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家族の支えがある患者さんは強い#23 ココロとコトバ

大切にするのは、
○匿名性
○だれも傷つかないこと
○考えを押し付けないこと
○自分たちのなかにある、『患者さん』や『患者さんを支える人』のイメージに囚われないこと

……………

今回お話をしてくださったのは、悪性リンパ腫のお母さまを支えた「わたし」さん。

当時、30代半ばだった「わたし」の『ココロとコトバ』をご紹介します。


〜カンタンな紹介〜

母が60代半ばのとき、悪性リンパ腫の告知を受けました。当時わたしは、30代半ばです。

受けた告知は「末期がん」

治療は抗がん剤の数種類投薬からはじまりました。体力低下のため一旦投薬を中止して、栄養補給のみに切り替えます。

最終的に放射線治療を実施して、なんと、がんが小さくなり、無事に退院することができました


Q.あなたが言われて救われた(嬉しかった)、または自分にかけてあげたい言葉はありますか?


誰が言った?
担当医師

実際の言葉
「家族の支えがある患者さんは強い。僕は家族力を信じている」

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エピソード


母は、「末期の悪性リンパ腫」と告知を受けていました。


治療を続けましたが、効果を期待していた抗がん剤がチカラを発揮してくれません。

余命は「2週間あるかどうか」の時期です。



この先の治療をどうするか
そもそも、治療に母の体が耐えられるのか


考えるべきこと、くだすべき判断のひとつひとつに、耐え難い重みを感じます。


その頃はほぼ毎日、数時間、母の元に通い、つき添い続けていました。


そのとき担当の先生から、
「これだけ親身に思う家族がいるなら、家族力を信じても良いと思う」というニュアンスで声かけをしてもらいました。


どう思った?


ただただ、うれしかったです。


当時、母の意識は朦朧もうろうとしていて、もう諦めるしかない、と頭の隅では理解してたんです。


それでも感情的な部分では、なぜか「治る」と信じていました。

なので、先生の言葉はとても力になりました。



Q.あなたが言われて傷ついた、
言われたらショックだったと思う言葉はありますか?(その1)

誰が言った?
友人

実際の言葉
「絶対治るよ」

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エピソード


母の元へお見舞いに来てくれたとき、声をかけられました。


どう思った?


友人は、母やわたしを傷つけたいなんて考えていません。

好意からのコトバをかけてくれている。
わかってはいるのですが・・・



「お医者様でもないのに断言するのはやめて」と、言ってしまいたくなりました。



治るかどうかを断言されると、患者や患者の家族は予想以上に傷つくもの。


とはいえ、わたしも、母が病気になる経験をしなければ、無自覚のうちに似たようなこと言ってしまったのかもしれません。



Q.あなたが言われて傷ついた、
言われたらショックだったと思う言葉はありますか?(その2)

誰が言った?
友人

実際の言葉
「ほら、私が言った通りに治ったでしょ」

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エピソード


母が無事に退院をしたあと、このコトバをかけられました。


※ちなみに、先ほどお話しした「傷ついたコトバ(その1)」で登場した友人と同一人物です。


どう思った?


母は「末期がん」の診断を受けました。

しかも余命は2週間あるかないか。そのレベルまで悪化していたんです。

だから、死別を受け入れなければならないかもしれないという、最悪の事態も頭をよぎっていました。


だから、まさか元気に退院できるとは!
本当にうれしくてたまりません。


友人から、「ほら治ったでしょ」と得意げに言われたときは、母の回復力を信じてくれていたんだなと感謝の気持ちが生まれました。


でもその後、当時を振り返るたび、繰り返し同じ話をされます。「ほら、私が言った通りに治ったでしょ」ってセリフも込みで。


このコトバを聞くたび、うーん・・・、なんで言えばいいんでしょうか。


うまく言えないんですけど、友人が預言者で、言った通りになるのが当たり前だと言われているような気がしてきて・・・。


ものすごく感覚的な話になってしまうんですが、いい気持ちは湧かないんですよね。


あまりその言葉を聞きたくないな、と思っちゃいます。



Q.あなたが言ってしまって後悔した言葉はありますか?


誰に言った?
闘病中の母

実際の言葉
「もっと食べなきゃ」

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エピソード


病気に打ち勝つためにおこなわれる治療ですが、その道のりは非常に過酷なものです。

副作用などで、体力はどんどん削られ、見ているこちらまでつらい日々が続きます。


母は、どんどん食が細くなっていきました。

どうか、元気になってほしい。病気になって勝つためには栄養が必要。


だからこそ、「食べれば元気になるから」伝えてしまいました。


母のことを励ましたくてしょうがなかったんです。


どう思った?


食べられない母自身が一番つらいはずです。

それなのに、なんてデリカシーのないコトバをかけてしまったのだろう、と後悔しました。


母は頑張って、食べ物を口に入れ続けた。


でも、最終的には、吐いてしまっていたんです。



母の苦しみに気づけず、食べ物をお見舞いとして持って行っていたことも、後々、反省しました。


もし今、当時に戻れるなら、願うのは母の健やかな日々です。

「少しでも落ち着いた気持ちで過ごしてくれたら、食べなくても、会話しなくてもいい。」
「本人の過ごしたいように過ごしてもらうのが最善」

そう考えるようになりました。



……

今回のわたしさんは、お母様の闘病を支える時期、ご自身の「心を支えてくれた芸術」についてもお話ししてくださいました。
ぜひご覧ください。


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