「アサクリは元々フィクションやろw」という擁護意見に対する反論 とその他



始めに:これまでのアサクリのゲーム開始前の"免責事項"はどうだったか。他このゲームのプレスリリース情報やインタビューの発言など

本題に入るまでにこれまでのアサクリの免責事項について共有をば。

大抵のゲームにもついていると思いますが、「この物語はフィクションです。実在の人物、団体には一切関係ありません」というような前置きがありますよね。今回は発売するにしてもぜひこれだけは入れてもらいたいものですが…

「いやいや、アサクリだってそれあっただろ」

と思うかもしれませんがちょっとアサクリは文言が違うんですよね。見てみましょう。↓

「このゲームのストーリーは歴史上の出来事をテーマとしたフィクションです。また、この作品は異なる人種、宗教、信条を持った人々からなるチームにより製作されました。」

…これはどうでしょうかね。確かにフィクションといっていますが、「このゲームのストーリーは歴史上の出来事をテーマとしたフィクションです」なので、「ゲームのストーリー」についてはフィクションですがそれ以外のもの、例えば「歴史上の出来事、すなわち史実に基づいた各設定、時代背景、宗教、事件などについてはフィクションではない」という事になる気がします。実在の人物についての言及はないので、それについてもフィクション扱いはしていないと読めます。後述しているディスカリーモードにおける歴史公証に耐えるほどのクオリティの機能があったことからも該当するんではないかと思います。

まぁそりゃ、歴史上の出来事までフィクションだったら架空の話をベースにして作ったことになって歴史考証もクソもなくなるんで、そりゃ当然ですね。戦国無双や仁王みたいに、あくまでモチーフとしてのみ使い、完全フィクションとするなら別ですけどね。

追記:プレスリリース、メディアインタビューなど

インタビューでもアサクリシリーズが歴史やその世界をを正確に描いてきたゲームとして知られ、それをプレイヤーが期待していることを自覚していること、織田信長などの歴史上の人物や出来事をゲームを通じて遊ぶだけでなく学ぶこともできる、といっている。
日本語のプレスリリースが掲載されているサイトでははっきりと史実に語りづがれていると記載されている


英語版もばっちりa real-life historical samurai, Yasukeと書いてある
ファミ通の開発者インタビュー。「歴史に基づいた」、「16世紀の日本を忠実に再現」、「中世日本を再現するために必要なすべての情報を持っているかどうかを確認できたことは幸運」「歴史的忠実性を保った」、などかなり歴史的な正確性をプッシュしている内容のようです。
しかし同時に「ファンタジーに入り込む体験もありますが」「本物らしくすること」ともあり、フィクションと史実要素が混ざった内容である、とも取れますね。とくに「ファンタジーが入り込む体験」の部分に関しては私のこの記事で言いたいこととしても重要な部分なので覚えておいていただけると幸いかと。
ところでこのSTÉPHANIE-ANNE氏という方は、歴史監修担当の方のようです。日本人じゃないのか。歴史監修の方がここまで言っているという事は、相当正確に作っているという風にも感じますがどうなんでしょうね


ーーーーーー
史実の人物弥助を侍であるとしかつ主人公にしてしまい、さらに伝説の侍やらと誇張して宣伝したりするんでやっぱりこの内容だと誤解を招きそうなきがするのですが…

免責事項の話に戻りまして、かりにこの免責事項の内容を、

「このゲームは全てフィクションです。実在の人物、実在した人物、出来事、事件、および団体とは一切関係ありません。また、この作品は異なる人種、宗教、信条を持った人々からなるチームにより製作されました。」

に変えて史実云々の発言や各説明をグローバルに撤回、削除すればギリギリOKな気がします。これなら表現の自由の範囲内ですし、弥助は侍だろ、歴史考証に正確なアサクリでもそうかいてただろ!と言いがかりをつけられても、「"このゲームは全てフィクションです"ってちゃんと書いてあるよね?」で終わる話にできます。

今の内容だと、このように抵抗しづらいと思うんですよね。UBIがです。「いやだってゲームのストーリーにしかフィクションっていってないじゃん。史実なところはノンフィクションでしょ」って。プレスリリースでも弥助は侍だって書いてあるやろって。インタビューでも史実云々いってたやろって。そしたら泥沼。下手すりゃ裁判沙汰です。でも免責事項さえちゃんと書いておけばただのリップサービスでしかなくなります。

免責事項はやっぱり大事なんですよね。

ようするに免責事項をちゃんとかくこと。これがUBI側の表現の自由と、日本側の歴史を守るための最も有効で現実的な対策なんだと思うんですよ。

発売までもう4か月なので今更製造しなおすとかは難しいでしょうが、これくらいだったらできそうじゃないでしょうか。

とまぁ共有できたところで、以下に反論をあげていきます。

擁護その1.「そもそもアサクリは"最初から"歴史"ファンタジー"です。史実を描写したものじゃありません。これまでだって色んなトンでも描写あったでしょ?」

「例えばレオナルドダヴィンチの作った発明品とか、神獣とか、神様とかなんだとか主人公たちのめちゃつよ未来武器とか超能力とか。これを史実だと思っている人なんているんですか?いないでしょう?」

というものに対して。

これは「これまでのこのシリーズのすべての主人公が架空主人公であり(DLCも含む)、それを中心に話が展開したから違和感、問題にならなかった」ということではないかと思います。架空主人公であることによって結果的に誤解を与えるような表現になっていなかった、という点がポイントではないかと思います。

アサクリが極めて史実に忠実な歴史ゲーであるか、といえばそんなことはありません。前述した免責事項もありますし、アサシンをはじめテンプル騎士やかつて来たりしモノといったアサクリ独自のSF要素がふんだんに入っているからです。

しかしその一方でディスカバリーツアーモードなどの学習教材としても耐えうる機能があったことも評価されていたことなど、ノンフィクションの部分も存在しており、歴史考証の面においても評価されていたゲームでもあります。歴史の出来事の再現性については創作部分を省けば基本的にはかなり再現度が高かったという評価でしょう。

なのでアサクリは完全なフィクションである、とは言い切れない。フィクション寄りのセミフィクションという位置づけのゲームだと思います。そして主にノンフィクションの部分は歴史的な部分になるかと思います。

そして今回のアサクリシャドウズは、まだPVとプレイ動画を発表して少しの間にも拘らず度重なるUBIの失態や失言、史実の人物や時代風景に対する根拠のない創作的肉付けを史実だと豪語するなどによってかなりの人が「日本の歴史を捻じ曲げている」と(その他にもたくさんありますが)怒っており、その経緯を何も知らない人や純粋にただのゲームとしてアサクリを遊んでいたプレイヤーがそれを見ると単なる歴史ファンタジーであるゲームに対して怒りを燃やしているかのように見え「こんなSFゲームに本気になるなんておかしいやろ」という風に見えているのだと思います。

ここで本題ですが、今作はその「これまでのSFゲームであるアサクリ」というのが崩れてしまっているのでは、ある要因の変更によってこれまではフィクションなんだから問題ないだろという理では擁護できなくなっているのではないかという点です。その要因が、主人公の架空から史実人物への変更です。

架空主人公だったからこそフィクションを明示化できていた

これまでのシリーズで共通していた「架空の主人公」という存在が歴史上の人物と関わる点においては、基本的にプレイヤーはそれを史実だとは思わないと思います。なぜなら前述のわかりやすいSF的要素以前に、主人公が架空の存在であるということや、その架空の主人公が歴史上の人物と関わった時点で、その部分とそれに関連する部分において全て史実にはないストーリーであるということになるからです。これは前述の「歴史の出来事をテーマにしたストーリー」の範疇という点で考えても非常にしっくりくる内容で、シリーズを通してこのスタイルだったのですから納得です。

例えば初代主人公のアルタイルで考えてみます。

彼の所属していたアサシン教団本部は元ネタの「秘密の園」伝説をコンセプトとしたもので、「山中に楽園のような秘密の庭園を築いた老人が、里の若者を連れてきてこの庭に遊ばせ、秘密の薬を調合して楽しませる。そのうえで老人は、若者にある陰謀に類するような使命を与え、再び戻りたければその使命を達成せよといって、目的を果たしていく。」(wikiより)をもとに作られています。

「秘密の園」自体はあくまで伝説上のものであり、その存在自体すら眉唾なものですが、その設定に忠実に再現したものであるというよりも、これを元ネタにしてアサシン教団のイメージに合わせるように作ったような形です。

これだと一見歴史考証的におかしいということになりますが、アルタイル自体が史実の人物でもなんでもなく、かつ伝説上の場所でもあるため、「フィクションである」ということがわかります。何かあるとしてもせいぜいロマン的なものを感じ「本当にこういう感じのものが実際に存在したのかな」とわくわくする程度です。(で、うきうきして調べたらあくまで伝説的なものである、ということを知ってちょっとがっかりするんですけどね)

ただこの例はあまりに元ネタからしてフィクションだらけなのでもう少し史実的なものをもとにしたもので考えてみましょう

2の主人公のエチィオですが、彼がかの有名な歴史的人物であるレオナルドダヴィンチと接触する機会があります。彼は万能人として知られる才気あふれる人物でモナリザなどが有名ですね。芸術だけでなく数学や兵器開発など多彩な分野にまでその才覚を発揮していたことでも知られています。

さて、そんな史実の存在である彼であっても、架空の存在であるエチィオが彼に接触するというこの時点で既に史実ではないものを描いていることになるわけでフィクションであるということが理解できます。さらに彼が発明した数々の各種武器や、中には史実において設計書のみの兵器の試作品が登場しますが、同じく「エチィオを操作して彼と接触し、かつエチィオに与えることで」出てくるわけで、これについても史実である、という風には考えないはずです。こうしてうまいこと歴史とフィクションを混ぜてセミフィクション的な話を作ってたんですよね。

このように主人公が架空の存在であり彼らを通したゲーム体験であったからこそ、実際の歴史を題材にしたものであってもアサクリとしてのフィクションと融合する形になっているため、

ゲームプレイ全体を通してプレイ感覚としてはフィクションとしてとらえて楽しむことができていた。

これが大きいと思います。

仮に多少の歴史的な間違いがあったとしても、そのゲーム体験の性質上ほぼ重要視されることもなくとりだたされることもなかったのではないかと思います。

またそのような歴史とフィクションが融合したユニークなゲーム体験から「もしこのアサシンのような歴史に暗躍する暗殺者が実際にいたらおもしろいよな」という実際の歴史の見えない部分にロマンを感じられそれに思いをはせることもできるようなロマンゲーでもありました。そんなところがアサクリの魅力の一つであったのではと思います。

しかし主人公が史実の人物になることによってその前提が崩れた

が、主人公が史実の人物となってくるとこれは完全に別。プレイヤー=史実の人物となると、どれが史実でどれがフィクションなのかが判断がつきにくくなります。

「歴史の出来事」がどこからどこまでなのかがあいまいになってしまうと思うんですよね。

もちろん、敵を倒したり市民を殺したり残虐プレイをするかしないかなどプレイヤーの意思の問題で変わる要素については史実とは考えないでしょうし、SF的な要素についても同じくそう考えることはないでしょうが、

現実的なイベントムービーや主人公に対する様々な人物のリアクション、出来事はどうでしょうか。彼が侍であるという設定を筆頭に、彼を恐れおののいたりおじぎをしたりある著名な人物が評価したりやり取りをするなど…そういったプレイヤーの意思とは関係のないゲーム側が用意したもの。ここ最近に公開された動画でもありましたよね。それを史実かどうかプレイヤーが判断できるのか、ということです。

判断しようとすると、歴史的な知識が必要になります。ある程度の教養が必要になるでしょう。

正直私はプレイ動画やPVをみても全てを判断するのは難しかったです。なんなら弥助が侍かどうかすらも。ただもやもやとした「何か違う」という違和感を抱えてみていました。
そのあと公式動画に投稿されている色んなコメントをみて、「あぁやっぱりおかしいよね」「そこも違うんだ」と初めてその違和感の正体に気づいていったわけです。中には違和感を感じなかったものも、おかしいという事がそれを通じて気づいていくようになりました。
これは単純に私が不勉強なだけだったのはそうだと思いますが、多くの日本人が私のような無知でなかったとしても、これを日本人以外の人が見て判断できるのか。日本史にほとんど知らない外国人がプレイして「これが日本なんだ、日本の歴史なんだ」って思ってしまっても不思議ではないと思うんですよね。
それから自分で色々調べてやっぱり全然違うじゃないかという確信を得ることになっていたのですが、もし違和感を感じてなかったら調べることもありませんでしたし、ほかの人のコメントの内容に共感することもなかったかもしれません。歴史の勉強にもなるというUBIの宣伝文句を信じてこれが日本の史実なんだと思い込んでいたかもしれません。

サポートキャラならここまで言われなかった」というのも、これに関連するものであると思います。仮に弥助がアサシンで信長の小姓として潜伏しながらテンプル騎士の動向をうかがっている、という設定であれば特に問題なく受け入れられていたと思います。

というのは、彼がサポートキャラでかつ架空主人公を別途用意していれば、前述している架空の存在からの介入の範疇となり、フィクションという風に扱えるからです。

さらに「アサクリにおけるアサシン」という設定は初代に関してはわかりにくいところもあるものの、それ以降のシリーズにおいてはアサクリ特有の創作であることは明白ですし、むしろ彼の史実の情報はほとんど残っておらず、素性のほとんどが不明な人物像であることを考えれば、アサシンの役割としてふさわしいとすら考えます。

さらにアサシンの役割を彼に課すことで弥助のゲーム中での振る舞いもフィクションであるということがわかります。ゲームの中で描かれる規模も小さくなりますし、多少誇張してもそれほど大きな問題にはならないでしょう。実際、これまでのアサクリもいくつかの重要な歴史の登場人物がアサシンだったりテンプル騎士だったりして、そのように描かれていたはずです。だからゲームの内容を史実だとはほとんどの人は考えないと思います。

しかし主人公が史実の人物となると、ゲーム体験全てを通して史実かフィクションかの判断をする必要がでてきます。さらにアサクリの創作設定上のアサシンではなく、日本の歴史に存在した身分の侍ですからなおさら判断がつきません。

「アサクリのアサシン」でもなく「架空人物」でもない。このゲームをフィクションたらしめる2つの重要な架空要素がごっそり消えてます。

そしてさらにUBI公式も今作に関して史実をもとに作ったと重ねて宣伝していますから、知識のない人からすれば現実的な描写に見える部分に関しては全て史実だと思っても不思議ではありません。

さらにUBIは気づいているのかわかりませんが、史実人物を主人公に据えてしまったことで、歴史考証の難易度もこれまでのシリーズと比較して明らかに高くなっています。主人公である以上はゲームプレイの様々な瞬間において史実の人物が実際に送った人生を描かざるを得ないためです。しかし実際の弥助は別の記事にも書いていますが侍だったかどうかを示す資料がないどころか彼に関する歴史的資料自体が少なすぎる状況というのが現実で、史実として書こうにも元ネタがほとんどない以上書きようがありません。

かつ、彼を侍であるとしている時点で、しょっぱなから既に史実と異なるものになっています。彼について史実ベースで書けることがあるなら誇張しても信長のそばで雑用してたとかスモウとってたとかくらいのもの。にも拘らずほんの数十分のプレイ動画しか公開されていない中で既に豪華な将軍のような甲冑に身を包みこん棒を振り回してまるで鬼のような風貌の彼の姿や戦いぶりは完全に的外れです。

そんな状況の中で自分たちの考えた創作という史実に対するメアリースーにすぎないものを史実をもとにしたものだと言い切っている悪質さ。これが「文化盗用だ」といわれている要因でもあると思います。

さらに歴史考証の点においてほかにも様々な詰めの甘さが指摘されているあたり、これまでのシリーズと比較しても歴史考証のクオリティが低くなっていることは一目瞭然で、むしろ歴史考証のスキルのレベルは明らかに下がっている中で異様に難易度の高いことを達成しようという、まるで子供が必死に背伸びをしているかのような痛々しさすら感じます。

擁護その2.「フィクションと現実の区別くらいつくやろ」

というものに関して、これは1.の続きにもなりますが

これは「プレイヤーの教養にゆだねられているのでそうとは言い切れない」といえます。

「いや普通はそう考えないやろ…ゲームだよ?創作物ですよ?だれがこれを史実だと思うのですか?普通じゃないですよ」

というかもしれませんが、その"普通"というのはワールドワイド的なものかどうかということです。このシリーズはもちろん知っていると思いますが、日本だけでなく世界中で売られており、かつ世界的に人気のあるタイトルです。

無論、前述しとようにSF的な演出を史実だと思う人はほどんどいないでしょうが、そうではない現実的にありえそうなものはどうでしょうか。

我々、すなわち日本人がイメージする普通というのはなんでしょう。おそらくほとんどが無意識になんとなくこうだと思っている普遍的な概念だとは思いますが、例えば「こんなことはふつうしない」「こんな風にはふつう思わない」といったものだと思います。あえてもう少しはっきりと簡潔に今回の件のスコープで言語化すれば「義務教育を受け、現実と創作物の区別がつく最低限の教養があること」であると思います。

日本の義務教育は均一的な教育ですが、それすなわち皆が平均的な知識と教養をある程度持つことを保障しているということでもあります。出来の良し悪しはあっても、同じように学び、同じように考えるので、ある程度双方に互換性のあるものになります。さらに宗教感もほとんど同じであるため、故に「普通はこう」という概念や考え方が存在し、ある程度通用しています。

実際日本人であれば彼が侍かどうかについてはほとんどの人が「違う」というか「わからない」「よく知らない」「そもそも聞いたことない」と答えるでしょう。実際、義務教育でも彼のことは習いません。アニメなどのサブカルチャーで知るという事がほとんどだと思います。

歴史の授業でも習わない。周りのだれもかれの話なんてしてない。サブカルで大人になってから知った、など、数々の日本で生きて生きたからこそ受けてきた知識が前提にあるからこそそう答えるわけです。

しかし海外ではどうでしょうか。海外という時点で日本の義務教育は存在しません。別の教育は存在しますが、それとは別物ですし別に日本の教育はワールドワイドでもなんでもないものですからね。日本史だって選択授業や大学などの科目で習うもので、自分の意思で学ぼうとしない限りは学ぶようなものでもない。そりゃ、歴史を学ぶならまずは自国の歴史を学ぶことが最優先ですからそれは当然でしょう。

さらにその国特有の事情もあります。例えばアメリカでは教育格差というものが明確に存在します。基本的にアメリカの教育レベルは親の持つ資産で決まるといわれていて、縁故採用的な社会である側面もあります。貧富の差が激しく、エリートはとてつもないエリートですが、貧しい人びとはひたすらに貧しい。

つまり貧富の差が激しい = 教育に格差がある = 教養に格差があるということであり、ここに日本人の思う普通は通用しません。つまり、信じられないほど頭のいい人もいれば、信じられないほど頭の悪い人もいる(知識がない、勉強するという考え方自体がない、嫌悪すらしているなど)ということです。さらにここに文化や宗教の違いというものまで入ってくればさらにそのパターンは細分化されていくでしょう。例えば一部の黒人のコミュニティでは勉強することを悪とする考え方を持っていることもあります。理由は白人の真似事をしているから、ということらしいです。勉強する黒人がいると、こいつは仲間じゃないと排斥する動きすら見せます。一部の白人のコミュニティは白人が一番優れていると思い込んでおり、無意識的に他の人種や文化を見ナチュラルに見下しているなんていうこともあります。そういった驕りが、他の文化を自分たちの価値観の考え方で無意識に変換、上書きし、「なぜこう考えないのか」「私たちの方が正しい」と押し付けるという形にもなることもある。

ネトフリのクレオパトラのドキュメンタリードラマの件で以前ある発言が大きく取り沙汰されていました。「祖母が私に、『学校で何を言われようと、クレオパトラは黒人だった』と言ったのを覚えている」と。
普通、歴史に詳しくなくとも、歴史という"概念"を知っていれば、すなわちわれわれ日本人の歴史というものに対する普遍的な感覚でいえば「義務教育でうけた歴史の授業」を受けた中で無意識に培った経験や感覚的なものがあるので、そんな理屈で歴史を肯定できるはずがないし、それで納得することもあり得ないと思いいたるのですが、この人はこれを大真面目に信じている、言っているわけです。そういう教養レベルなわけです。あるいはこれが単にリップサービス、ビッグマウス的な演出であったとしても、これを本気で支持したり乗っかったりしてしまう人もいるのです。

今回の弥助の件で言えば、彼が侍であるという歴史的根拠をトーマスロックリー氏の推測だらけの本でできると本気で考える人たちや、アニメや漫画を根拠だと考えてしまう人たちがいることが確認されています。これも、日本で生きていれば考えられない普通ではないことです。もし漫画で起きたことを現実で起きたことなんだ、とあなたの友達が言い始めたとしても「なにいってんだ」で済む話です。それは想像に難くないしごく自然的な話ですよね

でもそれが自然的なことでない環境もあるということ。日本ではない、外国に。彼らは大真面目に「本当のことなんだ」とそう考える。疑わない。疑えない。疑うことができる環境ではない。きっとまわりにも「なにいってんだ」という人すらいないのでしょう。あらゆる意味でこちらの普通が通用しない。そういう知識レベル、教養レベル、環境なのだと思います。そしてそういう人々が今暴れて他国の文化すら侵略しようとしてすらいると…

きっといくら彼等と話しても平行線でしょう。環境の違いは埋められないから。様々な歴史上の人物たちが残した書物、建造物、文化的遺産の存在を担保とし、それに対する解析、考察、すり合わせなどの様々な工程を経ての結果によるものではなく、ただ誰かが書いた裏どりも取れていない推測だらけの小説の内容である、と思える認識の人々に何を言っても通らないでしょう。

というか、弥助について日本人すらもよく知らず、そもそも資料すらないのだから「証拠がない」という言葉の隙を突かれてこれが史実なんだ、と騙されてしまう事すらもあると思います。
授業でも習ったことがない人物ですし、そんな「判断材料がない」状態で、大きなメディアやテレビ、有名なゲーム、著名な人物から「弥助は侍だ」などといわれたら、そう思い込んでしまうかもしれません。これは日本の歴史のことをほとんど知らない海外の人も同じです。

「彼が侍だという事を示す証拠はないが、逆に言えば彼が(→追記:取り消し線の部分は微妙に実際の内容と間違ってました。申し訳ありません。)ほかの侍も侍であったことを示す証拠もない」というのも、かといって功績も何も残っていない彼を侍だとするのはナンセンスであり、証拠がないんだから彼を侍だとすることもできるということでは全くない。
もし「誰も侍であるということが残っていないんだから彼は侍だ」ということが通るというのなら、まったく証拠も何も残っていないどこかの農民が侍だった、なんてことも通ってしまうわけで。みんな侍だったなんてことにもなってしまう。なんなら下手をすれば黒人奴隷の歴史なんて存在しなかった、なんて事すらいえてしまいます。当時の黒人全員が奴隷だった証拠なんてあるのか、と。一部だけ、たまたま黒人だけが住んでいた小さなコミュニティの話だっただけなのではないか、ほかの黒人は白人と同じように暮らしていたのではないか、なぜならそれを肯定する証拠も否定する証拠もないから、などと世迷言が歴史だといえてしまうではないですか。

「ない」ことを「ある」ことの根拠にできたら、無限になんでもいえてしまうでしょう。

悪魔の証明なんてものを持ち込んだら歴史そのものが無意味になり、彼らの主張すら通らなくなります。

というか正直、UBIのこのやり方はあまりにも趣味が悪いというか無神経すぎやしないかというか、作為的なのではないかとすら思います。歴史考証に定番があるシリーズであるというこれまでの評価を悪用しているかのようにすら見えます。
このような「人の無知」に付け込んで自分たちの思想を広めようとしているのだとしたら、これほどにタチの悪いやり方はないと思います。
仮にその意図はまったくないのだとしても単純にデリカシーにかけすぎていると思いますし、史実をベースにし、歴史の勉強にもなるほどのものである、過去のアサクリのように歴史考証に耐えられるほどのクオリティのシリーズであるという信用を用いてくるのであれば、史実の人物を扱うという点についてもっと慎重になるべきではと思います。ましてや今回のようにこれまでの伝統を変更するという大きな変更を加える場合はなおさら。「私たちは日本人ではないからわからない、共感できない」から、あるいは「創作だから」「ゲームだからマジになるなよ」などといって、こんな形で誤解を招く表現を真実だと吹聴するようなことが許されるというわけでは全くないし通用しないと思います。

ちゃんと理解できないことを自認しているのなら、つもりもなく、能力もないのならこのシリーズでは最初からテーマとして選ぶべきでもなかったんではないかとも思います。

何度でも言いますけど、全てにおいて完全なフィクションだといってくれれば別に何の問題もないわけで…戦国無双などのゲーム見たいにモチーフのみ借りたという事にすれば。新規IPのフィクションであったらななおさら受け入れられたでしょう。今回みたいな歴史考証に定評のあるシリーズの続編という文脈でこんな風にわかりにくい中途半端なことをしないのであれば問題ないわけですよ。それに指摘をしただけでこちら側を差別主義者呼ばわりは流石にないでしょう。対話する気もなし、ただ押し付けてくるだけ。そんな態度で返されたらそりゃ署名活動だって始まりますよね。

結論:架空主人公にしとけば全て丸く収まったのでは

結局のところはこれで、従来通りの架空主人公だったのであればこんなことでもめる必要もなかったでしょうと思います。

仮に黒人の架空主人公であったとしてもせいぜい「なんで日本人じゃないんだよ」「アジア男のこといないことにしてる」くらいでしょう。私もそう思っていますし、日本人の男性主人公で忍者アサシンやりたかった。アジア人差別なんだろうなっていうのも正直ぬぐい切れてない。
でもそれだけなら(納得はしなくても、ほかのもろもろの不祥事もなければ)ここまであれることもなかったでしょう。とはいえ、個人的なUBIに対する意識はどちらにしても変わったでしょうがね。(おかげで日本史に興味を持つことができたという副産物はありましたけども…

やはり、架空主人公であるというのはアサクリの世界観、テーマを表現し、かつ歴史に対する誤解を招かないうえで非常に重要な要素だったんではないかと思います。

100歩譲って彼が主人公でも「アサクリのアサシン」として出すべきだった。

そうであればアサクリのアサシンというSFロールを通して彼のSF物語を描くことになるため、SF作品であるとして受け入れられたと思います。

しかしそのアサシンでもなんでもない史実の人間の主人公設定にしてしまってもはやアサクリですらありません。

アサクリのアサシンではない日本の歴史の身分である侍の弥助という、史実人物にこれでもかと着色しまくったメアリースーによってこれまでの作品としての"命"が完全に断ち切られている。

もはやこのゲームの弥助は弥助じゃない。偽物の巨漢。そしてアサクリでもありません。

これまでの伝統を崩すべきではなかった。ただ歴史考証の難易度をあげ(ほぼ不可能なレベルに)、できもしないことをできてるもん!と豪語する子供のような印象を与えるのみ。現在の開発は元々のアサクリの根幹的なコンセプトを既に理解していないか、ひょっとしたら精神的にも未熟なのかもしれない…(イーロンに批判されてマインドフルネス云々の副社長の話なんかはもうちょっと聞いてられなかった)。あるいは単に、偏った思想の流布、プロパガンダしかもう頭にないか。

最後に弥助の史実根拠のあるソースについてまとめてくださっているポストを張っておきます。もし彼の史実的な部分について判断に迷ったらこちらを参照するといいと思います。



↓ここからはその他

その他:「刀を持っている人はみな侍」


さっきXでAC公式がリツイートしていたものからみつけてきたものです。

「戦国時代刀を持っていた人はみな侍とみなされました」「刀を持っていない人は農民でした」

耳を疑った。適当すぎるだろう。

戦国時代においてはそれは武士でしょう。侍とごっちゃにしてませんか。その定義じゃ足軽とかも侍になっちゃいますけど。よーしみんな侍だ!になっちゃうんですけど?

一般人=侍説でましたね。もうただの普通の人ですよ。伝説の普通の人弥助。意味わかんないですね。わしも伝説か?侍名乗ろうかな

後者はヒッデが刀狩りした後の話なら該当しますが、舞台は信長の時代でしょう?このころは農民も自衛のために刀持ってますよ。信長は自身の軍事力を特化するために普段は農作業していた自分の武士を城下町に住まわせて武芸に励ませていたようですが(兵農分離の走り)、刀を農民から取り上げたわけじゃない。それに農民も戦時は惣とか足軽っていう下級武士として戦場にも出てたんだから。

もし仮にヒッデの時代だったとしても本能寺の変後の弥助の歴史なんて何一つ残っていないのだからその時点で史実では全くなくなるしなぁ。

ひょっとしてこの人がUBIの言っていた日本在住の専門家なんでしょうか?こんな基本的なちょっと調べりゃ素人の私でもわかるようなことから勘違いしてるのか?この人日本人なのかな…海外(英語圏)と日本じゃ言語の壁的に参照するソースに違いが出てきますからね。でもそれって日本人の専門家を雇ってないってことでは…

まぁ彼女がいったい誰なのかはわからないのでこれについてはなんともいえないですが…これをアサクリ公式がリツイートしてる時点でさ…だめみたいですね…

追記:と、どうやら公式がリツイートを消した模様。魚拓とっておけばよかったな。結局なんだったのか。

その他疑問:「圧迫者」って誰だ?

「圧迫者から人々を解放する」って、公式サイト(英語版の記載。 圧迫者は原文を日本語に翻訳したもの)にありましたが、誰のことなんだろうか。甲州遠征の武田勝頼のこと…?弥助が戦った記録はありませんが。そも天下統一まであと一歩手前のところまできている状態で、圧制者から解放っていうのがしっくりこない。戦争がほとんど終結する段階で、戦しようにもするところがないのにどうするんだろう。信長は民からの評価も高かったし、彼なわけない。マジで誰。

というか、何かすることってありますかね。安土城周辺でしょう?

バチクソ平和そうなんですが…なんかあるんですかね。そもそもこのたった1年の間に戦なんてそんなやってたんか…?
と、調べてみたところ結構戦やってますね。全部で7つ。ただこの中で弥助がいたといわれているのは甲州討伐と本能寺の変で前者は決着後に信長の付き添いで、後者は防衛失敗かつ光秀に逃がされてるけど。

https://www.touken-world.jp/tips/84754/

むしろこれヒッデの時代の方がしっくりくるような感じがするのは気のせいか。信長の家来として書かれているであろうことはPVで明らかでしたし、となるとPVのあれはやっぱりプロローグ的な?ヒッデの作った武士の支配する世界からの解放、とかならまぁ…納得感はある…か?弥助が日本に来た後の話ではあるし時間も十分経過しているしそれなら武士としては成長できるかもしれない…でもそれだと100%メアリースー弥助になってまうが。史実にかすりもしなくなるぞ…まぁさすがにそれはないか。


それとも町の警備をして、暴れてる悪党や浪人をぶった切るとか?各地の村を巡回して暴れてる族を倒すみたいな?水戸黄門みたいな。まぁこれはゲームプレイ的にはこれまでのアサクリの延長としてはありそうですね。なんかしょぼいですね…でも彼が警備したとか戦ったとかいう記録すら史実にはないからなぁ。

…マジでなんで史実のよくわからない人間主人公にしたんですか

ん?

あ、テンプル騎士忘れてた。

めちゃくちゃ基本的なことでしたね。ずっと侍のことを考えていたせいかアサシンクリードだったことを忘れてた。確かにこいつらなら彼が侍であることをテンプル騎士とアサシンのなんかこう…ごちゃごちゃでなったことにすれば架空のストーリーの範疇でぎりぎりいけるのかもしれない(しらんけど)。となると平和な安土城およびその周辺に潜伏するテンプル騎士をやっつける話、って感じでしょうかね。これならいつものアサクリ感はあるかも。

ただこれだと弥助って必要でしょうかね?侍なら戦場や合戦に出てこそな気がしますが…街中で刀振り回すとかただのキ〇ガイでは。

…なおえだけでいいんじゃんやっぱり。

暗躍する陰謀を暴くっていうアサクリのテーマに侍は全然マッチしない気がするんですけど気のせいですかね。派手だし注目の的だし。どう考えても忍者しか適正ないんですが。なんか蛇足感ありますね…

その他:海外wiki「信長は刀狩をやっていた」

へ…?

海外Wikipadiaの「刀狩」の項目では信長も刀狩をやっていたという記載になっている。最も有名なのがヒッデで、信長もやってた、みたいな感じ。これほんま?日本語の情報ではこんなの出てこないんだけど…歴史の授業でも習ってないし。だれか歴史に詳しい人教えて!
一向一揆を引き合いに出してるけど信長政権がやったのは鎮圧であって、刀狩という令を出したなんて記載はどこにもないんだけどな…家来の柴田勝家が武器没収した件を刀狩だといっているのか?だとしたらそれは刀狩じゃないんだけど…

うーん、個人的にですけどこの「刀狩」というのが固有名詞としてあっちで認識されてないんじゃないか、という気がするんですがどうなんでしょうか。「刀を没収する行動全般、出来事」を指しているものととられていて、それとヒッデの刀狩がごっちゃになってるんじゃ?

こういう言語間やおそらくなにかしらの文化背景的なとらえ方の違いによる解釈違いって多分ありますよね。

やはり日本史を再現するなら日本人の歴史学者は必須だと思いますね。

おまけ:Google、「武士」を英語翻訳して!


お前もかよ〇ね。

海外いくら何でもガバガバすぎませんか。ちゃんと日本史の専門家に考証してもらってますか。してもらってないよね多分。

ん?いやまてよ…

侍と武士の区別がついていないのでは?


Google翻訳すらこれなのですから正直、あると思います。海外の人間が見ているのが英語のソースのみで、オリジナルの日本語のものは読んでいない、そこからの単語の意味レベルから誤解しているのではないか、と。侍の言葉の意味も平安時代から江戸時代へと時代とともに意味が変化していった言葉なので、そこまで追い切れていないのではないか。(余談ですがヒッデの行った身分統制令での侍は武士の最下層のランク(若党)みたいです)

海外勢の侍の認識は、一様に全て最終的な江戸時代の侍と武士の意味がほぼ同じ時代の認識なのではないか。

その認識で英語のソースが書かれていて、結果武士(Bushi)の部分が全て侍(Samurai)として書かれているとしたら…?

ありえるかもしれん…

というかそも原典は日本古文なので、日本語を読めるだけじゃたりないですよね。ただでさえ日本語は英語圏の人間からは高難易度言語として扱われているのに、さらに古文を読む、というのはほぼ不可能だと思います。

しかし歴史考証を謡うなら、それも史実に忠実と豪語「学ぶことができる」というほどの正確性があるというのなら、それくらいのレベルから検証して確かめる必要はあると思うのですが、それを勉強していたらゲームなんか作れないでしょうから、やっぱり言語的にも文化的にもネイティブでかつ日本史のエキスパート、すなわち日本人の歴史学者が必要だとなおさら感じますね。作り手がネイティブの日本人でない以上、仮に歴代通りの架空主人公だったとしても日本は元からして歴史考証のハードルが高いんじゃないでしょうか。これはなおさらアサクリシャドウズのクレジットに載っている日本在住の歴史学者が誰なのかが気になりますね。

以前そのまさにネイティブの日本史専門家を公式がブロックした、というのがありましたがはたして…

追記:どうやら日本史専門家は偽物だったみたいです。ちゃんと裏どりしないとですね。反省だ。

考えてみるとアサクリの件で侍は死ぬほど連呼されていますが、武士について語っている情報はどこにもありません。私が見てきた情報の範囲にすぎませんが…

というか、日本人でも侍と武士の違いを知っているかというと怪しいと思います。実際私も知らず、最近日本史を色々調べるようにようやく違いがわかったので、そういうかた結構いらっしゃるのでは。

まぁ彼(弥助)は武士かどうかも怪しいので武士だとするのもおかしいんですけど。

ーーーーー

※この件について気になり検証したら長くなったので別記事に:


おまけ2:英語版の免責事項は?


書いたらめちゃくちゃ長くなって趣旨とずれるので最後に。

英語版も日本語版と同じようにちょっと、いや、結構違います

Inspired by historical events and characters. This work of fiction was designed, developed and produced by a multicultural team of various religious faiths and beliefs.

work of fictionは主に小説などのストーリーなどのナラティブ要素のフィクション作品を指していてるようで、それで日本語の翻訳が「ゲームのストーリー」という形の翻訳なのだと思います。なので全体の文章の意味は日本語のそれと大体意味は同じかと思いますね。

とはいえ、直訳すれば「フィクション作品」ともなるわけで、そっちの解釈でも考えてみます。すると「このフィクション作品は異なる人種、宗教、信条を持った人々からなるチームにより製作されました。」となるのですが、ぱっと見はよさげにみえるものの、ちょっともやっとするんですよね。「で、つまり?」みたいなというか…work of fictionという言葉が一体どこまでカバーしている言葉なのかがちょっとわからないですね。

試しにwork of fictionの意味についてChatGptで「ゲームをwork of fictionというか」聞いてみるとこんな感じの結果が返ってきました。

質問:would you call a game(computer game) as work of fiction?

解答↓

Yes, a computer game can be considered a "work of fiction" if it includes fictional elements such as imaginary worlds, characters, or narrative-driven storytelling.

とこんな感じで、ChatGPTによるとwork of fictionと呼べるが架空のナラティブ要素が含まれている場合というということみたいです。そしてさらにChatGPTに「全部架空っていう意味か?」さらに質問してみましたが全部架空であるという事を意味するわけではないみたい。本作は史実の要素もあるシリーズなので正しい表現ってことなんでしょうかね。

なので何が史実で何がフィクションか、ということはこれだけだとわからない感じになっていますね。やはり日本語訳の解釈でよさげ。

ちな質問↓
質問:if it is call as work of fiction, it dose mean it must be all elements are fiction such as characters, world, function, etc ?


解答

In general, a "work of fiction" is characterized by the presence of fictional elements such as imaginary worlds, characters, and events. However, it's not always necessary for every single element within a work of fiction to be entirely fictional.

今見返すとちょっと私の英語の質問が変ですが意図としては伝わっているようですね。

追記:念のため全く同じ質問をして全く同じ回答が再現するのか確認してみると、なんと正反対の回答が。

Yes, if a work is classified as fiction, it generally means that all essential elements within it—characters, world, functions, events—are products of the author's imagination rather than real or factual entities. Here's why each element is typically fictional in a work of fiction:

どっちだよ

「はい、作品がフィクションとして分類される場合、それは一般に、その作品に含まれるすべての重要な要素 (登場人物、世界、機能、出来事) が現実または事実の実体ではなく、作者の想像力の産物であることを意味します。」

なんか微妙に聞きたいことと違う答えが返ってきてますが(著作権的な文脈か?)、全てフィクションならwork of fictionです、みたいなことが返ってきました。

あ、でも「重要な要素」ともいってるし…うーん

work of fictionと一言書いておけばみんな全部フィクションと解釈するんですかね
。本当か?映画とかの免責事項で「work of fiction」とだけ書いてあるのは見たことがないが…

追記の追記:やっぱりわしの英文がぶっ壊れすぎていたので、なるだけちゃんとした英文に直して再度聞いてみると

質問:if something like video game call work of fiction, it dose mean it must be all elements are fiction such as characters, world, function, etc?

Yes, when something like a video game is labeled as a work of fiction, it generally means that all elements within the game are fictional. Here’s a breakdown of what this entails:

やっぱり全てフィクションであるという意味になる?

さらに突っ込んで「じゃあ史実の人物や出来事が含まれていたり混ざっていたりするゲームの場合はwork of fictionではない?」と聞いてみると

質問:if something like video game include or combine a fact like historical event, figure, it wouldn't be call a work of fiction?

When a video game includes or incorporates factual elements such as historical events, figures, or settings, it can still be considered a work of fiction, but with elements of historical or factual basis.

どっちだよ(威圧

「ビデオ ゲームに歴史上の出来事、人物、設定などの事実に基づく要素が含まれている、または組み込まれている場合でも、歴史的または事実に基づいた要素を備えたフィクション作品(work of fiction)と見なすことができます。」

らしい。

なんかChatGPTくんいい加減じゃない?聞くたびに答えが変わるし。速攻で矛盾したりしなかったりするし。あんまし信用できないかも。正解とか聞くのはやめといた方がいいですね。

ただよくよく考えてみると、「フィクション作品」という言葉だけで必ずしもすべてにおいて完全オールフィクションであるとみな受け取るか、というとちょっとわからないですよね。そもそもUBIが史実ベースで作っているという宣伝しているわけですし。せめてどこが史実でそうでないかを明示していたらまた別なのですが、そもそも一つ一つ説明はできないと思うので(ネタバレになるし)しかし結果としてこちらが判断ができない(正しい知識がいる)というのがやっぱり誤解を招くのでよくないと思うんですがね。

ここはこの言葉の定義そのものというよりは現実的に人々がどう受け取るのか、という点で考えるべきですね。
というのは、大抵の作品ではそのような勘違いや誤解の余地を招いて訴訟問題などに発展しないように、万人に向けてもっと明示的にフィクションであることを理解できるように示すので。

英語で「このゲームはフィクションです」ということについてちゃんと描くと「This game is fictional(このゲームはフィクションです)」「 The events portrayed are fictional(描かれている出来事はフィクションだよ)」「Any real life events that are related to events in this game are purely coincidental(このゲーム内の出来事と現実世界で実際起きた出来事が一致していてもまったくの偶然だよ)」「All characters appearing in this work are fictitious(この作品に登場する人物は全てフィクションです)」という感じになり、何がフィクションなのか明示的な対象をさして銘打つ形になります。ちゃんと明確に書くのはやはり大事なんですね。

ちなみにChatGPTにゲームの免責事項を描くとしたらどう書く?と聞いてみると

"Disclaimer: This game is a work of fiction. All characters, events, and locations portrayed within this game are purely fictitious and any resemblance to actual persons, living or dead, or real events is purely coincidental. The game is intended for entertainment purposes only."

そうそう、こんな感じですよね。ちゃんと何がフィクションなのかを明確にしてる。このゲームはフィクションですよ。キャラクターも出来事も場所も何もかも全てフィクションですよと。もし似ててもただの偶然ですよと。ただのエンタメですよと。確かにここまで具体的に書いてあったら誰も勘違いしないでしょうし納得。答えがコロコロ変わるChatGPTくんでもこれはGJです。

これらと比べるとアサクリのそれは主張の趣旨がちょっと曖昧ですね。「このゲームはフィクションです」とも書いてないし。何が言いたいのかいまいちよくわからないというか、免責事項的なニュアンスがあまり伝わってきません。単に作品の開発経緯を述べている形というか、"何が"フィクション"なのか"について明確に述べている形にはなっていない。日本語版の方が明確なくらいです。

後、「歴史の出来事や人物にインスパイアを受けた」という点についてはこの文章だけ独立していてどうとでも取れる形です。インスパイアを受けただけなのか、インスパイアを受けて歴史の出来事を再現しているのか、ほかの何かか。まぁこれも同じく日本語訳の意図で解釈するしかないと思います。

なんか英語版の方がどうとでも取れる感じだ。何か違ってたら教えてください。

ーーーーーー

やっぱり架空の主人公にしといたらよかったのにね。狙ってか偶然なのか、架空の主人公が免責事項の曖昧な部分をいい感じに補足しているか、中和してうまく表面化させなかった感じだったのかなと思いますね。

なおえだけでよかったんじゃないかな。

ただこうして考えてみると、アサクリって結構危ない橋渡ってたゲームだったのかもしれませんね。ゲームデザインが問題にならない絶妙なバランスの上に成り立っていてその設計がこれまで変わらずに続けられてきたゲームというかなんというか…



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?