バレエ小説「パトロンヌ」(59)

三大バレエといえば、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」といわれる。すべてチャイコフスキーの音楽による作品だ。他にバレエの名作として「ジゼル」や「ドン・キホーテ」などもあるけれど、これらの音楽は「踊りやすさ」に特化しているとされる。チャイコフスキーの音楽がバレエなしのオーケストラ音楽として上演される一方で、演奏だけの「ジゼル」や「ドン・キホーテ」コンサートというのはあまり聞かないことは象徴的だろう。とはいえ、自分ではバレエを踊らないリカには、両者にどれほどの違いがあるのかわからない。ただ、「眠れる森の美女」の最後のグラン・パ・ド・ドゥの難しさは、最近になってようやくわかるようになった。

バレエを観始めた頃は、高く跳ぶ、速く回るなどといった超絶技巧に目が行ったが、最近は「立ち姿」の方によりダンサーの底力を感じるようになったのである。「立っているだけでプリマ」とはよく言ったもので、一流のダンサーは、跳んだりはねたりしなくても、そこにいるだけで場の雰囲気を支配し、人を幸せにする力をもっている。「眠り」の最後のグラン・パ・ド・ドゥは、その最たるものではないかとリカは思うのだ。王子と王女の結婚式、それだけの場面である。2人手をとり、胸を張ってまっすぐにこちらを向いている、それだけで、ひれ伏したくなるようなオーラがなくてはならない。
跳ぶにしても足を上げるにしても、そこに品格が必要になってくる。
とはいえ、お人形のように無表情では全く面白くないのだ。結婚の披露宴で踊る若い2人。それぞれの苦難を乗り越え、巡り合った2人の幸せが見えなければ。品格を保ちつつも、胸に秘めた熱い思いが伝わってこなければ。

DDのすぐ後ろに立ち、背後から彼女の手を取って立つ甲斐。その甲斐がDDと目を合わせた瞬間、2人の間に柔らかな空気が芽生えた。ハサミの蝶番のように、2人の身体は腰のところがくっついたまま、甲斐の左手はたおやかに左、DDの右手は右に。まるで2人の腕が、ハートの形を作り出すようだ。DDをのぞく甲斐のやさしいまなざし。その視線を受け止めてDDの口元から微笑みがほころぶ。

膝を折って座るオーロラ姫に王子が手を差し伸べ、オーロラがゆっくりと片足を伸ばしつつ起き上がるシーン。何度も観てきたはずなのに、今日は胸がしめつけられる。違う。いつもと違う。甲斐とDDはものすごく離れていて、甲斐は体をぐっと前に伸ばすようにして、必死でオーロラの手をつかもうとしている。時間も空間も離れ離れになっていた2人の運命を、情熱がかけはしになって乗り越えるかのように……。

そしてフィッシュ・ダイヴ! 甲斐は左手1本でDDをくるくるっと回すや、そのまま片手でDDのウエストを抱え、腰を引いて後ろの膝を深く曲げる。DDの頭と右手は、甲斐の右手とともに、その膝の延長戦に長く伸び、床につかんばかり。前に伸ばした甲斐の右足とDDの右手がぴったりと重なり、その延長線上にDDの左足が、天に向かい、まるで一人のダンサーの両脚の、スプリットのように180度にまっすく伸びて見えるのだ! 何と美しいフィッシュ・ダイヴ! 音楽に乗って完璧に3度繰り返すとと、甲斐はDDの右手と平行の下方に向けていた右手をすっと高くあげて、顔を客席の方に向けるのだった。

拍手。

大技をこなしながらも、品格を保ち続ける。そして抱えたDDを下す時に見せる甲斐の表情! 恋する2人が「結婚式」という幸せの絶頂にいることが、みつめあう2人の瞳と、こぼれ出る微笑みからわかる。何という空間。何という、輝き!

(これこそ、甲斐が待ち望んだもの……)

リカの胸に、こみあげるものがあった。(つづく)




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仲野マリ
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