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バレエ小説「パトロンヌ」(40)

甲斐とDDがプティの「カルメン」をやる、と聞いたとき、ミチルには一抹の不安が沸いた。
ローラン・プティは多くの傑作を生み出しているが、それらすべてに通底することの1つが、絶対的な「ミューズ」の存在である。どの作品にあっても鍵となる女性は主人公の男性にとって魅惑的であるとともに、必ず「残酷」な面を併せ持つ。それが意図的であれ無垢無意識であれ、男を見下し、翻弄し、あざけり、君臨した。「ファム・ファタル(運命の女)」という言葉があるが、プティのそれは人間であることを越え、運命が女性の形をして現れる、いわば象徴としての女性像なのである。

対してロイヤルバレエで長く振付をしてきたケネス・マクミランは、リアルな感情を持った生身の女性の心理を重視する。ミチルがロイヤルのバレエを愛するのは、その「リアルな情感」の存在が大きい。古典的なクラシックバレエを「様式美」だけで語る人も多いけれど、その「様式」という箱の中に、現代人と共通する人間の感情がうごめいていることをおしえてくれたのがロイヤルのバレエだった。
中でもマクミランの振り付けは、群を抜いてストーリー性が高く、「ロミオとジュリエット」にしても「うたかたの恋」にしても、出てくる女性の心理が手に取るようにわかる。そのマクミランの下で多くの役をこなし、いわば彼の申し子のようなDDが、プティの求めるミューズにぴったりとはまるのか。揺れる恋心を繊細に踊り分けるDD、たおやかな指先、足先、そして背中やうなじまでが、喜びも悲しみも切なさも表出させていくDDの、人間としての女性らしさが殺されはしまいか? 
もちろん、DDは一流のバレエダンサーだ。誰と組んでも結果は残すはず。プティとは仕事経験もある。一ファンがやきもきすることではないかもしれない。でも、せっかくの甲斐とDDの共演は、200%成功してほしい。期待は大きく、しかし自分ができることは何もなく、ミチルはまるで受験生の母のごとく、そわそわしながら公演を迎えた。(つづく)


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仲野マリ
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