依然コロナ禍の会社の風景2

学生の頃は神社仏閣に参拝すると、10円玉1枚しか投げていないにも関わらず、賽銭箱の前で金持ちになりたい、良い会社に勤めたい、可愛い恋人が欲しい云々、身の程も弁えず、ひたすら思いつくまま希望ばかりを伝えていたものだが、30を過ぎるとその祈りの時間もまったく縮まった。
「幸せでありますよう」
お金や名誉など外的な要因ではなく、自分の内面にしか人生の答えがないことにやっと気がついたからである。
日本発着の定期便が運休となり、既に1年が過ぎた。本国では国の支援が届かず、会社はもう限界にきている。稼ぎ頭だった日本路線ゆえ、諸外国のオフィスと比べ何かと優遇はされてきたものの、出勤調整、オフィスのダウンサイジング、地方事務所の閉鎖等を経て、いよいよその足音は耳側まで近づいている。
外航ゆえ、もともとローカルスタッフには生え抜きと呼べる人はおらず、同業他社から、或いは旅行会社経験者からタイミングや採用担当の変遷により、まったくバラバラな個性が精神的な拠り所を持たないまま寄せ集まって出来た集団である。この危機の中、コロナ前までの右肩上がりの日常では看過されていたスタッフの人間性が剥き出しになっている。
月に4日、任意の日にしか出勤がないにも関わらず、与えられた有給が使い切れないと不満を言うもの。更なる強者はその出勤日に有給を重ね会社に出てこないもの。限られた出勤日では到底仕事が追いつかないためやむを得ず休業日に会社に出てきた人間に対し「テロリスト」と聞えよがしに口にするものすらいる。
自身の幸せを常に何ものかと引き合わせたり、目に見える損得で測っている限り、生涯不満が絶えることはないのではなかろうか。
いろんな人間がいるからこそ、この社会は面白いわけだが、身近にいるとそんな人間を雇った当時の人事担当者に恨み言の一つも言いたくなるのは、つくづく勝手だなと反省をするのである。










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