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母が突然の行方不明。そして父と歩んだ日々。

読んでくださっていたり、スキを押してくださった方やありがとうございます。

これからはしばらく重たい話が続いていくので、見たくない方や、見て辛い思いになる方は御遠慮ください。

ここより本編

僕の成人式を迎える前に突然と行方不明になってしまった母。

悲しい気持ちや辛い気持ちはあるものの、父が憔悴しきっている所を見て、僕がどうにかしていかなければならない、そんな気持ちで平然を装っていました。

正直受け止めきれなかったし、どこにぶつけていいかわからない怒りも覚えていました。

しかし、まずは現状の会社の状態であったり、どのような流れでお金のサイクルが回っていないのかや本当に多くの情報を集める必要があり、その情報を言える所と言えない所もあるので、現状把握を掴むことでいっぱいいっぱいでした。

そもそもの発端は、僕が高校時代のこと。

父の会社は個人事業主として運営していたものの、売上規模だけでいうと当時の有限会社もしくは株式会社にしなければならないようなものでした。

それを誤魔化してやっていた為に、税務署に入られ1000万ちょっとの借金を1度抱えたのだそう。

それを親族など様々な所から力を借りると同時に、売上を伸ばしていき、あと数年で返せる所まできていたようなのですが、有限会社にすると同時に父は母には伝えることなく、通帳に売上があがらないように小細工をするようになり、その金額がまた膨れ上がった頃、2度目の税務署が入ることがほぼ確定するであろう状態を知った母は、またあのような事態が起こることを恐れ、家を出てしまったのだ。

それに加え、5年程母が経営していた喫茶店も赤字が膨れ上がり、そのことも母にとって重くのしかかっていたようでした。

そしてもう1つ、僕と父にとって耐え難いことが起きていました。

父の会社では、希望する人に、新しく入社してきた社員をしばらく実家に居候させながら、社員のご飯代や家賃を抑えて、お金を貯めさせてあげる期間があることがあったのですが、父も気に入っていた社員で、僕が大学で近畿地方に出た時から数年居候していた社員がいました。

その人も母と一緒に消えていたのだ。

信じたくはないが、一緒に出ていってしまったとしか思えない状況だった。

それからというものの、父の会社に務めながら経理をも任され、現場にも出ていくということを2年ほど続けていました。

しかし、父の働く会社は所謂現場系の仕事で、僕とはあまり考え方や仕事の仕方が合わない人が、たくさんいました。

そして僕はついに我慢の限界を迎えることに。

経理のことをしていても、また税務署が入ってきてもおかしくないお金の流れを見たり、諦めがあったのか、父は本気で借金返済に向けて動いているようには見えず、僕は段々と気持ちが切れていきました。

その原因は仕事関係だけではなく、母が出ていってから半年ほどすると、父が新しく女性を連れてやってきました。

その方はフィリピン人の方だったのですが、僕は父が幸せならそれでもいいと思ってはいたのですが、当時僕も付き合っている女性がおり、家庭の事情を話したところ

「私に出来ることがあるなら、家の手伝いするよ」

と言ってくれ、僕と彼女で家事を行っていました。

その彼女と父の連れてきた女性が性格が合わず、僕達は実家を離れることにしました。

その決断と同時に、仕事も精神的にしんどくなってきていたので、父と何日も話をし仕事を辞めることに。

実は当時、税金のことなどを全く理解していなかった僕は、節税をどうしてもしたいという父の願いから、20歳にもならない僕の給料は月60万円もあり、そのうちの20万を父に渡してほしいと頼まれ、それを渡していました。

次の年に、様々な税金がとんでもない金額になるともつゆ知らず…

恥ずかしながら、税金がのしかかって来ることなどを考えてもいなかったことと、当時車を持っていたのですが、とてつもなくガソリンが高い時代だったことに加え、外食を繰り返ししていたせいで、貯蓄という貯蓄はほとんどしていませんでした。

そして彼女と新しく生活を始めていくことになるのですが、翌年に地獄をみることに。

 住民税や保険料など、様々な税金の支払書が届く時の僕は、手取りで18万円前後だったので払える訳もなく、知恵のない僕は消費者金融でお金を借りることになりました。

ここから僕の人生は、本格的に転落が始まっていきます。

このまま書き続けると、とてつもなく長くなるので続きはまた次回にしたいと思います。

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