もとくん 入院記 2日目

2003年05月06日

2日目 (5月6日 火 手術の日) もと君はいつもよりもずいぶん早く 5時半にはお目覚め。でも 手術が終わるまで ご飯はおあずけ。8時までに牛乳を一本飲む。11時まで水・茶・スポーツドリンクは可だったので、その範囲で空腹を満たしてもらう。(ちなみに この絶食には ママもなんとなくおつきあいしなくては申し訳ないような気持ちになり、この日の1食目はもと君を送りだした後の 14時頃になっていました) 午前中 病棟内で診察。(回診のようなもの)その後手術を受ける患者さんは 外来に行き、坂上助教授の診察を受けた。 3月の外来受診時、お顔の写真を撮っていたのだけれど この日ももと君は嫌がって大暴れしていたので あまりきちんと撮れなかったらしく もう一度撮り直しをしました。 手術前の準備のなかには 患者取り違えを防ぐためのいくつかのステップがあって 1、足の裏、あるいは足の甲にマジックでフルネームを書く 2、ネームタグは 本人(あるいは家族)の自署。手首か足首に巻く 3、(これは履物を間違えないためなんだけど)スリッパに名前シールを貼る ・・・・もと君 これらをことごとく嫌がる。術衣に着替えるのも キャップをかぶるのも激しく拒否。 泣いたり わめいたり 逃げ出そうとしたり の挙げ句、13時25分やっと手術室の前に来る。ソファに座って 入室の順番を待つ。・・・ここで もと君入眠。 言っておくが ここまでに麻酔の前処置は一切していない。うそー という感じではあったが、もと君とは眠ったままバイバイ。 涙ながらのお別れを想像していたのですが 妙にあっさりしたお別れになりました。 13時40分頃の事でした。 でも あとでナースに聞いたら、術前に目覚めた時はそりゃあすごい泣きっぷりだったとか。 もと君が病室に戻ったのは 15時半頃でした。盛大な泣き声と共に帰ってきました。すでに麻酔からは醒め、手足をバタつかせて 目に貼ってあるガーゼも外れてしまいます。ママに受け渡された後も 治まるどころか余計に大暴れです。 汗びっしょりになり 必死にもがき ガーゼを外そうとするもと君。それを阻止するママの攻防は 40分余り続き・・・やっと 眠ってくれました。その間 ガーゼは何度も外れ 手術直後の腫れぼったい瞼と 生々しい縫い跡、うっすら血に染まった涙と妙に開いたもと君の新しい左目には やはり ちょっと違和感を感じました。 主治医Kが病室に来たのは17時頃。 その説明によると、今回の手術では 予想外のことが起こったらしかった。予定通り眼瞼挙筋を縫い縮めて瞼の上の靱帯に縫い付けたら もと君の左瞼はとんでもなく挙がってしまったのだという。そこで、縫い付ける位置を最初よりもかなり控えめにやり直し、そのため 通常よりも 時間がかかってしまったのだと言う。あとは、もと君の左目は見た目は軽度の下垂と言われていたのだけれど、開けてみると 結構程度は重くて いままで瞳が半分くらい見えていたのは いろんな筋肉を使ってがんばって瞼を挙げていたんだということもおしえてくれた。 なんだか もと君がとてもけなげに思えた。 さて、 かつて私から先生に一度だけ申し出ていたものの きちんとお約束をしていたわけではなかったので 自分でもそんなことは忘れていたら  主治医Kは私に『ホルマリン漬けになった もと君の眼瞼挙筋の切除したもの』をプレゼントしてくれた。・・・せっかくだから大切にとっておこうと思うけど でも 私の仕事だから耐えられるのであって、普通の人は あんまり見るもんじゃないなーと思った。  18時半 眠りから一旦醒めたもと君は まだ血の混じった涙を流しているのに 眼帯をどうしても嫌がる。手術跡を触る様子はなく ナースに事情を話し 外した状態でママが見守ることとなる。21時には再び眠りはじめ それから朝まではぐっすりでしたが 翌朝5時にはもう目を覚まし、ガーゼの眼帯は もうつけることはありませんでした。

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NPO法人眼瞼下垂の会
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