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バレエ小説「パトロンヌ」(17)

 最後の演目は『眠れる森の美女」だ。プログラムには誰が出るとも書いていなかったが、白銀のコスチュームを身にまとったオーロラ姫と王子デジレが、何組も現れて1つの曲を踊った。どうやらすべての出演者がもう一度踊るらしい。リカは最後まで残ってよかったと胸をなでおろしたが、甲斐はなかなか出てこない。デジレのソロを踊ったのは、あの「バヤデルカ」に出てきた少年だった。

(甲斐はトリってことね。コーダで高速ピルエットを見せてほしい!)

 ところが、コーダ(終曲)にはすべてのオーロラ、すべてのデジレが出てきて、全員でくるくると回って終わってしまう。甲斐のデジレ姿は、そこにない。前のめりになっていたリカは、大きく息を吐いてシートの背もたれに体を預けた。舞台では、何組ものオーロラ・デジレペアが次々と中央であいさつをしては、かたや左に、こなた右にと別れて並んでいく。

 次の瞬間、まるで白銀の波間に朝日が昇るように、ぽっかり空いた中央に、真っ赤な衣装に身を包んだ男女がさっそうと現れた。「パキータ」の衣裳のまま、甲斐と美智子が登場したのだ。リカの心臓は一気に緊張し、そして胸を突き破るほどの振動を始めた。

(甲斐……)

 美智子をエスコートする甲斐は、周りにいるどのデジレより気品にあふれている。会場は割れんばかりの拍手と歓声に沸き返っているが、晴れやかな素振りをストレートに見せないところには、風格さえ感じられた。たくさんのファンがステージ近くまで駆け寄り、花束を投げ入れていった。そのいくつかは、オーケストラボックスを越えて甲斐の足元へと届いたが、彼はそれを受け取ると、傍らの共演者たちにどんどん渡してしまう。

 その様子を眺めながら、リカは甲斐を初めて見た日を思い出していた。花に埋まったロイヤル・オペラ・ハウスのステージを。

(あの時も、甲斐は一つだけ手に取ると、おずおずと下がってしまったっけ)(つづく)



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