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バレエ小説「パトロンヌ」(27)

 新宿にある多目的ホールで、「オールスター・バレエ・ガラ」は開幕した。最初のバレエ体験が本場ヨーロッパのオペラハウスであったリカにとって、オーケストラボックスがなく音楽テープ使用で行われるガラ公演など、全く食指が動かない。けれど寺田甲斐が出るとなれば話は別だ。甲斐の出演を知ってから公演日まで日が迫っていたが、リカはこの前のようにスタンド花を注文した。
 ロビーに入ると、自分の花台はすぐにそれとわかった。他のスタンド花がバラをふんだんに使ったものであるのに対し、ピンクのシンビジウムが純白の蘭に包まれて、こぼれ落ちるほどたわわに身を寄せ合っている。

「すごいな、この花。蘭とシンビジウム。高いだろうなー」

 肩越しに聞こえた男性の声に、リカはうつむいて微笑んだ。値段ではない。でも、素敵でしょ? 私の気持ちが……

「値段じゃないのよ。こういうのはね、気持ちなの」

 振り返ると、ショートヘアの女性が、声の主らしき男性をたしなめていた。
「私だって、お金があればこういうの贈りたいわ。素敵よねー。テキトーに見繕って、っていうおざなりさがなくて」

(わかってくれる人っているんだな……)
 リカは2人のやりとりを耳にしつつ、ロビーを離れ客席へと向かった。

  リカの贈った花に感嘆の声を上げたのは、タカシだ。「お金があれば私だって」と言ったショートヘアの女性は、ミチル。夫婦にとって、二人連れ立って見る初めてのバレエである。

 タカシは内心戸惑っていた。自分がプレゼントしたチケットがきっかけとはいえ、ミチルは思った以上にバレエにのめり込んでいく。居間の本棚にはどんどんバレエ関係のものが足されていき、娘のマユにもバレエを習わせると言って教室の見学を繰り返すのを見ていると、タカシはどこか蚊帳の外に置かれているようで、面白くなかった。
「あの時俺が一枚しか買わなかったのは、単にカネがなかったからで、バレエを見たくなかったわけじゃないんだぜ」
 その一言を聞いて、ミチルは「じゃあ、今度は一緒に行こうよ!」とタカシをバレエを誘った。自分が素晴らしいと思うものを、夫のタカシにもわかってほしかったのだ。
 そのためには、バレエならなんでもいいというわけにはいかない。まずは一流のものを見てもらおう。一流の芸術は単なる好きや嫌いを超えて、崇高な感動を呼ぶと確信していたからである。今日の「オールスター・バレエ・ガラ」を夫のファースト・バレエに選んだのは、寺田甲斐が出るからだけではなく、デレヴィヤンコというダンサーが出演するのも理由の一つだ。彼のバレエを一度見ていたということもあるが、つい最近読んだ彼のインタビュー記事の中の「バレエ職人ではなく、芸術家でありたい」というくだりが心に響いていた。甲斐は後半に「海賊」を踊るが、ミチルにとって、前半にデレヴィヤンコが踊る「火の鳥」がどんなものなのか、そこにも大きな期待をかけていた。(つづく)


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仲野マリ
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