お茶汲みについて考える
「河合さん、来客室にコーヒーお願い」
来客が来て、ぼくの隣のデスクに座る河合さんに、社長から指示が出た。
隣のぼくにようやく聞こえるくらいのため息をついて、河合さんが立ち上がる。
「今時女性にお茶くみをさせるなんて時代遅れもいいところだわ」
ぼくと同期だけれど、ぼくより仕事ができる河合さんは以前ひとりごとのようにそう呟いていた。
実際河合さんはコーヒーを入れるのは好きではないみたいだ。適当に粉(来客用の社長オリジナルブレンドらしい)を入れ、沸騰したままのお湯をどはどばと注ぐ。
ーああ、もったいない。
きっときちんと入れたらとても美味しいコーヒー豆なんだろうな。
いつもそう思って河合さんの様子を眺めてきた。
そう、今日こそは。覚悟を決めて席を立つ。
「あの、河合さん、良かったら変わろうか?」
「え?」
自分が任された仕事をぼく如きに取られたくない、というデメリットと、嫌なお茶汲みをしなくて済む、というメリット。
その間で河合さん揺れ動いているのが分かった。
「ほら、河合さん、もっと大切な仕事してそうだったから」
「…なら、任せようかな」
もちろん、と満面の笑みで答えて、コーヒー豆を受け取る。
受け取ったコーヒー豆の匂いをそっと嗅いでみる。甘くて、華やかで、強すぎない酸味。なんて美味しそう。
計量スプーンで慎重に量を測り入れ、80度まで冷めたお湯をまずは粉全体が湿るくらいだけ注いで蒸らす。しばらく待ったら一度にお湯を注ぐ。すると、粉がもわっと盛り上がる。豆が新鮮な証拠だ。
2回目以降に注ぐときは、できた堤防の中心めがけてゆっくりお湯を入れていく。フィルターに回しかけると紙の匂いがコーヒーに移ってしまうので絶対にやらない。
そうして丁寧に入れると、綺麗な琥珀色の、素晴らしい香りを放つコーヒーが出来上がる。
それを来客用のカップに入れ、来客室に運んでいく。
「失礼します」
ノックをして部屋に入る。
あれ?という顔で社長でこちらを見る。その顔は「なんで河合さんじゃないんだ?」と露骨に告げている。
美人の河合さんでなくてすみません、と心の中で謝罪しながら、コーヒーを配り、そそくさと部屋を出ていく。
ちらっと会議室を見ると、社長がカップを持って何やら話している(おそらくコーヒーのうんちくなんかだろう)。
そして、来客が一口飲む。
「んー、うまいですね!」
そんな言葉が聞こえてきそうな笑顔を来客は見せていた。
よし、と思ってコーヒーの後片付けをする(その途中、少し残ったコーヒーを自分のカップに頂くのも忘れていない)。
全てを終えてデスクに戻ると、河合さんがちらっとこっちを見て、「ありがとう」と呟く。
「どう」
まで言ったときには河合さんの注意はすでに自分パソコンに戻っていたので、「いたしまして」は心の中で唱えておいた。
ぼくは少しだけ頂いたコーヒーを飲む。
少し時間が空いたので酸化は進んでしまっているけれど、それでも華やかな香りは失われていない。
しあわせ。
今度もまた河合さんにお茶汲み変わるって言おうかな、と考えていると、社長がぼくのデスクにやってきた。
「きみ、コーヒー淹れるの上手だね!また次も頼むよ!」
そうにこにこ顔で告げて、その場を去っていった。
やった!
これで毎回美味しいコーヒーを頂ける!
と思っていたら、河合さんの方からすごい視線を感じて、
「男のくせに」
そう呟いたのが聞こえた。
その後が、「嬉しそうにお茶汲みをするなんて」なのか、「お茶汲みごときでで点数稼ぎかよ」なのかは分からない。
ただ、男とか女とか関係なく、自分が得意なことで人に喜んでもらえたら(そして自分もちょっと得できたら)、仕事ももっと楽しくなるかな、と思っただけなんだけれど。
やっぱり働くって難しい。
でも河合さん、ぼくは美味しいコーヒーを飲みたいから、これからのお茶汲み仕事は責任を持って引き継ぎます!