バレエ小説「パトロンヌ」(57)
リカは2階の左ウィング前方にいた。舞台の下手は少々見切れるが、この演目でとびきり困ることはない。何より、このあたりはヨーロッパの劇場において、多くの場合ロイヤルボックスとなる位置だ。少し上からの視線でそこからのぞくと、舞台は手に取るように間近に見える。好みの席だった。
もちろん1階の前方も悪くない。甲斐の人並外れたジャンプの高さや滞空時間は、上からではなく下から仰ぎ見る方がリアルに体感できる。高速ピルエットに巻き込まれるような錯覚も、間近であればあるほど楽しめる。
ただ、劇場によっては足元が見えにくい。自在に屈伸を続ける一流のバレエダンサーの足先が見えなかったら、良席とは言えないではないか。また、コール・ド・バレエの面々が次々と作り出す幾何学的な模様は、上からでしか楽しめない。シンクロナイズドスイミングと同じである。
とはいえ、リカが今日、一番観たかったのは最後のグラン・パ・ド・ドゥだった。実際、「眠りの森の美女」でオーロラ姫と王子デジレは最後の最後に出会うまで、ほとんど一緒にいないのだ。狩りの途中で独りになった王子の前にリラの精が現れ、オーロラの幻を見せる。一目で魅せられた王子がオーロラに寄ろうとすると、リラの精はすっと割って入り、なかなか近づけさせない。
リカはいつも、この場面で白けてしまう。狩をしていた王子が、なぜオーロラにあそこまで執心するのか、説得力のない舞台が多すぎるのだ。王子とリラの精ばかりが絡んで踊っていると、王子が惹かれているのはオーロラではなく、リラの精のように思えてくる。さもなくば、王子をじらしにじらすリラの精と、彼女の後ろに見え隠れしながら「おいで、おいで」をするオーロラが、すれた女衒と品の悪い娼婦に見えることさえあった。
ところが、今日の舞台はどうだ? オーロラの幻は、せつなくもだえ、助けを求めている。「おいで、おいで」ではなく消え入るような「誰か助けてください」。一方のリラの精も、興味本位で姫を追おうとする王子を、凛として制止するのだった。
(あなたは本当に彼女についていってもいいのですか?)
(どんなことがあっても、彼女を救い出す覚悟はありますか?)
(生半可な気持ちでは行ってはいけません)
そのたびに、王子は姫の幻を見やり、自分の胸に手を当てて考える。さざ波のような音楽も、そのたびに少しずつ、クレッシェンドしていく。
(はい、大丈夫です。)
(はい、絶対に彼女を守ります。)
(はい、決めました。そうです、彼女を愛しているのです!)
そこで音楽は最高潮に達し、王子は手を高く上げて天に愛を誓う。
リラの精は満足そうに笑みを浮かべ、姫の幻は至福に身をゆだねながら消えていくのだった。
考えてみれば、とてつもない決断だ。
幻に恋をして100年前に眠った姫を追っていく、時空を超えた恋。オーロラ姫だけを求め、王子は自分の身分も地位も生活も、すべてを捨てて茨の中の古城へと飛び込んでいく。
王子がやってくる前に、いったい何人の青年がこの森で迷い込んだのだろう。リラの精はそのたびにオーロラの幻を見せ、生半可な行動を制し、男たちの覚悟を試し、そのたびに落胆した。「デジレ」(待ち望まれし者)と名づけられた王子が決断し、リラの精が役目を果たすまでに100年かかった、ともいえる。
リカは初めて、この場面の意味と、リラの精の誠実を知った。(つづく)