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親を泣かせた #3 ココロとコトバ

この記事で大切にしているのは、
○匿名性
○だれも傷つかないこと
○考えを押し付けないこと
○自分たちのなかにある『患者さん』や『患者さんを支える人』のイメージに囚われないこと

………

今回お話をしてくださったのは、鬱病と口腔ガンを同時期に経験された「わたし」さん。

当時、30歳を超えたばかりだった「わたし」の『ココロとコトバ』をご紹介します。


〜カンタンな記録〜

31〜32歳から、鬱病を患っていました。
そのため鬱病治療を受け続けていたところ、34〜35 歳で口腔ガンも発覚。

リンパ節転移があったため、まずは抗ガン剤治療を行いました。入院期間は約1週間、24時間管理体制の治療です。
退院して1ヶ月休息→再び入院の流れを、数回繰り返します。

抗ガン剤治療が終了後、手術【ガン摘出→リンパ切除→左腓骨を顎へ移植→右大胸筋を顎へ移植(顎の再建)】を経験。

上記で経験した手術後、改めて皮膚移植手術を受けました。(現在は、咀嚼能力障害で障害者手帳を持っています。)


Q.あなたが言われて救われた(嬉しかった)、または自分にかけてあげたい言葉はありますか? 

言った人
両親

実際に言われた言葉 
「特定のコトバではなく、日々の会話の積み重ね」

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エピソード

31〜32歳の頃、鬱病の診断を受けました。

当時すでに結婚をしていたのですが、妻と話し合ったのち、症状が治るまで一度紙面上の離婚をすることに。
わたしは治療に専念するため、実家へ帰省しました。

鬱病と向き合う日々でしたが、さらにガンまで発覚。

医者に目の前で「ガンです。」と言われ、かなりのショックを受けました。

告知前の検査を受けているとき、( やっぱり病気なんだろうな 。)と予想はしていたのですが、めんと向かってハッキリと言われたことで「死」を予想するんです。

ひとつ驚いたのは、告知を受けたことで鬱病が飛んだことです。
いわゆる、ショック療法みたいなものだったと思います。


【ガン=死】という認識は、体育大に通っていた経験からでした。

大学でガンについて学ぶ機会があったんです。
なので、何も学んでいない人より知識を持っていました。

そのため、あんなにも強く「死」を意識したんでしょうね。


ちなみにガン完治後、現在は同じ人(妻)と再婚して、ともに過ごしています。


どう思った?

あたりまえですが、両親はずいぶんと心配していました。

ガンと鬱病の併発ということで、コトバ選びは、かなりセンシティブに行ってくれていたように思います。

一つ一つの会話に「死」や、「わたしが病気である」ということを、連想させるワードを入れないようにしてくれていました。

将来もし生きていたなら。という仮定で未来の話をしていたので、かなり心配させてしまったはずです。


Q.あなたが言われて傷ついた、言われたらショックだったと思う言葉はありますか?


言った人
色んな人

実際に言われた言葉
「がんばれ」

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エピソード

鬱病の療養中や、ガン治療での入院中など、お見舞いに来てくれた人たちを含めた、様々な人が「がんばれ」と声をかけてきました。


どう思った?

病気になる・ならない以前に、そもそも『がんばれ』というコトバ自体が好きではなかったです。

『がんばれ』って応援しているようで、そのコトバを発した本人からしたら他人事ですよね。

実際、闘病している最中で言われたとき、イラッとしました。


この人は何に対して『がんばれ』と言ってるんだろう。

何を思って『がんばれ』と言うのだろう。

どのように『がんばれ』ばいいのだろう。


今まで自分の人生でしてきたこと、耐えてきたことすら適当に見られている。

そんな感情しか持てませんでした。


Q.あなたが言ってしまって後悔した言葉はありますか?


誰に対して言った
両親

どんな言葉を言ってしまった?
言ってしまったことではなく、親を泣かせてしまったことを後悔しています。

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エピソード

ガンの治療がはじまり、自宅にいたある日。

深夜たまたま、リビングを覗きました。

そのとき、隠れながら親が泣いている姿を見てしまいました。


どう思った?

「わたしにわからないように。」
と気を遣わせて、隠れたところで泣かせてしまった。


その姿を見たとき、『死ぬかもしれない』けど、後悔しないように『生きる』道を貫こう。

『自分の現状に抗おう。』とわたし自身に誓いました。

言ってしまって後悔したコトバはありませんが、親を泣かせてしまった事実は、わたしのなかで今でも耐えがたい出来事です



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