アジアの屋台からロオジエまで
人生において、物怖じして足が踏み入れられないような場所は少ないにこしたことはない。
3兄弟の歳の離れた末っ子である僕の記憶の母は幼稚園の学芸会で仲間とジュリーのモノマネを演じて、真っ白なスーツで舞台からソフト帽を客席に投げているような(外ヅラは)派手なヒトであったが、僕が学生の頃、ポツリこぼしたのは、世の中お金を払えば解決できることがほとんどで、お前(僕)が生まれる頃には経済的に余裕ができていたから胸を張って生きられるようになっていた、という話だった。
経済環境が己の生きる世界に制約を与えてしまうことは間違いない。ただ、一方で自身の想像力が及ばないがゆえ足が踏み出せないような場所も多くはなかろうか。
食の話しで言うと、例えば資生堂のロオジエが日本の最高峰フレンチとする。店内にはメディアで見かけるような政治、経済、芸能等の世界の人が食事をしていることもある。彼らとは同じ金額を払っているとは思わないが、ワインにこだわり無く、大酒飲みでなければ予算感として2人で10万といったところだろう。家柄が問われる社交場や桁違いの金持ちがこしらえる突拍子もない空間には逆立ちしても入ることはできないが、その程度の金額で「最高級」の場を経験できる現実がある。そして「最高級」を自身に一度でも取り込んでおけば、これまで気後れを感じていた場所への出入りにも抵抗がなくなるのではないだろうか。
テイクアウトコーヒーや、コンビニで買うプチ贅沢、携帯ゲームの課金、収集が目的化した趣味等々を積み重ねて、5年、10年後の自分に何が残るのかを考えたら、そんな日々の出費を控えて、経験を買いたいと僕は思う。
東南アジアに長く住んだ。日本から来る旅行客のみならず、現地で暮らす駐在員でさえ、地元の一般人が通う店での食事を衛生面を理由に口をつけようとしなかった。
日本の厨房裏がどれほど「衛生的」なのか、或いは自身の肉体がどれだけ繊細なのか知る由もないが、そこの暮らしが分かる場所へと足を向けず、何を求め海を渡って来たのか、僕には不思議で仕方がなかった。
まず先入観をなくす、次にお金の使い方を工夫する。サラリーマンの分際だが、案外怖いもの知らずで僕は生きている。