バレエ小説「パトロンヌ」(54)
およそ無関心だったバチルドの生涯に、ミチルがこれだけ引き付けられたということは、裏を返せばジゼルとアルブレヒトに求心力がなかった現れとも言える。二幕、アルブレヒトと白いジゼルのグラン・パ・ド・ドゥが繰り広げられても、劇場の弛緩は続いた。二幕冒頭、墓場を訪れたアルブレヒトの周りをジゼルの魂がさまよう。その気配を察したアルブレヒトが、深く幸せを噛み締める場面。二幕終盤、朝日が差してジゼルが昇天し、アルブレヒトが失ったものの大きさに改めて気付く場面。いずれも静寂の中で繰り広げられる、最高にせつなく、最高にドラマチックな場面のはずなのに、客席のあちこちから聞こえてくる咳ばらい。あるいは膝から物が滑り落ちる音。観客は皆「客席」という現実から抜けきれず、「舞台」の上の物語に没入することはなかった。
その微妙な劇場の空気を、甲斐が感じ取らないわけがない。見せ場のピルエットは場の雰囲気を盛り返そうと躍起になって、いつもなら余裕を持って美しく回るところを、体幹がぶれて粗さが目立った。いつもより回転は速く、いつもより回転数も多い。だがそれは「アルブレヒト」の激情の証というよりは観客へのサービスなのだ。アルブレヒトの向こうに「寺田甲斐」というダンサーが透けて見える。劇場を後にするミチルの胸には、「甲斐らしくない」という印象だけが残っていた。
舞台は一期一会。映像作品とは異なり、1回1回変化する。生身の人間が舞台の上で人の人生を生きるのだ。台本があるとはいえ、生身の人間がキャッチボールをするのだから、日ごとに異なるものになるのは当然だ。ミチルは同じバレエKの1回のツアーの中で初めて複数の舞台を観劇し、そのことを深く悟った。今回は急なキャスト変更だったとはいえ、この前、甲斐とDDで観た舞台に比べ、ここまで全体の印象が変わるとは思ってもいなかった。パートナーシップというのは大切だ。ミチルは甲斐にとって、DDという存在がいかに大きいかを改めて感じていた。(つづく)