午後七時の夫婦
同居する父が死に、浅草から表参道(神宮前五丁目)の狭いマンションに越して半年が過ぎた。
前の住居が南向きの高層階で、一年中冷暖房を点ける必要のなかった環境であったため、2階に住む今は寒い、暑い、湿気、虫等々、当たり前の現実に(妻が)右往左往しているが、何より深刻だったのは食材の購入場所だった。
最寄りは紀ノ国屋か、渋谷駅周辺の地下食品街ということになる。
引っ越し当初は、ピカールを利用したり、国連大学前の週末のマーケット、或いは土曜の朝に早起きして六本木ヒルズの朝市まで足を運んだものだが、これまでの食習慣や生活のリズムに合わないことは自然と淘汰されていった。
かと言って、ごく一般的な給与所得者である共働き夫婦が紀ノ国屋やデパート系の食品街に正面から向き合うのは経済的にいささかしんどい。
近くに取引先の男性の実家があるそうだが、彼曰く、金持ちでも何でもなく、たまたま家がそこに建つ普通の家庭とのこと。なるほど、目立つのは確かにふんだんに予算をかけた洒落た家屋だが、このエリアの少なくとも半分以上は一般的な住宅街のそれと変わらない。彼らが日常的に高級スーパーで買い物をしているわけもなかろう。
などと考えてしばらく生活をしていたら、見えてきたのは高級スーパーやデパートほど食品の見切りが早く、大胆なこと。
わたしが生まれる前の話だが、巨人に宮田征典というピッチャーがいて、先発完投が当たり前であった当時としては珍しい、今で言うクローザー専門で、彼がマウンドに上がる大よその時間を称して「八時半の男」と呼ばれていたそうだ。
我々夫婦もスーパーの店員から「午後七時の男」「午後七時の女」と呼ばれることになろうが、気にすることなくここでの暮らしを満喫していく。