バレエ小説「パトロンヌ」(39)
KAI暦12年
設立から1年が経った3度目のツアーで、バレエKは4作品のうちの1作品に「カルメン」を入れる。天才振付家ローラン・プティの作品だ。初演は1949年。当時としては、19世紀的な「クラシックバレエ」とは一線を画した現代的なものだった、とプティ自身が振り返る革新的な振付である。ジジ・ジャンメールのカルメンを相手にプティ自らホセを踊り、2000回以上のステージを重ねたという。甲斐は上演権を持つプティを訪ねてジュネーブに単身乗り込み、直談判した。カルメン役にはD D。プティは振付家として彼女と「コッペリア」で一緒に仕事をしたことがあり、甲斐とも「ボレロ」でタッグを組んだ経験から2人を高く評価していた。そして設立間もない極東のバレエ団に、上演を許可したのだ。「ただし衣裳や舞台美術の使用権が取れるなら」。その条件に対し、甲斐は「衣裳はフランスで、セットはイタリアで、最高の物を新たに作ろう」と提案する。いずれも新しもの好きなバレエの天才2人。およそ60歳も歳が離れているにもかかわらず、すぐさま意気投合。あたかも冒険好きな少年たちが大きな森に出かけるようなワクワク感で、プロダクションは始まった。
ところがこの「カルメン」をレパートリーに加えることについて、バレエKのメンバーたちは難色を示す。理由は「主役のカルメンは女じゃないか!」それは、「メールダンス」を主軸とするバレエKの出し物として、ふさわしいのか?
もしこのバレエ集団の名前が最初の計画通り「バレエIndepen DANCE」であったなら、「カルメン」の上演は却下されていたかもしれない。グループの方向は、メンバー全員で決める。一人一人が独立した、まさにインデイペンデントかつ対等な関係であったなら、甲斐が「やりたい」だけでは話はまとまらなかったはずだ。だが「バレエK」の「K」はKAIの「K」。甲斐の企画・構成・演出で、甲斐の故郷日本を本拠地に、創立1年で2回のツアーを成功させたバレエKは、その名の示す通り、すでに「甲斐のバレエ団」へと変容をし始めていた。(つづく)
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