Jリーグの選手は4-6月生まれの比率が高いという記事を読んだ。小学校入学のタイミングでいえば、いわゆる「早生まれ」の3月と4月生まれの子では丸一年のタイムラグがあり、すなわち人生の6分の1の差が出ているわけで、小学校入学時の体力差による優位性がそのまま自信に繋がり、プロへと結実したのであろう。
学力においても然りで、体力と比較し、「自信」が原動力に占める割合が少ない分、学年が進むにつれ平準化されていくものだが、例えば小学校で受験を迎える場合、試験結果は誕生月に従った右肩下がりの構図が想像できる。
父は昭和11年8月生まれとして、この世の中を生きてきた。しかし、実際は何かしらの事情(親の怠慢?)で出生届の提出がほぼ1年遅れている。
他の生徒と1年以上のアドバンテージがあったので、当然小学校では勉強もスポーツも優秀な、多くの生徒の憧れの的であったらしい。前述のように年齢とともにその優位性は薄まってくるものだが、人間の心理としてヒーローの座は堅持したくなるものなのか、高いモチベーションを保ちながら、中学の入学式では新入生代表として挨拶、高校受験も難関校に合格した。
しかし、もともと地頭が優れたわけではなく、また母子家庭で教育に力を入れられる生活環境にもなかったため、大阪周辺の各地から優秀な子が集まる高校では入って早々にその自信は崩れ、はいていた下駄はとうとう脱がされることになった。
戸籍上84歳となった父の現在の友人としての付き合いはすべて高校のものだが(大学でも常に同高の出身者とつるんでいたらしい)、稀に大阪まで中学の同窓会に参加すると今でも最上のもてなしが用意されているそうである。
父の、この不正話は家族にしか打ち明けていない。華やいだ時代など過ごしたことのない僕にとっては、短くも花のある時があっただけ父を羨ましく思えるものだが、出生届の遅れを知らないまま小学校の入学年まで同い年として近所の子と遊んでいたのに、自分は学校に入れず、1年間影を潜めて生活をしなければならなかったことへの慚愧。そのことを知っている人に事情を暴露されてしまうのではないかという後ろ暗さは生涯拭えていない、と父は話しいている。

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