懐にあるからこそ価値のある核を使用するような、誰得な選択がなされる理屈がまったくないと考えられる以上、ロシアもウクライナも、少なくとも日本が大きく視野に入っているわけではない国家間の争いに対し、その行く末はどう転んでもなるようにしかならない。
ただ、今回のウクライナ情勢の成果として、この世界を望む方向に動かそうとしている何者かが存在していることがより明確になった、ということは挙げてもよいのではないか。
言うまでもなく互いが理のある戦争を、一方の「積年の領土的野心」や「指導者の精神状態」で帰着させる物語は粗雑と言わざるを得ず、この戦いが長引くほど、傲岸な人間により乱暴に覆われたシートの下を覗こうとするものは増えてくるであろう。
昔はもっとイージーに振り回せていたはずの世の中も、情報環境の変化により一歩でも、誰かが描いた結末から遠ざかってゆくことだけを唯一の希望として、この悲惨なニュースに日々接している。
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