日本の政治の中心地にあり、火災事故で33人の死者をだしたホテルニュージャパンの巨大な建物が、その後手つかずのまま10年以上放置されていたことは、街の発展に暗い影を落としていたのだと、時代に取り残されたような赤坂という街を歩くと感じざるを得ない。
旅行好きにも関わらず、僕が温泉街に惹かれないのは、どんなメジャーな場所であれ内包している退廃感ゆえである。人気のピークを目処に宿泊施設の数がマックスに達するという前提において、どんな場所であれ引き算の結果としての廃墟が街なかに残るのは不可避なのであるが、そこにどうしても癒やしを求めに訪ねた心が引きずられてしまう。
この5 年の間、都内はホテルの建設ラッシュだった。最近は落ち着いたものの、コロナ禍においても、廻りだした歯車を止められずに、客を迎えることのないホテルが次々に完成している。私の住む浅草から浅草橋にかけての江戸通り沿いは10軒に一つはホテルだと、冗談でなく言い切れるくらいの密度となっている。
その背景は、2020年に4000万、2030年には年間6000万人の外国人旅客の訪日を目標に掲げたビジット・ジャパン・キャンペーンにあるわけだが、2019年に達した3188万という数字を今後超えることは望めない。今のところは助成金をもらいながら、表面上血が通っているかのような体裁を保つが、呼吸器に空気が送られなくなった瞬間に鬼籍に入るホテルは莫大な数となる。
ホテルとしての使い途を失くした建物は大掛かりな改修、或いは建て直しのための費用をもカバー出来得る経済がそこにイコールで存在しない限り、それは街なかの墓石と化し、街の魅力を損ねてゆく。
赤坂に、温泉街に、ならないよう今からそんな逆境さえ活かし得るブランディングを検討しておいたほうが良いのかもしれない。