電通というとチョロい仕事が自然と舞い込み、労せず莫大な富を得ているかの印象がある一方で、業界のリーダーとして広告文化と真摯に向き合っている姿もまた、彼らの一面である。
「電通報」というタブロイド紙が毎月会社に送られてくる(ここしばらく止まっている)。最初目も通さずゴミ箱に投げていたが、読んでみるととてもニュートラルに広告の現状を分析しており、今ではウェブ版もお気に入りに入れ、暇あれば開いている。
マスコミ4媒体からインターネットへの広告費の移行がますます進む中、電通そのものは旧態のマスコミ依存からの脱却に悪戦苦闘をしている。営業の立場であれば、乗り遅れているネット広告に助勢するかのような記事は決してウェルカムとは言えないだろうが、紙上では過去営業マンが口八丁手八丁でクライアントを説得してきた旧媒体上での広告をまるで屍のごとく扱っている。
僕はそこに彼らの高過ぎる自己評価や殿様体質を感じられずにはいられない。そして、汐留の巨大自社ビル売却は少なからずそんな彼らの気質に起因するバッドディシジョンではないかと思っている。
学生の頃、父になぜ適正な価格で意欲的な中小の代理店がもっと使われないで、大手、特に電通、博報堂などの最大手を、不合理な金額を払ってまで企業は使おうとするのか尋ねたことがある。広告を依頼する人間の立場では、中小の代理店を使って失敗すればそれは選んだ担当者の責任になるが、文句ない大手なら失敗しても火の粉をかぶる必要がないから、と父らしい回答に会心した。
ヴィトンは常に一等地にあるからヴィトンでいられるのであり、イオンにあるヴィトンを買うものはいないだろう。
背に腹は代えられないほど逼迫しているのなら兎も角、いま自分たちがどんなお客に支えられているのかいま一度考えたほうが良い、というのは大きなお世話か。