊ぶ日みたいな、子連れの男子会を実行した。
ド田舎では比較的に大きな公園に集まって、遊び倒す計画にした。大人(といっても男子ばかり)の方が子供よりも人数が多いという体制で、ちゃんと昼寝場所も作った。悩んだのは昼飯だった。弁当持参にすると結局は奥様達が作る羽目になったりして本末転倒なので、公園近くのバイキングレストランを予約することにした。私が予約のために電話した時に事情を話すと、ド田舎らしく「もちろん、OKですよ!子供達が来るのは大歓迎ですから!」という感じだった。実際、地元紙に紹介された記事でもお子様のための設備があるとか、お子様のための料理とか、子供連れで利用して下さい、というアピールが強いお店だった。
当日は、お昼前に集合して、最初は顔合わせも兼ねてゆっくり散歩して、レストランでご飯を食べて、午後は公園で遊びたおした。レストランでの昼食の際は大人の方が多かったので、子供達は常に席で待つというスタイルで、子連れじゃないのに参戦してくれた方も飲み物や食事を運んでくれたりして、全ては非常にうまくいった。お店のオーナーさんもご挨拶に来てくれたりして、非常に良い雰囲気で終わった(と、私は思っている)。この感じなら、次回も出来るねぇ、と話していたが、そもそも普段から一緒に過ごす部署の方達ではなかったこともあったりして、第二回目は結局のところ開催されなかった(あるいは・・・大人は男子しかいなかったので、子供達の寝食を忘れた遊びまくりによる「服とか靴の汚れっぷり」とか「子供達の疲労っぷり」に奥様達がどん引きしたのかもしれない)。
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そのまま5−6年がたち、大都会から懐かしい友人がまだ幼い子供を連れて、このド田舎を訪問したいとのことだったので、昼食のレストランを予約しようということになった。過去の子連れ会合で使ったお店を思い出したので調べたら、妙なことになっていた。口コミを見ると「子連れOKと聞いていたのに、文句を言われた」「子連れに対する注意事項の張り紙の量がすごい」などなど、とにかく子連れを嫌がっている感じの口コミに溢れていた。で、結局は子連れ禁止が宣言されたようであった。
????うーん、あの優しそうなオーナーに一体何があったのだろうか。子連れ大歓迎ですよ!という電話口での対応、お店で子供に声をかけて回っていた様子、などなどを思い出して、あまりに方向性が180度違いすぎて意味が分からない。スタートレックでいうところの平行世界に飛ばされた?と思うほどに違った。当時、うちの嫁さんと想像していたのは、このド田舎では子連れは当たり前にOKのお店が多い中で、付加価値(子供のいない静かな空間でランチを食べる)を付けるために、そういう方針に変えたのかねぇ?などと話していたが、真相は分からない。というのも、結局は我々が子育てを終えて訪問する日が来るよりも先に、お店はなくなってしまった。再訪できなかった(大都会から訪問した友人との会食は、ホテルの子連れOKのレストランを使った)。
今でも、かつての店の前(チェーン店のラーメン屋になっている)を通ると子連れ男子会の楽しい思い出を思い出す。当時は、子連れで色々なお店に行ったが、間違いなくピカイチで対応が良かったお店だった。本当に不思議でならない。世の中には、そういう変化もあるんだなと勉強になった。
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そういえば子連れで思い出したのだが、コロナ禍前には公民館を貸りて、職員の家族が集まってどんちゃん騒ぎをするイベントが年に1回あった。昼間っから大人達は酒を飲んで、子供達は夜まではしゃぎ倒して、とても面白いイベントだった。実にド田舎らしいイベントだ。うちの嫁さんも始めて参加した際に、子供の頃の(町内会で掃除をした後の)町内会総出の飲み会を思い出した、と言っていた。今の若者達が最も忌み嫌うタイプの飲み会だろう(笑)。もちろんコロナ禍でなくなった。
町内会といえば、妻と結婚した後に、しばらくしてから引っ越した地域では町内会の飲み会の習慣がまだ残っていた。引っ越した年の暮れに、我々の歓迎会だという飲み会に嫁さんと2人で参加した。超超超超高齢化した町内会に、ただびっくりした。町内会なのか老人会なのか判別がつかない。老人達が研究室の学生よりも早いペースで尋常じゃない量のアルコールを消費していく姿にハラハラして、始めて参加した時はちっとも酒を楽しめなかった。当然ながら、そんな飲み会もコロナ禍ですっかりキレイに完全になくなった。いくらなんでも、あの超高齢集団にコロナは相性が悪すぎた。
そういう昭和的な習慣が完全に消え去った今となっては、あのような会合はそれなりに良かったなと思う。同じ職場や近所の皆様と家族ごと知り合うことで、なんとなくうまくいっていたこともあったように思う。うちの子供が生まれて幼かった頃、僕が出張になった歳に職員の方が助けに来てくれたり、鍵を落として家に入れなかった子供がお隣の家でご飯を食べさせてもらっていたこともあった。子連れ男子会も、職場の家族ひっくるめた飲み会も、町内会の飲み会も、昭和的な「家族ぐるみ」のつきあいだった。そういう昭和的な下地作りが平気な人には心地よかったように思う。
個人主義と自己責任論が基本となりつつある令和の世の中では、こういう習慣は時代に合わないと理解できる。きっと、このまま根絶するだろう。でも、あの当時はとにかく子育てやら、仕事やら、生活基盤を構築することに必死で、巻き込まれるように家族ぐるみのつきあいが生まれていく流れの中に身を任せるしかなかった。いや、むしろ一切の繋がりを持たない土地に住み始めた僕達夫婦が、必死に助けを求めてしがみつこうとしていた側なのだろう。我々は気づかぬうちに必死に助けを求めていて、周りが昭和的にさらっと答えてくれていたのだ。今思えば、そう考えるのが、とてもスッキリと納得がいく。みんな常に静かに見守ってくれていて、昭和的な助け合いを一方的に享受していた。感謝しかない。コロナ禍でも出来る何かしらの令和的な恩返しを考えていかなければと思う。ニュースタイルで、さらっとした恩返しだ。頑張ろうと思う。