小説【この霧を抜けて】
恵まれたチャンスを無碍にする黒人生
恵まれた環境にいた私には沢山のチャンスが与えられていった。
しかしそれら全てを私を無碍にしていくハメになった。
「全部障がいのせい」
こう言えば、言い訳だと思われるだろう。
他人から見れば全て私自身のせいでしかないように見える。
私には物事の素振りひとつ一つどうしていいのか判断力がないのだからいっそ、チャンスなど与えられないのと一緒だと思った。
寧ろチャンスをいかせない恥ずかしい思い出が増えた。
こうやって黒歴史を重ねていくしかない人生を進めていくことは当然怖かった。
でも時間は止まってくれない。
私は予想通り、サイテーな人生を人に披露しなければならなかった。
恥ずかしい人生だ。
芥川龍之介の恥の多いしょうがいを送ってきましたという言葉は私の為にあるのではないかとすら思てしまった。
誰も彼もが私のことなんて覚えてて欲しくないと思ったし、知り合いに合わないように家の近所でさえも出歩けなかった。
ふと近くのコンビニに行けば高校生になった同級生がバイトしていたり、ジムに行けば同級生に会ったりした。
私には敵が多すぎるのだ。
嫌われたり虐められたりしながらも、不登校にならずにとうこうしつづけていたので、仲が良くない嫌いな知り合いが多すぎるのだ。
相手にしないでくれればいいものの、私の顔はそんなにすぐ変わることはなく、(おそらく、大学を卒業するくらいまではメイクのしようがないほど濃い顔だったので変わることはない)
どこへいってもバレた。
コロナ禍の常識や生活感がもっと早く到来してくれれば良かったが当時はとっても不便だった。
決して逃れられない脱獄犯のような人目を気にする生活を10年以上もおくった。
私の子供から大人になるまでの人生は恥ずかしくみじめで悲惨だった。
恵まれた家庭環境にいるにも拘わらずだ。
私は人と当たり前の関係は築けないし、深くかかわると嫌われる人間性の持ち主だ。
「お金があっても幸せになれない」というのは自分の為の言葉だとすら思えるほど、幸せにスムーズに楽しく生き、周りに理解され、人を理解できる人に対しひたすら嫉妬していた。
自分の家庭環境や持っているものは、誰よりも恵まれていると感じているのに、他人の物を奪いたいと思った。
人も自分と同じ「不幸」という気持ちを味わって私の気持ちをわかって欲しいと思っていたのだと思う。
発達障害だけど不登校になれなかった訳
学校は刑務所だと感じていた私が、不登校にはなりたくなかったのには理由がある。
発達障害傾向が生活に支障をきたしているレベルの人は、学校生活も会社生活も好奇の目に晒され苦痛を伴うものになってしまうだろう。
私自身も自尊心はズタボロになったし、自分が輝ける場所ではないとことに長時間拘束されている生活は刑務所のように感じていた。
学校には行きたくない。しかし、当時不登校には絶対になりたくなかった。
理由は、例え学校に行かなくても、私は幸せに過ごせない事がわかっていたからだ。
集中という機能がここまでないと、極度に生きる気力がない。お風呂に入ろうとしても歯を磨こうとしても集中していないとやりきる事ができない。
行動がものすごい負担がかかるのに、自分ひとりで回していける体力、精神力がなかったからだ。
このことをうまく言語化する事はできなかったが、学校という時間割の決まった枠に自分がはめられていなかったらドロドロに溶けて、生活の形など到底保てないだろうとも感じていた。
学校という集団生活の雰囲気、集団心理や同町圧力は変わり者の私には過度にあわなかったが、時間割通りに動くことを強制的にさせてくれるので、かろうじてバランスの良い生活を維持させてくれていた。
だから自尊心は削り取られながらも行かなくてはいけないので通っていた。
🟠自閉症と自尊心
「私は価値の低い、大切に扱われなくて当然の人間なんだ。」
これは被害妄想とかではなくて実際にそうだった。
周りが動き回る中、ただ何もせず、ぼーっと傍観しているだけのまま何年も経っていくのがわかった。
そんな事を親に相談したって「そんな事ないよー、何言ってるのよー」と言われて終わるだけ。実のところ親は何も見えてなかった。
私がただ止まっている事も周りが動いている事も
親からちゃんと注意してないからーと言われればその通りだったかもしれない。しかし、ずっとちぁんと注意している事なんて疲れすぎてできない
それも私が悪いんだろうか。
そもそもの生き物としての性質がちがうようにしか思えなかったが、変わるしかないんだという言葉に鼓舞されるしかなかったのだった。
無気力な自分を奮い立たせて3年、
明らかに新しい精神病の症状が顔w出していた。
恐怖心で確認しすぎてしまう。
異常なほどの確認癖。
テレビで不安症という特集を見かけた。
これに違いなかったが、どうする事もできなかった。だって、どうせ精神科で薬図家になり戻したりすることを繰り返すだけだったから。
理解されない世界でわたしにできる事と言えば、社会的なブランクを少しも作らずに「普通」に過ごしているフリをする事だけだった。
自分をさらけ出したら迫害されるだけなんだから。
🟠私というアウシュビッツ
私の脳は飛蚊症に侵されていていつか気が狂う日が来るのではないか。
子供の頃からそんな恐怖心に見舞われる事があった。
時間にも場所にも構わず、私の頭にはめちゃくちゃにアイデアがさく裂して、爆発が起きていた。
ピアノのレッスン中でも、朝礼中でも、家でトイレにいるときでも、お風呂にはいっている時は、その脳内と格闘し、永遠と一人で脳内の誰かと議論を戦わせていた。
いつだっている場所、やっている事は、片目でこなしているような感覚で、半分以上の神経は沸き起こる議論と本気で戦っていた。
現実世界を生きていないような感覚。
心ここにあらず。
現実世界を見る視界はぼんやりと半眼でしかみれていない。
両目でしっかりと今やっている事に向かう事などできない。
私の中のうるさい何かを抑えるだけでもエネルギーを膨大と使うので、トイレやお風呂、部屋で一人になるときは、抑えられず駄々洩れ状態だった。
さすがにこの状態を誰かに見られたらまずいとは思っていた。
この靄の中から一生逃れられないんだろうか。
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絶望した。私は幸せを感じたいと思って色々な工夫をした。
生活できること。食べられる事。当たり前の事を幸せだと思い込もうとした。
だって獄中にいる人、囚われている人はそういう事が自由にできないのだから、アウシュビッツにいる人は残虐な事から逃れられないのだから私は自由の身ではるかに幸せなはずだ。
ポーランドにむかった。
旅行のガイドがいう事が頭に残らず、メモに取るが、他の人に聞き返す
待ち合わせの場所がわからなくなる。
私は自分からは他の国に来ても逃れられない。
投獄されている人はここから出る事を夢みるが、私は自分から一生逃れられない、どこへいっても。どこへいってもやっていけない。責められる。
では何を夢みて生きればいいのか。何を目標に進めばいいのか。
どこへ行ってもこの自分を背負って一生生きなければいけない逃れられない運命。
逃れる道は、死んで別の人間に生まれ変わる事だけだった。
間違いなく、生活に支障をきたしている。でも、障害といえば差別され社会から迫害される。隠し通さなければならないのに、何倍もの負担を一人でつぶれるまで背負い込む事になる。本当の事は誰にも言えない。いったとしても返ってくるのは、最近はすぐ何とか病とかなんとか障害とかよく言うようになっただけという反応。
脳の形状がMRIで発覚するのはそれから何年もたってからだった。
しかも、その症状が想像以上に過酷で、死も凌駕するほどのものだと社会が認識する事になる。
診断があいまいでグレーの病気だと言われていたものが列記とした脳の変形障害だったと社会が知るのは自分がそうに違いないと確信した9年もあとの事。
本当は私だってきれいな家で生活がしたい
大人になるとなんでもないことだけど、仲のいい友達と遊びたいし、カフェや遊園地なんかに行ってみたかった
私にはたった一度もそういう経験がなかったのだった。友達と映ってる写真もなかった
バイトしたお金で遊びに言ったりやりくりして服をかったり自立するのは大変あけど楽しい。
そういう達成感も私には味わえなかった。とにかく成功体験なるものがなかったのだった
普通のしあわせってものを体験してみたかった。
🟠発達障害と時間感覚
私は不注意障害という言葉から世間の人が長年理解しなかった原因があるのではないかと思っている。
不注意という言葉は、たるんでいるというイメージを彷彿させるのだと思う。
しかし、ADHDの人は生活に支障をきたさないように必死すぎて、真面目にならざる負えない人もいる。
私も真面目過ぎる生活だった。
時間が守れないといけないので、友人と遊ぶこともないし、人と出かけるときは体調が万全な日しかえらばなかった。
時間も、厳密に遅刻しなさそうな時間を選ばせてもらった。
こういうのは傍から見たらわがままで自己都合ばかり考える人に見えるのだろうが、申し訳ないが人の事を気遣っている余裕などないのだ。
だってまず自分の事ができないのでいっぱいいっぱいだからだ。
遅刻しないでそこに何事もなく、到着できるかというのは私にとっては一代勝負なのだ。
メンタルが病んでいたりすると、間違いなくスムーズな行動はできない。
運動会で記録を残すような緊張感さえおぼえた。
あまりにも深刻になりすぎて、夢に見てしまったほどだ。
気を緩めると時間が過ぎてしまうのだ。
こんなに深刻にプレッシャーを抱えていても、どんなにまじめであっても、先天的に私のようにうまれてしまえば、責められる運命というわけなのだ。
🟠恥ずかしさの正体
集団にいるとき、居心地が悪く、なぜかわからないが恥ずかしくてもじもじしていた。
幼少期、ずっと考えていたのだが、なぜ私は恥ずかしかったのかが、発覚した。
比較的幼い頃の記憶はしっかり残っている。
まだ乳母車に乗っていた頃の思い出。
チャイルドシートのような脚と脚の間に柵がある椅子に座らせられるのが気持ち悪かったこと。
幼稚園の入園の際に面接を受けた後、いちごのアイスシャーベットを園長先生に貰ったこと。
園の客室間に水槽に金魚がいたこと。
思えばいつだって集団でわさわさといるのが苦手だった。
みんなが教室をぐるぐる走り回りだした時、一人体育座りをしきりにしていたのも記憶にある。
表現できなかったが、なんだか気持ち悪く違和感を感じた。
この不安は何なのだろう?周りの子たちはどうやら感じていないようだ。
恥ずかしいような気持ち。
恥ずかしいってどんな気持ちなのかというと帰属社会で迫害される事に危機感を感じる人間特有の感情らしい。
周りと違う事で注目され、その集団から浮くことへの危険信号のようなものらしい。
恥ずかしい。
自分がここにいる事がなんだか恥ずかしく、自分の存在が恥ずかしく思えていた。
それがなぜなのかを考え込んでしまっていた。
なんでここに生まれたんだろう。
この気持ちはどうして生まれるのだろうか。
その頃から哲学的で、深く考え込まずに動き回る周りの子たちと明らかに何かが違っているのを感じていた。
どうやら私は人と何か違うようだ。
なんで、そのまま行動できないのだろうか。
あの恥ずかしさの正体は、みんなと違う自分が類似性のある集団にポツンといる事への恐怖心だったんだと今ごろになって妙に納得がいった。
30年間私を覆っていた一つの靄が晴れた。
🟠私はただの傍観者
思えばいつだって私は傍観者だった。友達が部活に入って仲間割れしたり、涙を流したり、青春したりしても自分は何も参戦せず、傍観者だった。
苦労も楽しさも感動もない。
高校時代友人たちが何やかんや男子と遊んだりしてもそんなの恥ずかしいと傍観して当事者になりたがらなかった。
恋バナの渦中にもいたくもなかった。
学校の委員会なんかもくだらなく思たし、集団でやる何もかもがくだらなく興味が湧かなかった。
初めて仲間というものを知ったのは中3の時、
それでも疎外感を感じるようになっていった。
思ば皆、人から必要な存在で、部活もやっていた。
私よりもずっとしっかりしていたのだ。
私はそういう行事ごとにひたすら体力や思考力が持たないから参加したくないと同時に、参加できなかったのだ。
そんな自分が初めて受験という競争に参加できたことに感動したのだ。
私だってできるという勇気を与えてくれた。
頑張ればできる。
これはずっと忘れていた気持ちでもあった。
しかし、この大学受験という経験は私をより向いていない世界へへばり付く努力をさせるキッカケにもなったのかもしれない。
退屈なことにも努力し続ける人生が始まっていった。
🟠仕事が極端に苦手な人が困っている事
「なんでこいつこんなことも出来ねぇんだ?」
そう思う人は周りにいるだろうか?
その相手は、職場の新人、バイト先の教え子、あるいは自分の息子かもしれないし、家事能力がなさすぎる旦那かもしれない。
いずれにせよ、仕事力がない原因は本人にも教える側にも言語化できないものがあり解決しにくい事が多々ある。
仕事が極度に苦手な人間が困っている事が感じている苦労を言語化したら少しはわかってもらえるだろうか。
実際に仕事をしてみるにいたった私だが、
とにかく困るのだ。
普通の人ならなぜ困るのかわからないだろう。
何年もやっていればさすがに慣れると思うだろう。
忘れてしまうならメモをとればいいと思うだろう。
具体的にどのような事に困り、解決して行っているのか、ひどい発達障害の私が、大変さをお教えしたいと思う。
同じように仕事や生活に困る人から共感されると思うし、相当工夫してきているので、改善の参考にもなると思う。
また配慮する立場の人、仕事を教える人にも役立てると思う。
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●覚えられない
同じ事の繰りかえしなのに忘れてしまう。
これは記憶を司る海馬に問題があるので、特定の記憶(例えば、口頭言語や、手順などは覚えられない、実行できないなど)は残らないし、実現不可能だったりするので仕方ないと言えば仕方ない事なのだ。
怒られても工夫しても治らない事もある。
なので記憶に頼るのではなく記録にたよろう。
そこで見ればできるという物をつくっておく。
作業内容はメモをとればよくても、そのメモをどこにしまったのかその当日になると忘れてしまう。
なのでカレンダーにそのメモマニュアルの在りかまでもを記入しておく。
●すべてカレンダーに書くようにする。
来年の同じ時期にも同じ事をやるとなれば、作業手順まで含めたマニュアルを書く。
もしくはそのマニュアルをここにしまってあるから見る事などとかいておき、その時期になったら、「ここを見ろ」と未来の自分へメッセージで指示しておくのだ。
それを 繰り返す。
はっきり言って職場の就業時間中は、私の頭はたらいていない。
●職場でのマルチタスクで、電話が入ったり、声がかかる度に、今やっていた事から離れ、終わるとまたその仕事に戻る。
短期記憶が悪いので、やっていた事の感覚に戻るのにいちいち時間がかかるのだ。
仕事が苦手な人の行動を見ているとぼーっとしている時間が長くてつい怒ってしまうという人もいるだろう。
しかし、発達障害をはじめとする仕事が極端に苦手な人は慢性疲労や、睡眠障害を抱え、ぼんやりしたくなくても頭がさえず、眠気や疲れでてきぱき行動できない人が多い鵜
体質的なものなので、私なら睡眠障害を疑い、耳鼻科で、睡眠時無呼吸症候群かどうか調べてもらったりするだろう。
そもそも、どうしてもできない人を抱える余裕がないのなら、そういう人を雇わないように採用眼を磨く事だ。
(仕事ができない人を採用の際に見抜く方法↓)
●眠気の問題もあるが、職場では、周りの人がざわざわしており、まったくと言っていいほど頭が働かない時が普通にある。
理解力がないのではない。
その事が苦手なのではない。
周りに人がいるわさわさにしている空間で色んな要素が気になって集中ができないのだ。
「早くしろ」などと圧をかけられるとなおさらだ。
当事者はふざけたり、ナメたりしているのではない。
あえていえば不適合な空気感に疲弊しているのだ。
余計に圧をかけても改善はしないだろう。
ではどうしたらおおのか
少しずつ教えて、裁量を任せる、自由にさせるというのが一番本人にとってもやりやすく、できるようになるコツだ。
彼らは環境によってできるできないがハッキリしていたりするからだ。
●就業時間後、みんなが帰った後しか集中できないのだ。
なので、毎日残業して帰るのが普通になった。
もちろんサビ残だ。
どうか周りの人が配慮してあげるとするなら、社内チャッターやメールで仕事を適格に指示を出し、一人の場所
作業させてあげて欲しい。
会社によっては一部屋くらいあまって いるだろうし、会議室など使えるなら是非そうして人目のない所で、投げた仕事に専念させてあげて欲しいのだ。
🟠仕事のコツ
記憶がないながらも私はいつもこの方法に助けられている。
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基本マニュアルをつくる。
スケジュール等を明確に伝える。
これが来たらこうするとかパターン化できる所はパターン化し、頭を使わなくても自動的にできるようにする。
この月はこれをやるとかスケジュールを組ませる。
納得したことは自分の言葉で書かせる。
メモを整理するタイミングを取らせる。
この時間を与えないと説明した意味がなくなる。
カレンダーに全て月ごとにやる事を全部書きだす。
(例えば、私は、何月と何月は何を配布する月とか細かい事もすべて書き出している。)
大まかな予定はカレンダーにその日やる事は時間スケジュールにかいておく。
話している事をすべてメモして、話がどこまですすんだか記録をとる。
ジャンルごとにファイルしておく挟むだけでOK。これだけで、どの話がどこまで進んだのかファイルを開けば判明する。記憶がないながらも私はいつもこの方法に助けられている。
🟠ヒマって何だろ?
普通の人は何もしていない状況を「ヒマ」と呼ぶのだろう。
私は、何もしていないという時間が多いのに、いつも忙しかった。
一部の発達さんはわかるだろう。
普通の人からしたら「えっ、それ、どゆこと?」と感じるのだろうか。
端から見ればただ、ぼーっとしているだけなんだろうが、じつは頭の中はいろんなアイデアがさく裂している。
あれもやりたいこれもやりたい!
これやったら今の時代にきっと流行る!
こういう面白いものを作ってみたい!
こういう小説を書きたいし、映画にするならこういうシーンを取り入れるとキレイだ。
何か見るごとにそこからいろんな派生アイデアが生まれる。
というか、生まれてしまう。
それは、膨らんですぐはじける小さい風船のようにいそいで形にしないと消えて次ぐ次に浮かんでくる事で頭が占領されてしまうのだ。
だから、急いでペンを走らせる。
発想に鉛筆を持つてが付いていきっこないくらいくらいのハイスピードだ。
はぁ、はぁ、、、
息切れしてしまうくらいに目まぐるしい。
「今日何やってたの?」
何にもしていない。
だって何にもできてないんだもん。
本当に小さい頃はよく絵や工作に表現してそれを褒めてもらえた。
でも、一つの事を終える前にやらないといけない事が中途半端にある。
すると心ここにあらずといういつも魂が抜けたような有様だ。熱中できない。
アイデアを100個思いついても200個思いついても何にも形にならないんだもん。
何もしてないも結果的には同じ。
私はそういう何にもしてない20年をおくってしまう人発達さんには結構多いと思う。
いつの間にか私が考えたアイデアが2.3年後に商品化されて流行っているのを見かける。
私が考えていたデザインや商売。
どんどん人が実現している。
精度は私の方が上でもそのうち気づいたかのように私にアイデアに似てくる。
そしてそのアイデアが人気となり、誰もが一度は見たことがあるものになり、すたれていく。
そういうのを見ながら何も実現できずに大人になってきた。
私は合わない学校生活にしがみつき、不登校にならないように家で泣き溜めして、学校で泣くなに耐えたりするのに必死だったり、受験勉強の渦に巻き込まれたり、就職にしても向いてる事じゃなくて向かない事に向いていると周りから思われる。
多くの発達さんはクリエイティブな方面に向いていても、周りからみたら、その社会不適合ぶりに、単純作業をやらせたがるだろう。
ミスばかりでそんな事向いてないのに、どんどん向いていない道にそれてく人生。
ふと、ヒマってなんだろうと思い出して書いてみた。
🟠Ninngenn
にんげん
ニンゲン
Ninngenn…
人間ってなんだろう。
みんな動いてて私は止まっているみたい。
みんな動きまわり、やりたい事をやり、友達と遊びにいく。
行動している。
そして成長していく。
ほら、2.3年前までみんな言いたい事を言っていたのに、今は控えめになってるよ。
態度や顔に出さなくなっているし、発現も穏やかになってってる。
ぎゃーぎゃーうるさかったのに、落ち着きが出てきてるよ。
私は?
私は子供の頃からあまり動かない。
大人っぽいねと言われた子ども時代。
子供っぽいと言われる今。
周りは変わっていって、時代も変わっていって、自分はずっとうごかず見下ろしてた気みたい。
変化がわかるのは自分が動かないからだ。
私は人間なの?
人間の形をしたほかの生物なの?
そう思えたくらい。
明らかに人とちがった。
人の群れが怖かった。
何かが変だとわかっていた。
みんなが動いている。
当たり前だ。
だって生き物なんだから。
まるで私は死んでるみたいだった。
そのくらい動けなかった。
動くのがとってもかったるくて億劫で、明らかになにかが違う。
でも周りからは見た目で見抜けないんだ。
だって問題ない元気な人間の形してるから。
🔵TMSの効果
TMSの効果をまだかまだかと待っていた頃にはきがつかなかったが、ふと気づくと「普通」に過ごせていると感じる事が多々あるのだ。
そういえば、物語のように、語りたい事が頭に浮かんでいくのをメモに走らせるという事がなくなった。
前は重い浮かんで仕方がなかったのに。
これが発想が浮かばなくなったという事なのだろうか。
前まではやるべき事が目の前にあっても、他のアイデア(例えば小説のストーリーや服のデザインなんか)がひっきりなしに浮かんできてどうしょうもなかった。
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学生時代は押し殺していたが、社会人になり、目標もなく仕事にも遣り甲斐を何も感じない生活の中で、浮かんでくる物を書留めておく生活にしたところそのメモの数は膨大になっていた。
しかし、最近はメモの量が減った。
前まではあふれんばかりのアイデアを忘れる前に書き留めるには書く手が追い付かないほど急いでペンを走らせていたのに。
最近はたまに書き留める程度になった。
歳をとり、周りの目も減ったからファッションに興味がなくなって細かい事が気にならなくなっていったからとも思えるが、前までの異常な興味の偏りを考えるとTMSの効果と考えるのが妥当に思えてきた。
そして、一日が長く感じるようになった。
充実しているからだろうか。
前までは犬の散歩に行ったら、それでおしまい。というくらいの休日の行動量だった。
それ以外の時間はほとんど頭の中が忙しくさく裂しているので、忙しいのだ。
いわば、妄想の世界で生きていた感じ。
でも、気が付けば、最近休日1つ以上の事をこなしている自分がいた。
タピオカを駅まで買いに行ったり、シャワーを浴びたり、部屋を掃除したり、ピアノを弾いたり。
複数の事をちょっとずつやるなんて器用な事以前の自分にはできなかった。
なぜなら切り替えるのにものすごく時間がかかっていたから。
行動しようにもどうも頭がついてこない。
この症状は本当にしんどかった。
就活中も、他の人にはどうやら感じられないこの感覚はあまりにも重くて、自分はこの行動の重さを自分だけが背負っている努力は誰にも見えないんだと何度も思った。
他人から見たら、ただのなまけもの。
気をつけてないたるんでいると思われるが、私が一瞬でも気を抜いたらそうなってしまうとよくおもったものだった。
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