バレエ小説「パトロンヌ」(69)
キホーテ翁はバジルとキトリの住む町にやってくる。そして、キトリを麗しの君ドルシネアと勘違いし、おきゃんな娘相手に最上級の礼を尽くし、彼女の幸せを最大限に考え行動する。キホーテ翁の乱入で、町が大騒ぎになっている間に、バジルとキトリは駆け落ちし、町を出る。ここまでが、第一幕のあらすじだ。
第二幕は、ジプシーの野営地に勝手に入り込んで夜を過ごす2人を彼らに見とがめられ、身ぐるみはがれそうになるところをドン・キホーテとサンチョ・パンサ、そしてキトリを狙うバカ殿的お大尽の闖入に救われる、という運びになる。だから、当然最初から、コミカルかつ乱痴気騒ぎだ……と思いきや、違った。
幕が開くと、誰もいない。夜のしじま。音楽も、一切ない。星がまたたき、虫の声だけが聞こえる。
山道をたどってバジルがゆっくりと登場。後からやってくるキトリの足元を気遣って、手をさしのべる。逃げてきた二人はようやく一息ついて、今夜はここで休もう、と決めたのか、誰もいない野営地の側に腰を落ち着ける。キトリを座らせて、まずバジルが踊る。
「覚えているかい?初めて会った時のこと。初めてケンカした時のこと。初めて…キスした時のこと…。僕はね、君のことが本当に好きなんだよ」
吸い寄せられるようにキトリが立ち上がる。
「私も! あの時、私もあなたから目が離せなかった。あなたといると、すべてがバラ色に輝く。幸せで胸が高鳴る。あなたといれば!」
バレエだから、当然セリフはない。あるのは音楽の掛け合いだ。でも、そんなやりとりが感じられる。バジルのパートは少し低く包み込むように、キトリのパートは高くやさしく。すべてが音で表される。ダンスの方は、バレエというよりマイムに近いかもしれない。もちろん、テクニックを駆使した動きであることは間違いないが、それを感じさせない自然さだ。感情が、指先から、爪先から、背中からほとばしる。月の光の下で、二人は優しく抱き合う……。
そこへジプシーがやってきて、件の「身ぐるみ剥いで…」のシーンとなるのだが、この恋人たちの静かなパ・ド・ドゥを、一体誰が想像しただろうか? 続くジプシーたちとバジルが一緒に踊る男たちの群舞は、圧巻の切れ味とスピードで大喝采となるが、それもこの秘密めいていながら初々しいパ・ド・ドゥ、初めて夜に2人きりになる若い男女の、おずおずとしたときめきが伝わってくるような名場面があってこそ、コントラストが効いた、歓喜の炸裂となるのだ。
バジルはただの文無しヤンキーじゃない。キトリはただのわがまま娘じゃない。心から愛せる人を見つけた若い2人の純愛を、観客はもう、応援しないではいられなくなる。(つづく)