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26歳 ヨーロッパ1週間弾丸周遊記① ~準備編・アムステルダム編~
本noteを開いていただきありがとうございます。
"おふとん"と申します。
タイトルにもある通り、2024年の2月に、およそ1週間かけてヨーロッパを周遊(といっても4か国ですが)してきました。
転職の間のわずかな時間を使ったごくごく短期なものですが、ずっと憧れていた海外バックパッカーを実現できたので、ここではその記録を記していきたいと思います。
バックパッカーとしてこんなことができるのは、多分最初で最後な気がします。
個人的に振り返るためのものとして書いているので何かガイドになることは少ないと思いますが、
もし自分のように「時間がないけど安くヨーロッパに繰り出したい!」という方には意外とヒントがあるかもしれません。
よかったら、最後まで読んでもらえると嬉しいです。
準備編
計画
転職の間にどこかに行こうと思っていた僕は、もともとフィンランド、エストニア、スウェーデン、ノルウェーという北欧4か国を巡ろうと思っていてガイドを買っていました。
僕の大好きなアルバム、『CHRONICLE』がレコーディングされたストックホルムを訪れたかったんですね。
『CHRONICLE』収録曲のSugar!! (この曲自体は日本でレコーディング)
ただ転職が決定したのが12月末で、新職場には3月からとなると、北欧に行くにはあまりに寒すぎる時期でした。
バックパッカーでなければ防寒対策も十分できたと思うのですが、一人でスーツケースをごろごろ引きずる気はなかったので。
ということで、スカイスキャナーとにらめっこしながら採用したのが
(成田→)アムステルダム→ケルン→ブリュッセル→パリ(→成田)
というコース。
観光シーズンから外れているのもあり、周遊でも往復17万円で済んだのが幸いでした。(行きはKLM、帰りはエールフランス)
Booking.comで宿と、ドイツ国鉄のサイトから国境を超える列車だけ予約しておいて、後は適当です。
一応ガイドブックも買ったのですが、
コロナ前で更新が止まっていたのと、そこまでマニアックな場所に行く予定もなかったので、いろんな方のブログや旅行記を参考にしていました。
バックパック
大学生の時国内で四国一周や九州一周をしたことはあったので、持ち物については割と慣れていました。
33Lのバックパックに詰めて行ったのは主に
・2日分の着替え
・電源類ポーチ(変換コネクタ、USB充電器、モバイルバッテリー)
・衛生類ポーチ(歯ブラシ、セームタオル、常備薬etc…)
の3セット。
それでも33Lというのは結構小さいバックパックなのでパンパンになってしまいました。
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それでは、KLM航空862便に乗って、アムステルダム スキポール空港へGO!!
アムステルダム
スキポール空港
もともと17時台には着くはずだったのですが、遅延や入国審査やらで時間を取られ、アムステルダムの地に放たれたのは20時過ぎ。
入国審査なんて「さいとしーいんぐ!」と言えば通れると思っていたので、
すべての鉄道チケットと帰りの飛行機のチケットを見せろと言われた時は驚きました。
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夜も遅いし早く宿泊先のホステルに向かわないといけないと思い券売機で切符を買ったのですが、乗り方が分からない。
どこかで切符を買って、どこかに改札みたいなタッチする機械があって、ということくらいは知っていたのですが、
いかんせんタッチする機械がどこにあるか分からない。
アムステルダム中央駅行きの地下ホームに降り立つもののその機械は無くて、地上と地下を3往復くらいしました。
そしたら地上にあった機械がこいつ。
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この画像だとわかりやすいですが、薄暗い夜の空港では「おまえ改札なんかい!」と突っ込みたくなる場所にポツンと置かれていて、
しかも地下への入り口から離れていたので危うく見過ごすところでした。
この時点で僕は既にハラハラです。
団体の観光客だと割とタクシーとか使うみたいなんですが、僕はソロだしお金もないので公共交通に頼るしかなかったんですね。
何とかボロボロの地下鉄に乗ってたどり着いたアムステルダム中央駅がこちらです。
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すげえ!これがヨーロッパか!!
地震無さそう〜!!!
という小学生みたいな感想が浮かんだのも束の間、到着したころには既に9時になっていたので、急ぎ宿へ向かいます。
宿
宿はDurty Nelly's Innという1階がバー、2階以上がホステルという建物で、
僕が着いたときには爆音でEDMが流れていました。
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ちょうど到着した日が土曜日ということもあり、入り口付近にも多くの人が。
ここで僕が入り口に溜まっている人たちをかき分けようとすると、
長身の現地人から何かを言われました。(英語じゃなかった、はず)
疲れていたし、"見知らぬ人から何か言われたときは無視しろ"と何かで読んだことのあった僕は「ごめん、しゃべれないんだ」と言ってその場を抜けようとしたのですが、
気づいたら空が上にありました。
抱え込まれてはっ倒されていたんですね。
周りの友人っぽい人たちがすぐにやめろと諫めてくれたので命の危険を感じることはなかったのですが、ヨーロッパ周遊の中でも一番衝撃的な出来事かもしれません。
落ち着いて話を聞いてみると、英語で
「こっちから挨拶してんのに無礼だろ、お互いリスペクト持とうぜ」
みたいなこと言ってました。
今思えば酔っぱらてたところに弱そうな日本人がきたから絡んでみただけだと思うんですけどね。
取りあえずごめんって言って中に入りました。怖かった~。
宿はカプセルホテル型のユースホステル。
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アムステルダムの洗礼を受けた僕は、SPARという現地のコンビニでパンと水、キットカットを買って食べた後、シャワーを浴びてさっさと眠りにつきました。
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ゴッホ美術館
翌日、7時過ぎに目が覚めた僕は薄暗く雨が降る中、朝食を求めて散歩がてらとりあえず外に繰り出します。
ただ、ヨーロッパの朝は遅い!
日曜の朝だからなんですかね。
8時を過ぎても街にはほとんど人がおらず、当然店もやっておらず、僕は駅前で唯一営業していたマクドナルドで朝マックを食べて、ゴッホ美術館が開くのを待ちました。
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マックで30分ほど時間をつぶした後、中央駅前からトラムでゴッホ美術館に向かったのですが、時を同じくして日本でも大きなイベントが開催されていました。
『オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム』です。
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どっちも外せなかった僕は
右耳:Bluetoothで配信を聞く
左耳:美術館のオーディオガイドを聞く
という形で、
アルル時代のゴッホを鑑賞しながらオープニングトークを聞き、
ショーパブ芸人の幕間を聞きながら自画像を鑑賞し、
"ひまわり"を鑑賞しながら星野源とMC.wakaのPop Virusを聴くというもう訳のわからないことをしてました。
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ゴッホの絵を間近で見ると、厚塗りがズイッっとこちらへ迫ってくるような迫力がありました。
『ひまわり』についてはゴッホ自身も
「自分は『ひまわり』の画家として有名になるのだ」
と感じていたとのことで、
やはり才に溢れる人の自覚に間違いはないのだという気持ちに。
結局東京ドームの配信が終わった後にもう一度ざっと巡ることになり、アムステルダム国立美術館(レンブラント『夜警』などが展示)に行く時間が無くなってしまったのですが、次回(あるのか?)の楽しみにしておきます。
お昼はどうしても行きたかった、アムスでナウいと噂のPANCAKES Amsterdamへ。
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いや、嘘つきました。
正直なところ、アムステルダム国立美術館の中にあるレストランでご飯を食べようとしたら注文の仕方が分からなくてまごついてしまい、
とりあえずアンネフランクの家に流れ着く中でたまたま見つけたお店がこちらです。
でもめちゃめちゃおいしかった!
これから割とグルメな町をめぐるはずなんですが、一人で酒飲んだり洒落たレストランにいってもあんまりテンションが上がらない人間なので、
適当に甘いものを食べ歩き、みたいなことばかりしています。
そのあたりの情報を求めている方がいらっしゃいましたらごめんなさいm(__)m
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アンネ・フランクの家
Pancakes Amsterdamから徒歩1分のところにあるのが、アンネ・フランクの家です。
列整理の人に"Japanese? Korean?"と聞かれて"Japanese"と答えたら、とても流暢な日本語で挨拶してくれました。
奈良に数か月いたとのことだったのですが、あまりに達者だったので驚いたのと、やっぱアジア人の顔って見分けつかないよななんて思ったり。
かくいう僕も旅行中にほとんどアジア人を見かけなかったので、アジア人を見かけるだけで親近感というか安心感を抱いたのを覚えています。
そんな前置きは置いといて。
アンネの家はただの博物館ではなく、実際に隠れ家として利用されていた建物なんですね。
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中が撮影禁止ということもありイメージしやすい記録を残すことが難しいのですが、
歴史上の一事実という枠で語れないほど凄惨な出来事であったことは理解しているつもりでだったものの、
具体的な現実を目にするとあまりにも凄まじく、それが実際に行われていたところに自分がいるという事実を信じたくないほどでした。
なのに。
隠し扉の奥、薄暗い空間で読むことができるアンネの日記の原本は、
当時の過酷な状況下にあるとは思えないくらい前向きで素直で、瑞々しく、子供らしくレイアウトされていて、
それでいて10代半ばとは思えない詩的な文章で世の中を達観していました。
それは、ドス黒い世の中にここまで明るい星が存在してよいのかと思うくらい眩しく、それすら飲み込むホロコーストという闇の悍ましさを際立たせていたように思います。
ダム広場で観た光景
アンネ・フランクの家を後にした僕は、9ストラーチェスや土産物店を軽く物色して宿に帰ろうとしました。
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その途中、名所であるダム広場で観た光景がガザ停戦デモです。
パレスチナ側と比較したら10分の1にも満たない規模でしたが、イスラエルの国旗を持った集団もいて、ダム広場の両端に陣を構えていました。
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僕はこの陣営の真ん中に立ってしばらく見ていたのですが、異様な雰囲気には感じなかったことを覚えていて。
それは言葉が分からなかったとかではなく、こうした主張が日常に溶け込み、ぶつかっていたからだと思います。
そうした雰囲気(ある意味異常さ?)を肌で感じるのは初めてで、ましてはアンネ・フランクの家を後にしたばかりだったので、これがこの国の常識であり、真に自由の国と言われる所以であるように思えました。
また、写真は撮り損ねてしまったのですが、前日にはダム広場に数えきれないほどの献花がなされていて、
こちらはナワリヌイ氏の死に対する献花だったようです。
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僕が見たのは夜で、この4倍くらいは献花があったように思います。
さいごに
宿に帰った僕は洗濯をしなければならなかったのですが、駅前のランドリーに出るパワーすら残っていなかったので、手で洗うことになりました。
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翌朝生乾きの服でケルンへ向かうことになるのですが、
そんなことはつゆ知らず、この後僕は10時間ぶっ続けで寝ることになります。
次回はケルン・ブリュッセル編になる、、予定です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。