熱しやすく冷めやすい はたしてこれは良い事なのか悪いことなのか
ここ数日、最近の自分を思い返していた。
思うがままに生活をしていた所、色々な気づきというか、自分の中の何かが
見えては消え
見えては消え
何かを深く考えるというよりは、ボーッと色々なことについて考えることが昔からよくあるのと同時に、そうすることで何かの意欲が湧いてきたり、逆に消えたりする(笑)
これは自分に合っているかもしれないと思って始めたことも、熱が入らず惰性で続けるくらいならば、そこでやめることもまた必要なことだとは思うものの、とりあえずやってみるかで始めるとその数が多くなりすぎて気が付きにくい。
タイトルにもありますが、熱しやすく冷めやすいというのは多くの人に当てはまることなんだろうと思います。
だからこそブームというものがあって、結果的に人生を通してやり続けたり、好きだったりすることの方が少なかったりもします。
けど、好きな物に出会えた人は長くそれを楽しんでいるようにも見える。
熱しやすく冷めやすい
ということは、人よりも楽しむ回数は多いんだろうし、別にそこに対しての執着も生まれないし、毎回ワクワクも出来るからそれも幸せなことだと思う。
自分場合は中途半端なんだろうなぁ…
と気がついた。
熱しやすい性格で、それを全力出し切って初めから何かしらのロケットスタートを切る事が多くあるものの、そこで満足をしてしまって成長をとめてしまい、結局そこで飽きてしまう。
そしてやり飽きてやらなくなったのに、何処かスッキリしないまま次のやりたいことを見つけている。
人には色んな形があって、考えも理想も幸せも感じ方は違う。
今まで僕は何かを「極めた」という感覚が1度もない。
これなら絶対に人には負けない!
というものもない。
強いて言うならば、大体何をしたとしても、標準ラインと呼ばれるものよりも少しだけ出来るようになる。
そして、トップスピードでその場所までたどり着くから、傍から見ると「すげーやつがきた」と思わせておいて、そんなに伸びない。
競走馬の世界で言う早熟タイプ。
完全に最初だけなのである。
自分はそうだとわかっているならば、それを認め、受け入れていくのがベストだとはわかっている。
だけど僕はなにかの世界でなにかを極めてみたい。
そんな気持ちが強くこびり付いて離れなかった。
こういう所が自分自身失敗の繰り返してきた理由なのかもしれない。
人生の3分の1程を生きてきて、しがみついて離さなかったこの考えを変えるタイミングなのかもしれない。
そう思うと僕はnoteを書くキッカケにもなった
「自分を変えたい」
ということに繋がるじゃないかと気がついた。
ビュー数は伸びない、かといって特段伸びるようなこともしていない。
そりゃ伸びなくて当然だ。
でも、僕は変えるつもりは無い。
僕にはやらなければならないことがたくさんあって、ここに書くことは自分がやらなきゃいけないことの再確認や、新しい事や間違いに気づくために始めたことだからだ。
それならば日記を自分で書けよ。
という声も聞こえてきそうだが、知ったこっちゃない。
こうしないと自分が頑張れないから、折れずに続けていく。
少しづつかもしれない。
だけど、地道に続けることの大切さを必ずいつか実感することになる。
そう信じている。
いつも終わり方がグダグダで締まらないが、これが自分。
無理に変えることないし、これが悪い事だとも思わない。
自分は常に自分らしくいこう。