死ぬなんて言うな#1 ココロとコトバ
この記事で大切にしているのは、
○匿名性
○だれも傷つかないこと
○考えを押し付けないこと
○自分たちのなかにある『患者さん』や『患者さんを支える人』のイメージに囚われないこと
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今回お話をしてくださったのは、患者さんであるお母さんを支えた「わたし」さん。
当時、高校2年生だった「わたし」の『ココロとコトバ』をご紹介します。
Q.あなたが言われて救われた(嬉しかった)、または自分にかけてあげたい言葉はありますか?
言った人
祖母の姉
実際に言われた言葉
「あんたは強いね
よく頑張ってる
いつでも電話してきなさいね」
わたしの両親は、離婚しています。
兄と2人で母に引き取られましたが、わたしが高校2年生のとき、母は亡くなりました。
母が死んだ後の生活は、我慢と忍耐の連続。
人生で1番死にたかった時期です。
当時、17歳。
大学受験真っ盛り。
母がいなくなった後は、母方の祖母と兄の3人暮らしでした。
兄は大学生でしたが、母が亡くなった頃「学科が合わない」という理由で自主退学。
編入すると言いつつ、兄は勉強嫌い。
編入するための努力をしなかったんです。
かといって、仕事をするわけでもない。
毎日、自由に過ごしていました。
必死に勉強していた、わたしからすれば「敵」です。
口を聞かなくなり仲が悪かったです。
祖母は、わたしを家から学校まで車で送り迎えをしてくれていました。
以前は、母が運転席でハンドルを握っていましたが、もう母はいません。
祖母は、母の代わりでわたしたちの面倒をみてくれました。
とてもありがたかったです。
でも、自分の言うことを聞かなければ機嫌が悪くなり、怒り出す部分もあったんです。
かわいいばあちゃんではなく、干渉的で厄介なばあちゃん。
毎日、毎日、機嫌を取り、怒らせないように生活をしなければ、高校へ通えません。
兄はそんな祖母に反抗し、祖母は兄の愚痴をわたしに向けて、言い放ちます。
わたしが自室で勉強をしていても、部屋までやって来て、こちらの事情はお構いなしに発散するんです。
まだ17歳です。自分のことだけを考えて生活したかった。
兄と祖母の板挟みがとても辛かった。
今までは、母がしてくれていた役割です。
でも、母は死にました。
17歳。未成年。学生。
経済力もない。何もできない。
なんでわたしだけが苦しまないといけないの?
逃げたい。逃げられない。
限界だ。死んでしまおうか、、、。
ここまで追い詰められていたとき、このコトバをかけてもらいました。
「あんたは強いね。よく頑張ってる。
いつでも電話してきなさいね」
とてもシンプルで、誰でも言えるコトバです。
でも、わたしにとって「誰がこのコトバをかけてくれたか」が重要でした。
人生で、1番辛いとき頼りたくなるのは、それまでの人生に、誠実に関わってくれていた人。
そして、信頼を築けている人。
祖母の姉のコトバには、たしかな重みがありました。
もし、うわべで共感だけすればいいと思ってる人に、同じことを言われたら、絶対に腹が立ったはずです。
どうでもいい人ではなく、大切な人が言ったコトバだからこそ、嬉しかった。
祖母の姉は、これから先もわたしのことを見ていて、支えてくれる。
絶対的な信頼を感じると同時に、コトバがココロに響きました。
話せる人がいる、理解してくれる人がいるという心強さは、当時のわたしにとって、かけがえのないものでした。
Q.あなたが言われて傷ついた、
言われたらショックだったと思う言葉はありますか?
言った人
母
実際に言われた言葉
「お母さんが死んだらどおするの?
自分のことは自分でできるようになりなさい」
詳しい日付などは覚えていませんが、夕飯作りを手伝われているときでした。
死ぬなんて言うな。
死ぬかもしれない。それがたとえ事実だとしても、口にしてほしくなかったです。
お母さんが「死ぬかもしれない」と言ってしまえば、わたしはそれ以上、何も言えなくなる。
病人の言う「死ぬかもしれない」という言葉には、本当に「死ぬかもしれない可能性」があるんです。
健常者は、もう何も言えなくなります。
だからそのコトバが大嫌いだった。
Q.あなたが、支えていた人(お母さん)に言ってしまって後悔した言葉はありますか?
お母さんに、どんな言葉を言ってしまった?
「なに。あっちいって。」
母の病気が発覚したあと、とにかく知識を得たかった。
希望を見出したくて、図書館でたくさん本を借りました。
借りた本は、自分の部屋に隠すように置いてましたね。
そんなとき、急に母が、わたしの部屋にやって来たんです。
「何してるの?」と言いながら、部屋のソファに腰かけます。
自分がそのとき、何をしていたかは覚えていません。
ただ、異常に恥ずかしくて、大量の本を隠したことだけは鮮明に覚えています。
そのとき、わたしの心情は病弱な雰囲気に苛まれていました。
弱気な母にイライラしていたんです。
加えて、わたしは強がりで、病気のことを本人に直接聞けませんでした。
でも、今思えば、2人で向き合って話せる大切な時間。
「あっちいって。」なんて言わずに話し合えばよかった。
願いが叶うなら、あの時間が訪れて欲しいと何度も思います。
「何してるの?」と母が私の部屋に来ることは、普段、一度もありません。
母は何か、抱えた思いを話したかったと思うんです。
わたしと向き合いたくて、部屋に来てくれた。
それを考えると、後悔しかありません。
………
今回お話してくださった「わたし」さんは、「わたし」の経験を知ってもらうことで、読者の方々の人生を豊かにしていただきたい。
また、この記事を読むことで、人との関係性やコトバのもつ影響力を考えなおすきっかけになれば。という考えをお持ちでした。
通常は匿名性ですが、ご本人さまの希望により「わたし」さんこと、「iさん」のnoteをご紹介させていただきます。
今回の「わたし」さんを救ってくれた芸術も紹介してます。
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