麻雀:批判と批評と侮辱は違うという話
(無推敲で垂れ流します→ちょろっと推敲・修正しました)
麻雀って運の要素が高くて、何が正解かは一概に言えない。
だからこそ、色々な人が思い思いに楽しめるし、思い思いの思考を抱く。
そのため意見の衝突などはしょっちゅう起こる。
それらは時に批判だったり、批評となる。
批判は「根拠よりも自身の考えが表に立っているもの」で、批評は「何らかの根拠に則って、相手を批判すること」だ。私はどちらも好きだし、批判も批評もいくらでもやって欲しいと思う。
それらのコミュニケーションがあってこそ、麻雀業界は成長するからだ。
しかし、「侮辱、お前は駄目」だ。
批判や批評は自由でよいが、侮辱は駄目だ
2月17日、連盟所属の某女流プロが「会長、揚げ足取られてて可愛そう」と発言しているのを目にした。この意見を見て、甚だしくどうかしていると感じた。
・麻雀プロへ「プロを辞めた方がいい」という発言は、批判でも批評でもなく、単なる暴言だ
公衆の面前での暴言を咎められていることを
「揚げ足取り」と表現することは、
・なぜ視聴者や
・その他のプロが
・怒り心頭怒髪天に衝いたか
それらを理解していないと評価せざるを得ない。
同団体に属しているからと言って、物事の本質を見ずに擁護するのはいかがなものかと思う。
麻雀解説に求めるもの
麻雀について解説するなら、麻雀を語って欲しい。
他者を貶めることを是としないで欲しい。
それだけなのだ。
件の解説の「麻雀が壊れた」という発言は、人によっては好き嫌いがあるかもしれない。
しかし、私はその意見には賛同しないが、別にそこまで嫌いではない。
むしろ人となりさえあれば、楽しめる発言の部類だ。
例えばMリーグで「浩翔君」(これは桜の付く某大人気VTuberが呼ぶ、土田浩翔プロの愛称)の解説に、私はしょっちゅうTwitterで「そんなオカルトありえません」とツイートしているが、それはその発言を楽しんでいるから行っているのだ。
オカルト解説は面白い。論理的な解説も面白い。
しかし、それらが面白いのは、「そこに他人を貶める意図がないから」だ。
別にオカルト解説やデジタル解説だけを求めている訳ではない
私は手役思考の麻雀を否定する気は一切ない。
自分の目指すところは違うが、十人十色の雀士の中で「一つしか戦術を知らないのは、むしろ弱い」と考えている。
そのため、他者の別意見を否定する気はないのだ。
人によっては、一本道を貫くことをカッコいいと表現するかもしれないが、それはそれでいいと思う。
だからこそ、解説は「手役思考」や「オカルト思考」に「デジタル的思考」のどちらの側面で行われても問題ないと思っている。
むしろ自分と違う思考の解説のほうが、「別の考えを知れて面白い」と思うのだ。
結局この件は言い方の問題
対して、件の解説が、以下のようならどうだろうか?
CV(キャラクターボイス)を意識して読んで欲しい。
CV:浩翔君
うーん。
今のポン聴どうかなぁ。
麻雀が壊れたんじゃないかなぁ。
これでプロの「魅せる麻雀」と、言えるのかなぁ?
だったらどうだろうか。
反感を抱く人は少なかったんじゃなかろうか。
(俺は喜んでTwitterに、「麻雀が壊れる…そんなオカルトありえません😂」とか書き込んでいただろう)
公衆の面前で他の団体のプロを侮辱したことが問題視されているにあたって、「揚げ足取りで攻められてる森山会長、可愛そす…」という意見は今の時代的に許されて良いものではないと思う。
最後に
門前派も、手役派も、必要なら副露も取り入れるべき派も、どの派閥にも一長一短だしそれぞれに理屈がある。
それは大切だし、尊重されて良いと思う。
その上で、それらに属する人たちが、
・相手に薦めたい気持ちも、
・それらに沿って批判・批評したい気持ちも、
それぞれ分かるのだ(押し付け過ぎたらいけないとは思うが)。
しかし、そこで人格否定や職業否定のような「麻雀以外のことで攻撃することは許されるべきではない」のだ。
それらのいわゆる「暴言や傍若無人さ」が許されないのは今も昔も変わらない。
今回の問題の争点は「暴言であり人格否定の部分」だ。
この点をはき違えてはならない。