昭和が残る風景・河川敷の野球グラウンド

東京の人間にとって河川敷のイメージとは寅さんや金八先生が歩いているそれであり、整備されたスポーツグラウンドが敷設されている光景を当たり前のごとく感じてはいるが、意外と日本の特殊風景だったりする。
長方形で作っておけば、サッカーばかりでなく、ラグビー系、アメフト、ホッケーなど多種のスポーツの練習に対応が可能であるにも関わらず、世界的にはマイナーな野球専用の練習場が、同数、もしくはそれ以上存在していることもまた日本の特徴である。
小学三年生のとき、通っている小学校の校庭をホームにした軟式野球チームに入った。その頃には幼稚園のときに買ってもらったミズノの赤いグローブは色褪せ、ゴムのようにクニャクニャ曲がるくらいだったので、入部可能な学年になる日を指を数えて待っていた。
チームには「監督」や「コーチ」と肩書のついたおじさんたちがいて、土日、毎日の朝練には常に顔を出し、我々相手に「指導」した。子供心には「偉い」人と思い込んでいたものの、ある程度の年齢になり振り返ってみると、隣接する保育園の用務員や建設業で働く、本格的な野球経験を積んでいたのかさえ怪しい人たちだった。
試合であれば飲み物やタオル、遠征する際は車を出したりするのが、子供が所属するチームの親の役割であったようだが、僕の親は関わらなかったし、僕自身も野球だけを楽しむ場だと信じていた。しかし、いつの間にかピッチャーを下ろされ、代わったのは毎朝ネット裏から冴えない父親が見守っている子供だった。
父が一度だけ、親やコーチ陣を交えた食事会に参加したことがあったそうで、どこかの親が息子のバットの持ち方をああしたほうが良いか、こうしたほうが良いか、その監督やらコーチに熱心に訊いていたよ、と苦笑まじりに話した。
休日に河川敷を歩くと、野球、サッカーの試合や練習でグラウンドは埋まっている。長方形のグラウンドでは身体を動かしていない子供が出ないようプログラムされた効率的な練習が大学生や20、30代のコーチのもと行われている。その隣では、相変わらず全員を守備位置に就かせ、腹の出たおっさんが一人で大きな掛け声の子供相手にノックを行っている。
スポーツは進化し、多様化しているが、河川敷では依然昭和が残っている。

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