前の教育段階の優れた成績の下で進んだ学校で落ちこぼれたグループは、挫折感か何かは分からないが、共有する感覚があって相対的に絆が強い、なんて説はないだろうか。
父が50代のとき、年に一度仲の良い高校の同級生が集い、1泊2日で昼はゴルフ、夜は交流会みたいな催しが数年続いて、多いときは30人ほど、それも見事なまでに学校でテストが行われるたび貼り出される結果の下位常連者たちばかりが集まったという。
宿泊は信貴山玉蔵院の宿坊で、同級生が大僧正を務めており、その方もきちんと宿坊の金額を含めての費用を払って、一同級生としてその会に参加していた。
多くの他の参加者とは異なり、大僧正の高校時代の成績は良かったそうで、卒業後、一時は寺を継ぐことへの反発からか、早稲田の理工に進まれた。
卒業後、寺に戻ることになり、現在に至る巨大な宿坊を、(これは父の想像だと思うが、毘沙門天への信仰が強かった角川書店の巨額な寄付もあり)建立した。食事の配膳システムに最新のテクノロジーを取り入れたことで、さすが理工学部出身といった新聞記事も出たという。
大僧正には京大出身の奥様との間に娘さんしかいないため、毎日午前3時に起床しなければならない日常を受け入れてくれる跡継ぎを見つける大仕事が残っており、世の中の老舗とよばれるお店も同様、継ぐ家があることは他所からは羨ましく見えるものだが、次にバトンを渡す心労を考えるとサラリーマン家庭に生まれるほうが幸せなのかなと思ったりもした。

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