バレエ小説「パトロンヌ」(22)
KAI暦3年
年が明けて数ヶ月。マイケルは本当にリカをバレエに誘った。
「日本人が出るっていうから、リカに見せたくて」
「イギリスのバレエ団に、日本人がいるの?」
「いるわよ、カイ・テラダ」
リカの疑問に答えたのは、マイケルの恋人のアデルだ。係員に渡されたキャスティング表を片手に説明を続ける。
「アジア人で初めて入ったらしいわ。今日はブロンズ・アイドルを踊るの」
「ブロンズ・アイドル?」
「なんかね、金粉を全身に塗りたくって踊るらしいよ。すごく評判がいいのよ」
「へえ。仏像の役か。日本人だから?」
リカの言葉に、アデルは笑う。
「顔つきで選んだわけじゃないでしょ。現にイギリス人のソリストとダブルキャストだし。それにインドの話みたい」
「どんな話?」
「ごめん、私も『バヤデルカ』は初めてなの。最近バレエにハマったばっかりだから、まだまだ知らない演目が多くて。でもバレエって、物語とかあんまり関係ないんじゃない? 美しいものを見てゴージャス、超絶技巧を見てファンタスティック、それだけでパラダイスだと私は思ってる。リカも、初めてのバレエを全身に浴びて楽しんで!」
序曲は、どこか不穏な空気を漂わせる短調のメロディで始まった。幕が開くと、そこには荘厳な寺院。丸坊主のバラモン。裸同然でザンバラ髪を振り乱し、地面を這いずり回る修道僧……。リカが目にした光景は、彼女が思い描いていた「バレエ」とは少し勝手が違う世界に思われた。
(さっきブロンズ・アイドルが出ると言ってたけど、バラモンって仏教じゃなくてヒンズー教の僧侶だよね。じゃ、ブロンズ・アイドルはただの銅像? アデルやマイケルに、そういう区別ってできているのかしら?)
西洋人が「エキゾチック」と評してありがたがる東洋の神秘崇拝。と同時に、アジアを未開の地とみなす眼。「アジア人」のリカには複雑な思いが脳裏を交錯する。リカにとってこの幕開きは、決して居心地の良いものではなかった。
が、ほの暗いステージに純白の衣裳をまとった男女が浮かび上がり、官能的なダンスを始めると、舞台に吸い込まれていったのである。(つづく)